女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんです。キレキャラとおふざけキャラと真面目キャラを分離する才能がないので、丸ごとの自分を出してます。

【謎の告白】実は、あの時、結婚していませんでした

 燃えた記事を蒸し返すと、またコメントが増えそうなのでリンクは張りませんが、借金癖、浪費癖家族への対処法的なものを書いた時に、現在の夫のことを、夫と書いたのですが、実はあの頃、私は夫と結婚していませんでした。

 つまり、私は結婚もしていない、ただの同居人の借金を立て替えていた変人です。あの記事で、夫とは書いたが、結婚はしていませんと書くと話がややこしくなるし、結婚もしてないのにお金を立て替えるなんてばかじゃないの?的な話になるのも面倒だったので書きませんでしたが…

 

 モラハラ女とか、寄生虫だとか書かれたことを根に持っているので書かせてもらうと、私は独身主義だったので、誰とも結婚する気はなかったの。(私が独身主義になった理由は上記の記事)でも、現在の夫が就職したら結婚したんでしょ?という人もいるかもしれないけど、就職した後も入籍はしなかったのよ。

 独身主義ってさ「結婚したくない」「結婚する気がない」わけだから、収入がないから結婚しない、でも夫が働き始めて収入があるから結婚するとかみたいに、条件が変わったからっていう理由で結婚するってことはあり得ないわけよ。主義ですから。ismですから。

 入籍をしたのは、ある事柄が「あれ?これ、入籍しないとできないんじゃネ?」ってことが分かったから。まあ、入籍したことで問題が起こったら、籍を抜いて同居すればいいだけだしっていう軽い気持ちで、うっかり入籍しました。

 今のところ、別段、籍を抜く理由がないので抜いていませんが、婚姻契約はあってもなくてもいいという考えは、独身時代と変わりません。婚姻関係があろうがなかろうが、夫との信頼関係は変わらないと思っているからです。

 ただ、まあ、婚姻関係があると、私が死んだときに私の持っているお金が自動的に夫に相続されるのは便利だなとは思います。あと、入院した時の保証人ができるとか、入院した時に簡単に面会に来れる相手(夫)ができたとか、そういった点では便利ですね。

 ぶっちゃけ、独身主義の私にとっては一緒に住んでいる相手の収入がいくらでも、職業が何でも関係なかったんですよ。夫の時も、そう。若い頃から、男性側に収入がなければ、女性の私が養えばいいと思ってました。ただ、私はお金を稼ぐ能力が低すぎて養ってはあげられないから、相手には働いて欲しいって、ただそれだけです。

 私が若い時代は、確かに男性におごってもらうのが当たり前って女性もいましたが、私は男友達とも恋人とも割り勘派で、しかも類は友を呼ぶので、私の周囲の女友達も男性とは割り勘派でした。私自身が独立心が強いと周囲から言われていたので、周囲にもそういう女性たちが集まってきたのでしょう。

 私は正直、割り勘派の女で良かったと思います。というのも、当時は「男は女におごってやるもの。」っていう、マッチョな考えを刷り込まれた男性が結構多くて、その部分が刷り込まれているってことは、他のマッチョ思考も刷り込まれているということで、何ていうか、私の苦手なタイプの男性だったんですよ。

 だけど、割り勘派の男性は「女性も自分の飯代くらい自分で払うべき」という、しっかりした考えを持っていたり、少なくとも男女は対等だという意識はありましたね。だから、私は割り勘派の男性ばかりを好きになりました。

 そして、当時好きだった男性たちのことは、今でも尊敬しています。

 

 ついでに言うと、私は年収1千万以上の堅実な仕事に就いている男性の家に不定期に居候したり、(建築・土木・塗装)などの作業員を転々としている男性が頻繁に遊びに来ていたこともあります。1千万の人は食事などを私に奢ってくれていましたが、作業員の彼は収入が不安定でデート代や食事代は私が奢ってました。

 別にお金は出せるほうが出せばいいんじゃない?と思っていたので、そうしていましたし、年収が1千万だろうと、200万だろうと、独身主義で結婚する気がないので、1千万だから結婚したい、200万だからしたくないとかはないんですよ。誰とも結婚したくないの。その時一緒にいて安らぐ人、居心地のいい人、楽しい人と一緒に居たかったって、ただそれだけなのよ。

 現在の夫ともそう。同居する時に、結婚する気はないけどそれでいい?とか、互いに好きな人ができたら円満に別れようねって話してあったし、2~3年で別れるんだろな~くらいにしか思ってなかったのよ。まさか10年も一緒に暮らすとは、しかも結婚するなんて、自分でも想像していませんでした。

 私自身が男性を養える収入さえあれば(ないけど)男性を養って、主夫業に専念してもらっても構わないように、男性が女性を養える収入があって女性に専業主婦に専念してもらっても構わないなら、寄生虫とかATMとか言われる筋合いはないと思うんですけどね。

 人のことを寄生虫呼ばわりする人は、女性に養ってもらっている専業主夫に対しても寄生虫呼ばわりするんですかね。ちなみに私の女友達の夫は専業主夫ですがね。

 てか、そういう発想をする人たちって、よほど周囲にお金目的の相手が多かったんだろうなって思います。お金目的の相手に近づかれやすい人は、まずは食事・デート代を割り勘にして、それで、怒るような相手なら距離を置くとかしたほうがいいんじゃないですかね?そのほうが、お金の支払いに関するトラウマや偏見を持たずに済むと思いますよ。

 また女性側も、さすがにもう、男性におごってもらうのが当たり前みたいな、バブルの怨霊みたいな女性は減ってきてるとは思いますが、恋愛のゴールが結婚の女性なら、割り勘を希望するような経済観念のしっかりした男性を選んだほうがいいと思うんですよね。個人的には。まあ、人のために一切お金を使いたくない人と見分けるのは難しいでしょうけど、そこらへんはコミュニケーションかな。

 以上、寄生されてトラウマになっている方々に言ってみたいことを言ってみました。

セカンドレイプとアドバイス罪

記事で、少し気になったことがあったので触れてみたいと思います。

 

ちなみに、私は若い頃に、このような性被害に遭っています。

 

セカンドレイプは善意・心配や無意識から起こる場合も

 以前、ブコメで「アドバイス罪」という言葉を見た。性被害を受けた人や、精神病の症状が出ている相手に対して、善意からくる頓珍漢なアドバイスをしてしまい、相手を傷つけてしまうことがあるという意味で、アドバイスは罪になるという意味合いだと思う。

  セカンドレイプの定義は非常に難しいと思う。セクハラと同じで、他人は善意から励ましの言葉で言ったつもりでも、被害者がそれを不快だと感じて深く傷ついてしまえば、それがセカンドレイプと認定されてしまう場合があるからだ。

 

被害を受ける前と受けた後では被害者の捉え方は違う

例えば件の山口氏の場合だが、女性が被害を受ける前に

「一人で男性の部屋に行かないほうがいいよ。」

「夜中に男性の部屋に行かないほうがいいよ。」

「男性と二人きりにならないほうがいいよ。」

「泥酔した男性とは関わらないほうがいい。」

などと、女性が被害を受ける前に、善意から注意喚起するいことには問題はないと思う。

 

だけども、実際には被害者が被害を受けた後に

「一人で男性の部屋に行かないほうがいいよ。」

「夜中に男性の部屋に行かないほうがいいよ。」

「男性と二人きりにならないほうがいいよ。」

「泥酔した男性とは関わらないほうがいい。」

などの、言葉を受けたとしたら、どうだろう。

 

言葉を投げかけたが側は、もちろん善意で(今後は)注意したほうがいいよ。と言いたいのだと思う。だけども、被害を受けて間もない女性にとっては、

「一人で男性の部屋に行った、あなたも悪い。」

「夜中に男性の部屋に行った、あなたも悪い。」

「男性と二人きりになった、あなたも悪い。」

「泥酔した男性と関わった、あなたも悪い。」

と、言われていると感じてしまう可能性もあるわけです。

 アドバイスをした人たちは、「いや、私はそんなふうな気持ちで言ったわけではない。」と思うでしょう。しかし、被害者側は非常にデリケートな心持になっていて、被害妄想を抱きやすい状態になっている場合があります。ちょっとしたことでも、責められている気分になる場合があるのです。

 その状態で、「あなたの危機管理不足も問題だ。」と聞こえてしまったら、もう、その子は誰も信じられなくなることでしょう。

 

もし、男性から男性への性被害だったとしたら

この被害者を男性に置き換えたとしましょう。男性が男性と二人きりになる時に、

「一人で男性の部屋に行かないほうがいいよ。」

「夜中に男性の部屋に行かないほうがいいよ。」

「男性と二人きりにならないほうがいいよ。」

「泥酔した男性とは関わらないほうがいい。」

と、前もって注意する人たちがどれだけいるでしょうか?

 

 さらに、男性が男性から性被害を受けた場合、上記のように男性の危機意識の低さを指摘する声はどの程度上がるのでしょうか?(異性愛者が多数派の社会の話をしてるので、ゲイ社会での話は今回は省略ね。)

 「同性のケースは想定しにくいから、しかたなかったよね。」と、なるのではないでしょうか?これは、男性から男性への性被害だけでなく、女性から女性への性被害、女性から男性への性被害でも同じことが言えると思います。

 なのに、なぜ男性から女性への性被害だけが、想定できたよね?あなたも注意不足だったのでは?って言われなきゃいけないの?というイラ立ちは、正直、私は持っています。

 

被害に遭いやすい人は注意しようを被害後に言われる悲しみ

 男性から女性への性被害が統計的に多いから、女性は被害後も自分の落ち度を反省すべきだというのなら、オレオレ詐欺は老人が引っ掛かるケースが統計的に多いから、老人は自分の落ち度を反省するべきだと言われているような、納得のいかなさがあります。

 「いや、予備知識がない、判断力がないから被害に遭うんでしょうよ。」それを、被害を受けたあとになって、もっと注意しましょう(すればよかったのに)は、ちょっといくらなんでも厳しいと思うんですよね。そりゃ、あなたは予備知識もあって、(頭が良いから)とっさの判断力もあるんでしょうよ、だけど、皆が皆、あなたと同程度に知能が高いわけではないですからね。と、低能の私はひがんでしまいます。

 

過去の性被害の有無は誰も分からない

  で、じゃあ、被害に遭ってない人に注意するのならいいの?と思うかもしれませんが、性被害を受けた女性や、オレオレ詐欺に遭った老人は、恥ずかしさやセカンドレイプが怖いといった理由から、その被害自体を他者に打ち明けていないケースも多いでしょうから、非常にデリケートな問題だと思います。

 定食屋のテレビで、女友達と二人で性被害のニュースを見ている時に、「この女性も、もっと気をつければよかったのに。」とぽろりとつぶやいたとしましょう。でも、その食事を共にしている、その女性は性被害者かもしれないのです。その、性被害者の友達は、あなたに何の反論もしないものの、その言葉に「あなたは何も分かっていない。」と唇をかみしめているかもしれません。

 

声をあげろと言われても困る女性たち

 もしかしたら最悪の場合、その女友達はレイプで妊娠してしまい、堕胎した経験があるかもしれません。もしかしたらレイプ加害者が、父親、祖父、親戚のおじさん、兄弟などで、誰にも相談できなかったかもしれません。

そんなこと、普通は多くの人には話しません。たとえ、相手が友達であっても話せることと話せないことがありますからね。警察、弁護士、精神科医にでさえも、つらくて話せないかもしれませんね。

 

セカンドレイプは男女とも気軽にしてしまう

一人で男の部屋に行っちゃダメ!(注意喚起)

一人で男の部屋に行かないほうがいいよ。(注意喚起)

一人で男の部屋に行くのは危険だよ。(注意喚起)

どうして一人で行ったの?(質問)

一人で男の部屋に行ったから、起こった事件だ。(因果の分析)

一人で男性の部屋にいくなんて、私には考えられない。(自分自身の感想)

 

 これらは、どこからがセカンドレイプだと思いますか?二番目に貼った記事のような性被害に遭った私としては、いくら先方が善意で言ってくれていたとしても、いくら、個人的な感想だったとしても、被害を過去のことだと消化できていなければ、責められていると被害妄想を持ったことでしょう。

 

個人的にはセカンドレイプは女性がする印象

 元記事では、「男性に気をつけてほしいこと」とタイトルをつけていましたが、私個人としてはセカンドレイプについては女性の方が多いというか、キツイ気がしています。(もちろん、私の周囲のみの話なので一般化するつもりはありません。)

 男性は(もし被害を知ったとしても)気を使ってそのことに触れないでおいてくれるけれど、女性は親切心から「もっと気をつけたら良かったのに。」「なんで、一人で行ったの?」「私は気を付けているから、そんな目に遭ったことはない。(だから、あなたも気をつけるべきだ。)」などという言葉を発しやすい気がします。

 ですから、性被害者を傷つけたくないなら、本人の前で言わないのはもちろんのこと、本人に伝わるであろう可能性のあるネットには書き込まないほうがよいと思うのです。それでも、自分の考えや表現の自由のほうが大切だと思うなら、それはそれで一つの考え方ですから、好きにすればいいと思います。

 ただ、私は、そのようなことを言っている人を見たら、性被害者が周囲にいなかったんだろうな、とか、性被害者はこういうタイプの人には被害を打ち明けないから、知らないんだろうなというふうには感じますし、私がそう感じるのもまた自由だと思います。

 

女性同士でもこのありさまですから

 女性ですら被害の有無、危機感の強弱などで、性被害に対して関心が薄かったり、勉強をしていない人もいるわけですから、男性だけに、ことさら自力で勉強しろというのも難しい気もします。

 宇野さんの記事は被害を受けたことのある私にとっては、非常に良い記事に見えましたが、性被害に関心のない男女にとっては、なんで私が時間を割いて関心のないことを自力で勉強しなければいけないの?めんどくさい。ってなる気持ちも分かります。

 正直、私も自分の関心のないことを勉強しろと言われても、めんどくさがりやなので、めんどくさいです。

 ですから、今回の記事のように、感心を持って欲しいと促すのであれば、じゃあ、加害者にならないためにはどうしたら良いのかを具体的に書き添えてあげたほうが親切だったかな?とは思います。(言及記事に具体的方法もあったが、言及記事まで読まない人も想定して書かなければならぬ難しさ。)

 

考え方・感性・理解力の違い

 また、私達夫婦が同居を続けていられるのは、互いに理解し合えない感性については触れないという暗黙の了解があるからです。私自身は人間同士は必ず理解し合えるとは全く思えなくて、「人間は互いに完璧に理解し合うことなどない」ということを理解しよう派です。ですから、夫の、根本的には理解できないと思える部分についてはスルーして「どうして、そうなの?」とは、もう言いません。個別に、されて嫌なことについては、それは止めて欲しいと伝えるようにしていますが、根本にある考え方まで私の気に入るように矯正するってのは違う気がするので、スルーです。

 

宇野さんのブログが好きです

 宇野さんは、私なんかよりはるかに文章がうまいし、頭も良いのですごく羨ましいです。私も宇野さんのように過去のトラウマに引っ掛かってしまうと、かなりエモーショナルな文章になってしまい、時々燃やしてしまいます。なんだか、そんなこんなで、宇野さんのブログは結構好きなんですよね。

 ただ、まあ、宇野さんのブログを選んで読みに来るような方は、もともと男女差に関心がある方でしょうし、燃えた時しか見に来ない方は、性被害・男女差にあまり関心や知識のない方でしょうから、そういった方たちにも伝わるような分かりやすい文章で、具体例を出しながら書いたほうが、より、多くの人につたわるかな?とは思いました。

 また男性側も、男女からの痴漢被害、レイプ被害、ストーカー被害などの性的被害を受けているという着眼点も忘れないでほしいとも思いました。

 宇野さんには頑張ってほしいです。

 

おわり

 

■性被害関連の記事はこの辺にまとめてあります

 

実際に死んだやつはえらいのか?

 最近、体力はないんですけど、脳内がそう状態で書きたい!と思ったら書かないと気が済まなくて困ってるんですよね。ちょっとブログ依存症気味なんですけど、やっぱり、この記事の「実際に死んだやつはえらいんだという妙な価値観が~」って言葉が気になっちゃって「死」に対する感覚について書いてみたくなっちゃんたんですよね。だから、あんま上記のブログの本論とは関係ないのですが、ご容赦を。

 

防げる死なら防いでほしい

 私は、個人的には死んだ人がえらいとか、アメリカ映画で一人か少人数が犠牲になって全世界が救われて、のちにヒーロー扱いされる的な話は苦手です。

 宇宙人が不意打ちで襲ってきたとか、ゴジラを倒すために死んだとかならまだしも、外交交渉(話合い)が上手くいかなかったがための人間同士の戦争で、一部の立場の弱い人、責任感の強い人が戦って死ななきゃいけない話とか、すごくやだ。その死は、防げたでしょうよ?と思っちゃうから。

 

韓国で反日と学生運動が盛り上がっていた

 話が長くなるから端折るけど、私は若い頃8月15日前後3週間ほど韓国旅行に行ったことがあるんですね。で、なんで8月15日を挟んだかというと、その当時は韓国で学生運動が盛んで、韓国の「独立記念日」である8月15日には何らかの学生運動があると思ったんです。ですから、韓国の学生運動が見たくて、8月15日に韓国の学生通りに行き、すっごい大掛かりなデモ?を見たんですよね。おお、韓国の学生運動はまだまだ規模が大きいなぁと感心したものです。

 他にも独立記念館にも行ったんですが、あそこは資料よりも、戦中の日本軍の韓国市民への拷問を表現している蝋人形が目立って、資料館というよりも、本当に「記念館」で韓国の人は戦時中にこんなに頑張りましたっていうのを見せたい場所なんだろうなと思いました。まあ、こんなのを見たら反日にもなるわとも。

 さらに、たぶん、その当時は中国人よりも韓国人のほうが、子供の頃に強い反日教育を受けているっぽくて、中国人に「日本の戦争責任」について問い詰められることはありませんでしたが、韓国人にはちょいちょい「日本の戦争責任について、どう考えてるんだ!」と、からまれてました。

 

韓国人の人たちは普通にいい人

 誤解のないように言っておきますが、韓国に3週間いても、この人いやだなーと思ったのは4人くらいで、ほとんどの人は本当に親切にしてくれました。特に、韓国の田舎に行った時は、田舎の人ならではの優しさでいろいろとお世話をしてもらいました。また、英語圏で知り合った韓国人の人たちとも、とても仲が良く、家に遊びにいっておもてなしをしてもらったり、キムチ作りを見せてもらい、出来立てのキムチを食べさせてもらい、手土産までもらったりしてました。

 日本で会った北朝鮮籍の朝鮮人の方たちも個別に仕事や趣味で話をしているぶんには、本当に普通の真面目で善良な人たちでした。

 

政治の話が好きな韓国人男子

 どこの国の人かということは関係なく、日本人でも政治の議論が好きな人っているじゃないですか?お酒を飲むと政治批評、政治論議、政治批判が止まらなくなる人。英語圏に住んでいる時、韓国人グループの人たちと仲良くしていて、その中の一人に政治話好きな韓国人大学生(留学生)がいたんですよね。

 彼とは普段は仲良しで、みんなで一緒に花見にも行くし、一緒にクラスの休み時間にお菓子を食べたり、私がたびたび開く自宅でのホームパーティーに呼んだりしてたんですけど、なんだか分かんないけど、急に「反日」スイッチが入る人だったんですよ。

 で、長くなるから彼との反日談義はいずれ書くとして、韓国人の彼がね

彼「韓国のデモでは、体に火をつけて抗議して死んだ人がいる。彼は勇気がある。僕は勇気がないから体に火をつけるなんて偉大な行動はできないけど、勇気があったらやりたかった。本当に焼身したその活動家は勇気がある。って言うんですよ。

 当時は、政治的な問題に焼身自殺で抗議するってのが韓国で流行?していて、勇気のある行動として「〇身(そうしん?)」みたいな名前まで付いちゃって、英雄的に扱われる場合ものあったらしいのよ。

 もう、私、その言葉にキレちゃってね、

私「私はそうは思わない。政治に不満があるからって、自分の体に火をつけて死ぬことが勇気ある行動だとは思わない。そんなのただの感情じゃん。ただのヒステリーじゃん。政治に不満があるのに、体に火をつけて目立っただけで死んで何の意味があるの?」

彼「韓国人が政治に関心を持つし、政治活動に真剣になる。」

私「いや、韓国人は元々政治に関心が強いし、政治活動も真剣にしてるイメージがあるんですけど。韓国の○○通りに学生運動を見に行ったこともあるし、韓国のデモっていつもすごいじゃん。そもそも、政治を変えたいって思ってるのに、死んでどうすんのよ。死んだら何もできないじゃん、生きてないと続きの活動ができないじゃん。人一人が燃えたぐらいで政治が変わるの?活動を続けるからそこ変わるんじゃないの?死んで目立つだけで、活動を続けられないなら何の意味もないと思う。そんなの政治活動じゃない。ただの焼身自殺だよ。韓国人にとって、どんなに英雄的な行動に見えたとしても、外国人からみたら、ただの焼身自殺だからね。」

みたいな話をしたことがあるんですよ。でも、彼は「いや、彼は勇気がある!ららは分かってない!」って、最後まで歩み寄れませんでしたけどね。あ、ちなみに彼とはちょくちょくこういう政治ネタで言い合ってましたけど、それ以外では普通にみんなと一緒に遊ぶ友達でした。だから決して仲が悪くはありませんでしたよー。

 

死に意味はあるのか?

 私は「死」が精神的な意味で、特別なものだという感覚はそんなにないつもりなんですよね。「死」が「えらい」とか「美しい」とか「勇気がある」とか思わないっていう意味でね。ただ、心肺や脳が止まって体を維持できなくなり腐っていくだけっていうふうにしか思ってないの。

 ただ、私は育ちが悪いので、生きるのが辛くてしょうがないタイプなので、「死」が「最後の救い」みたいに思い込むクセはあります。だけど、それは単なる私個人の考え方のクセにすぎません。

 実は私の祖父は明治生まれの割と優秀な軍人だったらしくて、勲章とかもらってたらしいんですよね。で、私の父も子供のころに軍需産業に従事していたり、会社のOBにも戦争から帰ってきた人や、戦争で捕虜になってた人がいたりして、当事者から戦争の話を聞くこともあったの。

 で、当時は海軍に所属したか、陸軍に所属したかが明暗を分けたららしくて、陸軍は「突撃して死ね!生きて帰れると思うな!」みたいな教育が主流だったらしいんだけど、海軍は「生きて日本へ帰ろう。」が比較的主流だったっぽいんですよね。

 だから、戦艦なんかの船が沈んで浮き輪やボートが足りない時に、「お前は若いんだから、お前は生きろ。」と言われて、年配の上官から浮き輪を譲ってもらって助かった人の話も聞いたことがあるの。ちなみに、上官は力尽きて沈んで行ったそう。

 さすがにね、そういう、人を助けるために救命具を相手に譲ったなんて話なら、助けてもらった本人や、亡くなった上官のために「本望だったろう」と言うしかないと思うの。でも、このような人のために自分の命をなげうつみたいな状況でもない限り、「死ぬのがえらい」なんてことは、個人的にはあり得ないと思うし、あってほしくないです。

 

豪の収容所で自決した日本人の噂

 この話はオーストラリアに住んでいた時に聞いた噂で、真偽のほどは分からないんです。だから、そんな噂もあるんだって程度で聞いてほしいんですけど、オーストラリアのどこかに日本人収容所があったらしいんですね。

 で、その収容所はたまたま人権意識が高くて、待遇がいいとまでは言えないかもしれないけど、まぁ、普通に何の問題もなく生活できる収容所だったんですって。だけど日本人は捕虜になるのは恥、捕虜になって生き恥をさらすくらいなら自決するべきって、戦時教育で教わってるわけ。

 だから、一部のド真面目な日本人達は「自決するべきだ!」って言い始めたんだけど、普通の感覚の日本人は「いや、普通にご飯も食べられるし、居心地も悪くないし、日本に帰りたしいし、自決しなくてもいいと思う。」って意見が別れたんですって。で、多数決を取るとか取らないとか、色々揉めたらしいんですけど、結局、「じゃあ、自決したい人だけ自決すればいいんじゃね?」みたいなところで落ち着いたらしくて、自決したい人だけが、自決したらしいの。

 で、それを知ったオーストラリア人が、「へ?拷問してるわけでもないし、劣悪な環境で苦しめてるわけでもないのに、何で死んでるの?」って不思議がりましたとさ。っていう噂話なんですけど、典型的な死ななくてもいいのに死んだケースですよね。

※ネットで調べてみたらカウラ事件を短縮化して、オチを分かりやすくした噂話っぽいです。

 沖縄の読谷(よみたん)村のチビチリガマで、米国に対する知識があるかないかで、集団自決が起こったり起こらなかったりしたように、死ななくてもいいのに、思い込んじゃって死んだケースって戦争の時に限らずあると思うの。単純にうつ状態で死への願望があるとか、そういうことも含めてね。

 

栗城氏の行動は誰も止められなかったと思う

 だから、栗城氏の場合も上手く精神・心理の治療を受けて、自己承認や自己愛や虚言への欲求をコントロールできていれば、死なないですんだんじゃないかな?っていう点では、私的には「死ななくても良かったケース」にカウントされてます。

 だけど治療を受けてなかった、あるいは治療を受けていたとしても、ああいった行動をやめられず、周囲もとめられなかったんだとしたら、もう「その生き方しかできなかったんだろうから、本望でしょうよ。」くらいに思ってあげないと可哀そうだなとは思います。

 

まとめ

 登山家や冒険家は「死を覚悟で挑んでいるはず。」は、そうなんでしょうけど、私は栗城氏を冒険家とは認識できません。ド素人の私から見たら、栗城氏は(自己承認欲求や虚言癖でモンスター化した)ただの病人です。だから、なにも死ぬ必要はなかったでしょうに、誰か病院とかカウンセリングに連れていきゃ良かったのにと思ってます。

 まあ、しかし、重症すぎて、誰(医師・心理士でさえも)も助けられなかったとも思えますがね。病院に連れて行っても、通院をやめちゃうとか、医師・心理士の言うことを聞かなくて、結局どうやったって死んでたんじゃないかな?という気もします。

 まあ、まとめると、死んだやつがえらいとか、死んだやつがわるいとか、逆に生きてるやつがえらいとか、生きてるやつがわるいとか、そういった感覚は私は持ち合わせてないですね。けど、「死」を美化するのは上記の例えのように危険だと思うし、何より、私自身の好みとしては嫌いです。

 

おわり。

 

追記:xevra先生へ

 私もメンヘルだと推測してます。ただまぁ、命を助けることが目的だとしたら、地道なカウンセリング(心理のほうね)しかなかったと思うけど、あそこまで人格が固まってたらムリだったんじゃないかなという気もします。もし命を助けることができたとしても、時間がかかったろうし、時間がかかりすぎて間に合わなかっただろうしとも思います。しかも、本人も自分を変えたくなかったっぽいし、助かる道はなかったんだろうなとは思います。