女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

私は、弱者、とくに児童福祉の応援がしたい。

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私も大切な時期に賢くて優しい大人達に出会ったことで 道を踏み外さずにすみました。 親が力尽きてしまった家庭の子供は希望を見失います。 線香のような小さな光でいい。 もし、少しでもあなたに生きる力があまっていたら、 あなたが出来る範囲でかまわない。 「希望」という名の小さな明かりを灯してほしい。 その小さな光の数々が、きっと子供達の道しるべなるでしょう。(かつて私が、見知らぬ人たちが照らす明るい道を 不安と希望を抱きながら前に進んだように。 (と、今日はポエムチックに導入してみる・笑  いや、映像の音楽聴いてるとヒロイン気分になってくるんです。ほんとに。)

 

私の生まれ育った家庭はメチャクチャでした。 小学生のとき、冬でも靴下を履いて学校に行くことができませんでした。 そんな子は学年に1人もいないくらいの豊かな時代でした。 とある学芸会の日の朝、知らないおばさんが「よかったら、これ履いて^^」と 暖かそうな靴下をくれました。

 

おそらく同級生の子が「ウチのクラスに、靴下を履いてこない子がいる。」と 母親に話したのでしょう。 ずっとは無理だけど、せめて学芸会の日くらいは暖かい靴下を履かせてやりたい、 その女性はそう思ってくれたのでしょう。 私は、子供なので何も分からず、その靴下を受け取りました。 もしかしたら、お礼も言わず受け取ったかもしれません。

 

高校時代、昼ごはんを学校に持っていくことができず、 それを同級生に知られるのが恥ずかしくて、毎日、 昼時になると校舎の裏の非常階段に座っていました。 それを見つけた担任教師が(その時の担任は20代の独身男性で お母様の手作り弁当持参で学校に来ていました。)、それ以降、 週に何回か自分の分と私の分の2つの弁当をお母様に作ってもらって、 学校に持って来るようになりました。(もちろん他の生徒には内緒で)

 

私が不登校になっても、自宅に電話してきて 「今日もお袋が2つ弁当作ってくれたから、学校に食べに来い。」と 電話をしてきてくれました。それでも私は学校に行ったり行かなかったり。 心を病んでる思春期の子供なんて、そんなもんです。 でも、私の担任はそれくらいで心が折れるような弱い人ではありませんでした。 私を国立大学の推薦枠にねじ込み、国立に落ちた時のことも考えて 働きながら通える短大まで探しておいてくれました。

 

結果、私はその国立大学に合格しました。 私の家がメチャクチャなことは近所の人も、 同級生も、学校の先生も、みんな知っていたので、 係わり合いになりたくないと距離を置く人たちも多かった中、 「優しさ」や「希望」を分け与えてくれる人が何人かいました。 世の中には「優しい人」や「賢い人」もいるんだ… と、その後ろ姿で教えてくれる人たちがいました。 誰かからもらった小さな思いやりを、 誰かに返していけるような人生にしてゆきたい。

 

自分の死を意識するような歳になってくると、 そういうことを考え始めるものなんでしょうね。 そう思いはじめてから随分たつのですが、実際は、 「金策」や「老化のスピード」と戦うことで精一杯な毎日。 でも、私は生きる力があまっているほうだと信じて 少しでも、できることを…と思いながらも たいしたことができてない日々です。