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女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

昭和フェミニズムへの賛歌。田島陽子先生が好きだ!

フェミニズム・ジェンダー 生き方・考え方

むかしフェミニストだった人は、いい母親になれると思う。

50歳でも60歳でも里親になってほしい。

 

自分でかせげるとか、物やお金を恵んでもらえる能力があるなら、

それは才能です。

すなおに恵んでもらって、

すなおに笑顔で 「ありがとう!」と言って、もらいましょう。

 

男女、大人、子供、関係なく、お金も物も、

出したい人が出しているし、親が小さい子に貢ぐぶんは当たり前。

成人以降に親に頼った分は返すべきだと思うけど、

それは現金で返せなかったら、別の形の奉仕で返せばいいと思う。

もし、自分自身の気が引けるのなら。

 

女で恋愛や夫婦間で母子関係を作ってしまって、女性側が関係性において

圧倒的に強い力を持ったとしましょう。

私のように、男とのデート代を女性側が支払うことをためらわなかったり、

男を養うことに特に疑問を持たないような、母性体質の女性たちは、

お金を返せ!裏切ったな!的なのは、

多少あったとしても 適度な復讐でとどめて、

「はい、次いってみよー。」的なのでいいと思う。

それで傷つくのは自分だから。

自分の「女としての誇り」が傷つけられるだけだと思うの。

 

人間って「人としてどうありたいか? 」ということと、

「今の自分にはこれしかできない、ここまでしかできない。」

ということのすり合わせで、毎日、毎日が精一杯なんだと思う。

 

本妻、愛人、単体、生き方は何でもいいと思う。

ネット引きこもり系女子は、

親がもつれてるか、

自分で食えない劣等感か、

私自身が持ったような感覚を必ず持つ時期があるのだと思う。

今すぐ乗り越えろ!とは思いません。

 

だし、経済戦争でも、科学・文化・芸術の戦争でも、

つきつめなければならないという理由はありません。

実家をベースにできるのなら経済的にはやや安定しますが、

血族とのトラブルは他人とのトラブルより、揉める内容が

金=命、利権に直結しているので、揉め方がえげつなくなるのは

覚悟をしておかなければいけなくなるでしょう。

 

主役にならなくても、補佐でもよいのでしょう。男も女も関係なく。

何歳になっても彼氏や彼女をたくさん作って、

そこからエネルギーを作ればいい。

私は中途半端路線まっしぐらで、人生にランク付けをできるなら、

B級にもなれず、おそらくE級~F級で終わるかもしれません。

それでもやりたい人は自分で勝手に突き詰めていっちゃうし、

表舞台に立ちたい人達は、舞台に登って行っちゃうし

目立ちたくないなら、表でものを言うのをやめればいい。

 

表立って、目立ったことをしてしまえば、

矢面(やおもて)に立ちたいと宣言したのと同じだと思う。

ネットは匿名じゃないと何も言えない時代もあったと思う。

だけど日本語のネット社会もバカばかりではない。

 

裏で、遠まわしに難しい言葉で

暗号のようにしゃべらなければいけないような そんな時代は、

自分たちの手で終わらせよう。

 

田島陽子先生の偉業は大きい。

それをネット上で匿名でやった人たちが

いたとしたなら、それは偉業です。その偉業をたたえます。

経済活動だけが人生じゃない。

食えりゃ、仕事なんて、なんでもいい。

私は自分を発信する人が好きです。

 

ネットでもリアルでも。

 

ネットフェミニスト=ネトフェミと呼ばれていた人達がいたらしい。

私が2週間戦争をしたのはこの「ネトフェミ増田」だったのかもしれない。

私はのちのちそのことを知ることになったのですが、

田島陽子さんのように、テレビで感情論も含めて、

相手の意見にタックルしていく女性は本当に必要だったと思う。

それに、あの頃の舛添さんの、にわかに気取ったマチスタ感に

イライラしていた女性たちも多かったでしょう。

 

あの二人のケンカはエンターテイメントとしても面白かったし、

田島さんの「女性であるというだけで不当な扱いを受けた。」

という、怒りの爆発ぐあいは、

ある意味、芸術的でもあったと思うのです。

 

田島陽子はっ!爆発だぁああ!(岡本太郎風味)