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女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

守っていらない。

松任谷由美氏の「守ってあげたい」という歌がありますが、

これ、マチスタで女神像を求めているような男性や、

白馬に乗った王子様や、騎士にあこがれているような女性には

たまらない曲なんだと思うんですよね。

 

私も20代くらいなら、うっかり、この曲みたいなことを

思ったのかもしれませんけど、

さすがに、よいお年ごろになってきますと、

この歌くらいの圧で「守ってあげたぃいいいい!」って

寄ってくる男性って、怖いです。ハイ。

まあ、いい年のおばさんに、守ってあげたぃいいいい!って

寄ってくる男はいませんから、大丈夫ですけど、

若い男女は「守ってあげたい組」の

餌食になる人達も少なくないのではないかと。

 

私、「守る」って、すごく重い言葉だと思うの。

そもそも、人が人を守れるの?という謎があって、

例えば戦争が起きて、戦場にいて、誰かが銃で撃たれようとしていて

自分が盾になって守れる?って思うの。

 

逆に、誰かが盾になって、それで守ってもらったとして

次は自分が撃たれるだけじゃん?

って、思っちゃうんですよね。

みんな、自分の身を守ることで精一杯で、

他人を守っている余裕なんてないものなんじゃない?

としか思えないし、最終的には自分を守れるのは自分だけ。

 

上記の戦場の例のように、誰かに盾になって守ってもらっても、

最終的に、自分自信が危険にさらされたときに、

自分で自分を守れなかったら、そこで、一巻の終わり。

 

「守ってあげたい。」なんて、のんきなことを言ってる人は

その人自信が親とか配偶者とか我が子とか恋人とか愛人とかに

守られている人で、

自分自身を守る必要がない人なんじゃないかって

思えてきちゃうの。余裕がある人なんだろうな~ってね。

 

私なんか、ずーっと自分を守るので一杯一杯だったから

誰かを守ってあげたいと、積極的に思ったことはないし、

結果として守っちゃったことはあったけど、それは

自分の独善的な気持ちからやったことだったから、結果にすぎない。

 

自分を守ることができるのは自分自身しかいないし、

自分を救えるのも自分しかいない。

 

それなのに、人の事を「守ることができる」なんて、

うぬぼれたことを言う人は、いざとなったら自分の身すら、

守れない人なんじゃないか?って、

ちょっと、信用ならない気がしちゃうんですよね。

 

守ったり守られたりする状況って、

実際の社会では、あるにはあるけれども、

「まもってあげるからねぇえええ!!!」って

守るわけではなくて、突発的に起きた事柄に対して、

冷静に、適正に動いてもらった結果のおまけとして

守られているだけだと思うの。

 

だから、最初っから、何にも問題が起こってもないのに、

守ってあげぅうううう!!って張り切ってる人って、

単純に、自分の中に何か満たされないものがあって

それを、埋めたいだけなんじゃないかって思うの。

自分の中にある空虚な隙間みたいなものを埋めるために、

誰かより優位にたった気分になりたくて、俺(私)には、

人を守ってあげられるだけの力や能力があるよ、

演じたいだけなんじゃないかなーって思っちゃうの。

 

というわけで、ひねくれものの私は

「守ってあげたい。」なんて恩着せがましいことを言われたら、

守っていらないです。自分のことは自分でなんとかします。」

と、できもしないくせに言ってしまいそうです。

実際、何度か、こんな感じのことを言ったことがあるんです。

私は女ですから、男性がお節介をやいてくれようとするって

まま、ありましたし、そのお気持ちがありがたいのは当然です。

 

ですが、親切を通り越して、「干渉」になってきた時に、

やはり、それは守りたいのではなく、

支配下に置きたいのではないの?と感じてしまったことも、

なくはないです。

 

人が人を守れるなんて、

ずうずうしいことを考えてもいいのは

20代くらいまでじゃないかな。

人間って自分の力で立ち上がるしかないし、

色んなリスクや危険は自分で避けるしかない。

 

戦うときには仲間が必要なんだろうけど、

それも、自分自身で作った仲間でないと

いざというとき、裏切られる確率が高くなりそう。

 

誰かが誰かを、黙って見守るということしか

実際には、できないんだろうな。って、

ただ、黙って見守ってくれる気持ちが時間も空間も超えて

伝わっているよ。って、ロマンチックなことを

ふっと、思った鈴虫の鳴く夜。