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女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

精神科に頼る坊主と、東滴壺の君と、君の友達

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人間、生きていれば多少、精神を病んだり、何かに救いを求めたりするものなのでしょうね。瀬戸内寂聴さんも毎年出版なさる「暦(こよみ)」に、積極的に精神科に頼るよう、何回も書いていらっしゃいます。

 

寂聴さんくらい長生きしてしまうと、心も体も元気一杯なんてことはあり得ないと思うんですね。現在は癌も患っていらっしゃいますし、寂聴さん自身のエッセイを読んでいても、寂庵を支える周囲のスタッフの方々に、チクチク当たってしまったことを書いていたりもします。人間、そんなにキレイに、キチンとは生きられない。有名なお坊さんである瀬戸内寂聴さんでさえも、精神科医は仏様に見えて、看護師は観音様に見えると、精神科に頼っている様子を執筆物に書いていらっしゃいます。

 

自分に完璧さを課してしまったり、今の自分は本当の自分ではないというような、現実逃避的な考えは、どんどん、捨てていかなければ、つらくなる一方なんでしょうね。

 

病んでいる自分。

貧しい自分。

うまく働けない自分。

 

そんな自分を、否定せずに生きてゆけるようになるために、私自信は、まだまだ、修行中です。

 

私には、支えとなっているハガキが何枚かあります。

私が憧れてやまなかった方。「東滴壺の君」と光源氏ふうに呼んでおきましょうか。その方からのはがき。そして、「寂庵」に寄付をした際にいただいた差出人が「瀬戸内寂聴」名義のハガキ。そして、学生時代からの友人、後輩からのハガキ。箱に詰めて宝物として、とってあります。

 

会いたいけど、もう会えないかもしれない人達。せめて、その生々しい筆跡だけでも見て、強く生きるんだよ、と願うことしかできない私。特に歳を重ねてしまったら、体は弱ってゆく一方だから、気構えくらいはしっかりしておかないと、崩れてゆくしかないんだもの。しばらく前、キャロルキングの「君の友達」という曲を、ある方に贈りました。私の電話番号と一緒に、この曲を聞いてくださいとメモ書きを、人づてに贈りました。

 

 

私は、いつでも強く、自由な存在であるから、お話を聞いて差し上げることしかできないけど、いつでも電話をしてきてねって。結婚していようがいまいが、男であろうが女であろうが、人と人とが助け合うことを、いやらしいふうに捉えるのは苦手です。

 

こんな、自分語りのブログを書いていて、こんなことを言うのはおかしな話なのですが、私は、リアル社会では自分の話をするより、人のお話を聞くほうが好きなんですよね。

 

 私は病みはするけど、折れないし、潰れない、だから、いざとなったら、あなたの親友として脇を支えることくらいできるのよ。って、できなくても、そう思っていれば、きっと、本当にそうなる。私も、強く自由な存在であり続けるために、あらゆる努力をしているから、私に関わる全ての人たちも自分のやり方で自分の人生を貫いて欲しいと、ふと、願ってしまった寒い日の夕方なのでした。