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女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

勝ち組・負け組って言葉はもう古いけど。

 

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私は生まれ育った家庭がめちゃくちゃだったこともあり、下品で世間知らずで人の気持ちの分からない人間として育ちました。物心ついた頃から働いていなかった父親は、私に「中学を卒業したら働いて家計を支えるように。」と言ってきました。私はそれが悔しくて何とかお金を工面して、自力で国立大学に入学しました。生活費や学費を工面するため働きながらの通学だったり、若気の至りで色々と寄り道をしたため7年半もかかりましたが何とか大学を卒業することができました。卒業する際に、世間知らずで何の計画性もなかった私は特に就職活動もせず、当時働いていたアルバイト先でアルバイトを続けて生活するとこにしました。


 大学を卒業して、私はフリーターとしてその時々の状況に応じ、アルバイトを2つ掛け持ちしたり3つ掛け持ちをしたりして生活を支えました。大学時代の友人たちは順風満帆に出世路線まっしぐらの人もいれば、仕事もせず落ちぶれてしまって行方の分からなくなってしまった人もいました。私自身「何とかなるだろう。」と安易な考えでアルバイトを続けていた結果、度重なる不景気の波で働く先々で業績不振で仕事を失ったり、会社自体がなくなって職場を失うということも多くなりました。

 

 それ以前に、仕事で地位が高くなったり、給料が増えるようなことがあると、それに見合った能力や忍耐力が必要とされるようになり、要求される職務を果たすだけの能力が自分にないために仕事がうまく進まなくなったり、管理職に必要なコミュニケーション能力や忍耐力が足りないために苦しみばかりが増してゆき、その度に仕事を辞めてしまう始末でした。


 勝ち組か負け組かというと、ずっと負けてきた人生だったと思います。若い頃は高齢の方が昼は工場で働き、夜は飲食店でアルバイトをしているというような姿を見ると、「かわいそうに…」と、どこか見下したような考えでいました。でも、自分も二つ、三つのアルバイトを掛け持ちしならがら、ぎりぎりの生活をするようになってから思ったことは、「今の私の歳でもアルバイト2つ掛け持ちするなんてキツイことなのに、あれだけのお歳で仕事をを2つも掛け持ちしていたなんて、なんて立派なことだったんだろう。」ということでした。

 

無知とは本当に怖いものです。

 

負け続けた人生で思い知ったことは、自分では死ぬほど一所懸命がんばったつもりでも人並以下の仕事や生活しかできない人や、健康やお金などをある日突然何かの事情で失った人の悲しみや苦しみ、そしてそれでも前向きに生きてゆこうとする人間のたくましさでした。そして、諸事情で地位や経済面で負けている人たちでも「心」という面では誰にも負けていないということも多々あるということでした。負け組と呼ばれる人たちの中には、能力の高い人から見たら「なんで、そんなこともできないの?」というような能力の低い人間、弱い人間もいるのですが、そんな人たちにも怒ることなく「おもいやり」の気持ちをかけてあげようとする忍耐強い人もいるということを知りました。


 逆に、勝ち組の友人たちは、世間から見て「すごいね~。」と言われるような職業や地位にいて、経済的にも成功していたり安定していたりしますが、血のにじむような努力や並々ならぬ我慢を何十年も続けてきています。それは、今にも精神のバランスを崩すのではないかと心配になるほどのものである場合もあります。成功しているように見える友人たちと連絡を取ることがあると、それだけのストレスを毎日毎日処理しなければ社会的に経済的に成功しないのであれば、アルバイトを2つも3つも掛け持ちする生活の方がはるかに楽かもしれないと思わされることもあります。

 

 一時期うまくいっているように見えた友人が何かのきっかけで落ちぶれて行ったり、落ちぶれているように見えた友人が起業していたりすることもありました。勝ち組と呼ばれている人たちがずっと勝ち続けているわけではないかもしれないこと、勝ち続けてゆくことは大変であるということ、いつ負け組に転落するかとビクビクしながら生きていかなければいけないこと、それは負け続けてきた私には心の底から共感して理解してあげることのできないことで、本当に申し訳なく思います。


 その人その人に、どういった能力があり、どういった個性があったとしても、目の前にある大切なこと、幸せなことを見過ごさないよう目をこらしていれば人生はそんなに悪いものではないような気がします。目の前の大切なこと、大切な人はあまりににも近すぎたり、あまりにもささやかに見えて、それが自分の大きな幸せに通じているということを忘れがちになります。だからこそ、意識して、身の回りにある幸せを大切にしようと思った今日この頃です。