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女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

卑怯も不幸も才能だと思う。

ネット社会について考える

久しぶりに料理ブログもUPしたので、こちらも合わせてどうぞ-☆

 

数年前に書いた記事のお引越しです。まだ、ネットのライトユーザーで、ネットの深い闇を知る前に書いた記事なので、ちょっとお花畑な記事ですが、一応、その当時はそう思っていたということで、UPしておきます。

 

■人が不愉快になるような文章を書ける人

 たとえば、その方のことを全く存じ上げなくても、前後の文章や毎日の状況の変化から、明らかにすぐばれるような嘘や見栄をず~~っと書き続けているブログ。あるいは、自分が不幸なのは夫のせいだとず~~っと夫を責めている人のブログ。ブログ村などのランキングサイトに登録している方で、順位を争っている他のブロガーさんがアップした記事に対して、毎回毎回批判的な記事をアップする人のブログ。

 

 まあ、どれも読んでいて気持ちのよいものではないので、2.3記事読んだら「このブログ、合わないなぁ。」と、その後全く読まなくなるワタクシなのですが、最近は「卑怯」も「不幸」も才能なのではないかと思うんです。

 

■ネットの世界ならかせげるという現実

 考え方が「不幸な人」「卑怯な人」「虚言壁のある人」なんかは、生身の体のある現実(リアル)社会では恐らく、人様からの信用を得られず、高給取りになるという道にはたどりつけないかもしれない。ですが、ネットの世界だと、ずっと怪しげな見栄を張っている人や、ずっと夫のやることなすことにケチをつけている主婦のブログ、あまり現実的でない政治批判をずっとしているブログなんかも、ランキングサイトで上位にいたり、安定して50位以内には入っていたりするんですよね。

 

 読み手がわは面白がっているのか、共感しているのか、ああはなりたくないと思うのかわかりませんが、これでアフェリエイトなんかをやれば、多少はかせげるのでないかと思うんですよね。ネット社会ができる前はリアル社会しかありませんでしたから、考え方に問題のある人は人とうまくやっていけないので肩身の狭い思いをして、お金にもあまり縁がなく、身近な人や社会を恨んでよかららぬことを考える人もいたかもしれません。

 

 ですが、ネットの世界は一方的に自分の思ったことを発信できる面もあるので、人とうまくやっていけるかいけないかなんて関係なく好き放題書ける。ので、炎上的なことで閲覧者を増やし広告収入につなげることができるうえに、コメント欄を閉じておけば自分のブログが炎上して閲覧者が多いのか、人気があって閲覧者が多いのかなんて誰にもわからない。これって、結構幸せなお金の稼ぎ方なのではないかと思うんですよね。

 

■卑怯も不幸も他罰的も才能かと

 私自身に置き換えたとき、私の書く文章で不愉快になる人はいると思います。ですが、毎回毎回、安定して高い水準で人を不愉快にさせるくらい「卑怯」な記事や「不幸」な記事を書き続けるなんて、誰にでもできることではないし、さらにそのブログが何人もの人を呼び寄せるだけのエネルギーを持っているって、これはもう立派な才能なんじゃないかと思うんですよね。

 

 少なくとも私は「意図して、高い水準で人を不愉快にさせ続ける記事を量産してくれ。」と言われても書けないですから、やっぱり、才能だと思う。リアル社会しかなかった20年前くらいと比べると「ネット社会」は性格破綻した人なんかが生きやすかったり、お金をかせげる世界なんだと思う。ネットの社会は荒れるかもしれませんが、ネットの社会でストレスを発散できて、リアル社会で犯罪を起こさないですむならそれに越したことはないと思う私の考えを不愉快に思う人もいるでしょうね。

 

 SNSを含めてネット社会がきっかけで起こる犯罪もあるのでしょうが、ネットでストレス発散できているから、リアル社会で反社会的な行動を実行しないですんでいる人もいるでしょう。そう考えると「卑怯」「不幸」「他罰的」なブログなんかを地道に書き続けて、広告収入を得るという生き方は結構、堅気(かたぎ)な生き方だと思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

 

 ちなみに、寺山修司氏、三島由紀夫氏、川端康成氏なんかも、なんとな~く「不幸」エネルギーを爆発させた派だと感じているワタクシです。異論反論がおありの方もいらっしゃるでしょうが…