女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

数週間から数日で気分や体調が変わる人はラピッドサイクラーかも

blog.lalamiamor.net

 

 上記の記事で、少し触れましたが、ここ数か月間、出力ゼロの日と、出力200%みたいな日を、数週間、または数日おきに繰り返していました。

 

 私にとって、出力ゼロというのは、起き上がりたいと思っても体を起こすことができない状態のことです。トイレに行きたい、水が飲みたいと思っても、しんどくて体を起こすことができないのですが、たまに体に力が入りそうな一瞬があって、その時にパっと起き上がって、トイレに行って、水を飲んで、なんとか脱水症状を免れるという感じです。

 

 今は結婚したので、夫が帰ってくると強制的に食事をとらされるので、一人暮らしで寝込んでいたときのように脱水症状や、栄養失調からくる衰弱で体がむしばまれるということはなくなりましたが、食べる体力がないのに無理くり食べさせられるのは精神的にはしんどいです。贅沢な悩みですみません。

 

 さらに出力だけでなく、インプットも苦痛で、光や音などの全ての刺激を排除しないと、神経過敏でしんどいのでカーテンを閉め切って、さらに目にタオルを折ったものを乗せて横になっていました。テレビやネットなど、到底見られないので、ブコメやブログに全く現れなくなった時は、そういう時だと思ってください。

 

 夫が仕事から帰ってきて、私のための食事を作ってくれる音を聞いて、本当は私がやらなければいけない仕事なのに…と情けなくなっていました。(貧乏なので総菜や弁当という選択肢がウチにはないのです。)

 

 どうしても体が起こせず、食欲もない日が少し続いたかと思ったら、今度は「おなかがすいたー!」と、朝から元気いっぱいに朝ご飯を作ることができて、もりもり食べることができて、という日が続いたりします。そういう日は、何かやっていないと落ち着かないくらいエネルギーにあふれていて、自転車で数か所に買い物に行って、夫のお弁当を何日か分作り置きし、ご飯のおかずも数日分作り置きし、あちこちを丁寧に掃除し、それでもエネルギーがありあまって、もてあましてしまいブコメやブログに取り組んだりします。

 

 こういうふうに「そう状態」と「うつ状態」を繰り返す症状を、双極性障害と呼びます。100人に一人がかかる病気ともいわれています。双極性障害は通常、数か月単位で「そう」と「うつ」を繰り返すらしいのですが、私の場合は、子供のころから、今日は起き上がれる!という日と、今日は起き上がれない…という日が数日ごとにあり、起き上がれない日は学校も休んでいて、出席日数もぎりぎり足りるか足りないかというような問題児でした。

 

 昨日も、「ああ、小学生の頃も学校に行かずに、こうやって布団で寝ていたなー。私は、子供のころから双極性障害だったのかなー。」なんて、思いながら寝込んでいました。

 

seseragi-mentalclinic.com

 

 このような話を担当医としていたら、担当医が「ラピッドサイクラー(Rapid Cycler:急速交代型)」ではないかと、教えてくれました。通常の双極性障害が数か月単位で「そう」と「うつ」を繰り返すのに対して、ラピッドサイクラーは数週間ごとに「そう」と「うつ」を繰り返すのだそう。そして、数日単位で繰り返す症状を「ウルトララピッドサイクラー」と呼んだりするのだそう。さらに、先日、私の甲状腺機能が低いことをブログでご報告したのですが、ラピッドサイクラーと甲状腺機能低下症の合併が多い、また女性に多いということで、当てはまることしかないので、ラピッドサイクラーの治療を始めようということになりました。

 

 ラピッドサイクラーは抗うつ剤ではなく、安定剤的なものを服用するべきだそうです。逆に抗うつ剤の服用によって、双極性障害の症状がラピッドサイクラー化する可能性もあるそうなので、双極性障害でサイクルが短い人は担当医に症状を話してラピッドサイクラーかどうか診断してもらいましょう。

 

 私は、子供のころからこの症状に悩まされていて、精神科にも長いことかかっているのに、この病名にたどり着くまで数十年かかったことを考えると、精神科で「病んでいる患者自身」が担当医に自分の症状を正確に伝えることのむつかしさについて、感慨深い気持ちになりました。もしかしたら、同居している夫のほうが客観的に私の症状を把握していて、夫が説明していれば、もっと早く的確な診断を仰げたのではないかと思ってみたりもしましたが、これだけ長い間、精神病を患っていると、病気と共存していく覚悟も決まってきました。

 

 朝起きて、昼は活動をして、夜は寝る。たったそれだけのことができない苦しさと共に、今日も明日も生きてゆくのです。