女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

おひつ問題と黙って置かれた湯飲み

 最近、旅館の食事が出される際に、上座に座っていようと下座に座っていようと女性側に「(ご飯の入った)おひつ」が置かれるということについて、ご飯は女性がよそおうものなんていう考えは古い、男尊女卑だということで話題になっているそうです。

 

 私はその話題をテレビで見たのですが、いろいろな国の男女にその件に関してインタビューをしていて、日本人の若い女性たちは「女がご飯をつぐのが当たり前というのはおかしい、真ん中に置けばいいと思う。」と言い、日本人の中年のおじさんたちは「自分側におひつが置かれたらいやだ。」「俺のほうに置かれたら、嫁のほうに押し戻す。」と言っていました。

 

 アメリカ人の中年夫婦は「真ん中において、自分でつげばいいと思う。」と言い、インドネシア人の若い男性は「女性にそんなこと(ご飯をつがせる)なんて、させられないよ。」と言っていました。

 

 日本人の若い男性、日本人の中高年の女性に話を聞いていないのがちょっとズルいなと思いましたが、こういった話は同じ国の中でも、革新的な都会と封建的な田舎では話が違ってくると思いますし、どの国であっても世代によって考え方が違うと思うので、この数人のインタビューで、世界的に見てどうなのかといういうことは判断できないと思いました。

 

 この「おひつ問題」のニュースを見たとき、私はある光景を思い出しました。

 

 若いころ、一泊二日の人間ドックに行ったことがあるのですが、夕食時、人間ドック棟の食堂でご飯を食べていると、目の前の席で50~60代に見える夫婦も食事をとっていました。

 

 そして、その夫が、いきなり妻のほうに向かって「ガンっ」と、乱暴に湯飲みを差し出しました。「お茶お願い。」とか、そういった一言もなくです。そして、妻は当たり前のようにお茶をつぎ、夫に差し出しました。そのあと、夫側は「ありがとう。」の一言もなく、もくもくと食事を続けました。

 

 私は、家が徹底した男尊女卑の家で、家庭内で「女だから」という理由でひどい差別を受けてきたので、もう、それを見たときは、腹が立って仕方ありませんでした。お茶をついでほしいなら、そう言えばいいし、ついでもらったらありがとうだろ?てか、子供じゃないんだから、お茶くらい自分でつげるだろ!と本気でそう思いました。

 

 私が若いころは、「女は煙草を吸うもんじゃない。」「女はお酒の席でお酌をするのは当たり前。」「女はニコニコして愛嬌があればいい。」みたいな考え方がまかり通っていて、女性もそういう流れに逆らえないからか、そういった男たちにでもよく思われたいのか、酒の席などでニコニコしなからお酒をついでいました。

 

 私は、そんな了見の狭い男たちに対抗するために、たばこをぷかぷかと吸い、お酒を浴びるほど飲み、飲み会でも「私、お酒のつぎ方が分からないので。」と言って、断固としてお酌を拒否していました。「私がついだら(つぎ方が下手すぎて)酒がまずくなるから、ほかの人についでもらってくれ。」と、一応、謙虚に拒否したつもり。あは。

 

 会社のおじさん上司に、「お前、左利きなのか、親が右利きになおしてくれなかったのか?かわいそうに。」と言われた時にも、「左利きで特に不便はないですよ。」返す始末。すると、おじさん上司は若い女に反抗されたことが気に入らなかったらしく、「左利きは早死にするっていうよ?」と言い返してきたので、「太く、短く生きるので大丈夫です!」と元気よく言ってみました。おじさん上司は「こいつには何を言っても無駄だ。」と思ったらしく、それ以上はからんではきませんでした。

 

 また、話が脱線してきましたが、それくらい負けん気が強く、女に無礼な態度をとったら許さんぞ!と思って生きてきた私ですが、夫と暮らすようになって、少し考え方が変わってきました。

 

 私は育児放棄と虐待のひどい家庭で育ったので、家の中にいても家族と口をきくということがありませんでしたし、それぞれがそれぞれの部屋にこもって部屋から出ることがなかったので、接触もありませんでした。誰も食事を作りませんから、一緒に食事をとるということもありませんでした。ですから、家庭の中には、一緒に過ごした時間と同じだけの暗黙のルールの積み重ねがあるということを全く知らなかったのです。

 

 ですが、夫と暮らすようになって、夫には豚汁に入れる芋はサトイモでないといやとか、カフェオレには砂糖を入れないとか、トイレのフタは閉めないといやとか、リビングの扉は閉まっていないといやとかのこだわりがあるということを知って、人には細かいこだわりがあって、共同生活をするのであれば、お互いが気持ちよく過ごせるように、こだわりのすり合わせをしなければいけないということを知るようになりました。共同体としての生活経験のない私には、そういった協調性が大きく欠けていたのだと知るようになったのです。

 

 そして、何年もかけて、さつまいもが安いからといって、豚汁にさつまいもを入れてはいけないとか、風を通したいからリビングの扉を開けたい時は夫のいない時に開けるとか、細かな暗黙のルールが決まっていきました。

 

 逆に、夫は私の家事ががさつでイライラするというので、「じゃあ、自分が気に入るようにやってください。」ということで、料理以外の家事は夫がやるようになり、今では、何も言わなくても夫が掃除や洗濯や食器洗いの段取りをして、自分の好きなようにやるようになりました。逆に私が、気まぐれで洗濯をしたり、食器を洗ったりすると「お、ららちゃん、洗濯してくれたんだ!ありがとう!」と言われたりします。(食器洗いは、食洗器への入れ方がガチャガチャだから、もうやらないでくれと今だに怒られたりもしますが(笑)基本的には、こだわりがある方、こだわりが強い方が、自分の好きなようにやるというルールになったので、家の中のことは、こだわりの強い夫がほとんどやるようになってしまいました(笑)(たとえ夫婦であっても、人様のやってくれたことにはケチをつけないという裏ルールもあるからバランスがとれているんですけどね。)

 

 おひつ問題に戻ると、もし、旅館で私のほうにおひつが置かれたとしても、おそらく、夫が「ららちゃん、ご飯ついであげるねー。」と、夫がおひつを自分のところに引き寄せて、ついでくれると思います。古い考え方の人だと「男に飯をつがせるなんて…」と思うかもしれませんが、我が家では、夫が私の世話を焼くのが好きなので、夫がつぎたいからつぐというのが最適解なわけです。

 

 それと同じように、あの人間ドックの夫婦も、夫がお茶をついでほしいと思っていて、妻がついであげてもいいと思っていて、それが二人の間でなんのしこりもなくなされている習慣なのであれば、特に問題ではなかったんだと思えるようになってきたのです。二人で仲良く人間ドックに来ているくらいですから、夫婦仲が悪いとは思えませんし。

 

 旅館側も、女性側に置けば、「女につがせるなんて。」となり、男性側に置けば、「男につがせるなんて」って話になるのだから大変ですね。本来は取りやすいようにと気を利かせたつもりなのでしょうから。

 

 私個人としては、そんな騒ぎにならないためには、真ん中に置くか、プライベートでなく力関係のある人間同士の食事なら上座・下座を気にするでしょうから、下座に置くかで良いと思うのですが、きっと育ちや立場によって考え方が様々な案件なんだろうと思った次第です。