女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

夫に「察する」ことをやめてほしい話

 

 うちの夫は察するのが好きだった。というよりも、察しなければならない、あるいは察することが美徳である、と考えていた節がある。夫と結婚して分かったことだが、夫の母親が「察する」ことが好き(相手の要望に沿っているかどうかは関係ない)で、息子である夫にも「察する」ことを要求していたっぽい。

 

 私が、何回も夫にクリスマスプレゼントはいらないと言っているにも関わらず、夫が、全く私の好みでない洋服を私に内緒で買ってプレゼントしてくれたことがある。いわゆる、サプライズプレゼントだ。その時は、仕方なく喜んだふりをしたが、いらないのだ。好みではないのもあるが、私は家の中に物が増えること、自分の持ち物が増えることが極端に嫌いなのだ。物は買ってほしくない、いや、もっと言えば買わないでほしいのだ。

 

 当時はそこまでキチンと夫に説明ができていなかった。私はプレゼントはしないでくれと頼んでいたが、夫は、うちが貧乏だから私が遠慮していらないと言っているだけで、本当はほしいのだろうと、勝手に「察して」くれたのだ。そして、これが妻の好みだろうと「察して」、勝手に買ってくれたのだ。夫の推測は全て外れた。だが、私は「夫が私を喜ばせようとしてくれた。」と「察して、」いりもしないプレゼントを喜ぶふりをして受け取った。それが、のちのち仇となる。

 

 私が過食症を患っているのを何とかしてあげたいと思ってくれた夫が、ネットで調べて「過食症に効く」という3千円サプリメントを買ったのだ。私に内緒で。

 

 我が家は、そのころ超絶貧乏だった。どのくらい貧乏かというと、私の独身時代の貯金がなければ、生活保護をもらうしかないくらいに収入がなかった。だから、私は強烈に家計を引き締め、夫がちょっとでも高いもの買ったら激怒していた。

 

 だから、夫は3千円のサプリメント買いたいと言ったら、私に怒られるだろうと「察して」、私に内緒でサプリメントを買って、私に飲むように伝えた。

 

 夫は3千円のサプリメントを注文すると怒られるとは「察した」が、その3千円が家計を超絶圧迫するということや、サプリメントを私に渡す時に怒られるというところまでは「察する」ことができなかったようだ。

 

「何で、買う前に相談してくれなかったの?」と聞くと、「相談したら、いらないと言われると思ったから。」と言われた。そう、察したらしい。

 

 こんなこともあった。自分がのどが渇いたから飲み物を買いに行く夫。勝手に私ものどが渇いているだろうと「察して」、勝手に私は甘い飲み物が好きだろうと「察して」、勝手に甘い飲み物を買ってきて、私に「あげるー」と渡してくれた。私は「ごめん、甘い飲み物は嫌いなんだ。」と言って、断ると、「せっかく買ってきたのに!」と怒るのだ。せっかく、気を使って買ってきてあげたのにー、と。

 

 一事が万事そんな感じ。

 

 私が何度「いらない。」といっても、私を喜ばせようと物を買ってくる夫に、なぜ伝わらないんだろうと悩んだ。悪気がなく、私のためを思ってのことだからと、最終的に認めていたのも良くなかった。悩んだ結果、出た答えは、私の伝え方が悪いのだということ。「いらない。ほしくない。」というから伝わらないのだということだ。

 

 そこで、私はまず、

「察することをやめてくれ。」

「何かを行動に起こすときは、私に相談をしてくれ。」

「人に何かをしてあげる(または物品をあげる)時は、相手の要望の詳細をヒアリングしてくれ。」

 

と、夫に頼んだ。そして、

「私は物欲がないのではなく、持ち物が増えるのが嫌いなの。嫌なの。アクセサリーも洋服も今持っている以上には増やしたくないの。増えるのが嫌なの。」

 

と、きちんと伝えた。

 

 私のことを思って「察する」努力をしてくれることはありがたいときちんと感謝の気持ちも伝えた。だが、私は「察する」ことを望んではいないことも説明した。

 

今では

「ららちゃん珈琲飲む?」「のむー」

「アイス?ホット?」「今日はアイス」

「ミルクは?」「入れるー」

「砂糖は?」「うーん、今日は入れるー」

 

と、まずは相手がそれを必要としているかどうかを確認。そして、具体的に何を要望しているかを確認できるようになった。私はその時の気分で、珈琲にミルクと砂糖を入れたり入れなかったりする。そのことを情報共有できているので、夫も質問すべき事項が何か分かっている。

 

 最近は、多くを語らなくても通じるケースも増えてきた。だが、それは、「察している。」のではなく、互いの中に積み重なった情報をもとに、「確認事項を省いている」からだ。

 

 例えば、私は夫は「ホットのブラックコーヒーしか飲まない」という情報を持っているので、私が珈琲をいれてあげる場合は、「ホットorアイス」「ミルク」「砂糖」の質問事項を省くことができ、

「コーヒー飲む?」

だけで、すむということだ。

 

 つまりは、正確に「察する」ということは、まずは相手を観察したり、相手と会話したりして、相手の行動パターン、嗜好、考え方を情報収集する必要がある。それに基づいて、上記のように質問事項を減らしたり、行動パターンに合わせて先回りをできるようになるという段階を経る必要もある。要は、コミュニケーションや 情報収集の積み重ねなしには「察する」は、成り立たないのだ。

 

 そこまで観察も会話もできない相手であれば、不正確に「察する」ことで相手を不愉快にさせる可能性も高く、「相談する」「相手の要望をヒアリングする」ほうが、はるかに正確で合理的なのだ。また、「相談」「ヒアリング」を積み重ねることで、正確に「察する」ことができる可能性も高くなると考えられる。

 

 こういった情報収集やコミュニケーションを、様々な場面で、様々な人と積みかねていくことを「人生経験」といい、だから、人生経験の多い人は正確に「察する」確率が高まっていくのだ。個人的には、「勝手に察するな、相談してくれ派」ですがね。

 

  また、クリスマスの季節がやってきた。

夫「ららちゃん、クリスマスプレゼントで何か欲しいものある?」

私「ない。」(ある時は言う。過去に食器洗浄機、ルンバを買ってもらった。)

夫「ららちゃんはホントに悟りを開きすぎてつまんなーい。俺はお坊さんと結婚したわけじゃないよ!」

 夫「俺はららちゃんにかわいい服も着せてあげたいし(暗に私がかわいい服を着ていないとディスられている)、美容室にも行かせてあげたいし、旅行にも連れていってあげたいし…」

私「また始まったー、私は服もいらないし、美容院も行きたいと思わないし(千円カットで十分)、旅行も昔めちゃくちゃ行ったからもういい。ほしいものや、行きたいところがあれば、随時お願いするので、それで結構です。」

 

と、プレゼントをあげたい、ほしくない論争が幕をあけているのである。