女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんの皮肉とメロドラマに満ちた遺言。

「空気」をぶち壊してでも、「その場で言う」ということ

相撲界のトラブルが問題となった時期に、下書きした記事をアップしてみます。

 

学生時代に飲み会の席で、一気飲みの流れができてしまい、

「一気!一気!」

と、あおられて一気飲みを始めようとする男子がいました。

そこで私は

「やめて!一気飲みで死人が出てるんだよ!ニュースでやってたでしょ!」

と、その場でやめさせました。

 

もう20年以上前の話なので、

「あーあ、お前のせいで楽しい雰囲気が台無しだよー。」

みたいな空気になりました。

 

 実は、その頃、同じ大学の1年生が泥酔したまま一人で自宅に帰ろうとして、側溝にはまって溺死したというニュースが世間を騒がせていたのです。私は友達と「上級生が飲み方の分からない1年生に一気飲みさせたっぽいよね。そもそも、そんなに泥酔した子がいたら、家まで送ってあげたりするよね、普通。」と、話していたところでした。

 私自身も、飲み会で泥酔した子がいたら、一緒に帰るか、「大丈夫だから」と嫌がったら、分からないようにこっそりと後をつけて、家に到着したのを見届けて、自宅に帰ったりしていました。

 その後、大人数での飲み会は「集団ヒステリー」が起こりやすいから苦手だ、という意識を持つようになり、ある時期から集団での飲み会には参加しなくなりました。どうしても参加しなければならない場合も、私はお酒が飲めないと言い張り、強く勧められたら「ドクターストップなので」と断り、あの人は絶対にお酒を飲まない人だと印象づけました。そして、二次会とかに誘われる前に、スーっと消える人になりました。

 

また、別の集まりの場面で、

「なんだよー、お前、ホモかよー、気持ち悪いっ!(爆笑)」

という、発言があったので、

私はその場で、

「この場に、ゲイの人がいたら、どうするの!すごく傷つくと思うよ!」

と言いました。

また、続けて

「私が、英語教室に通っている時に、諸事情で私はその英語教師がゲイだと知ってたの。だけど、他の生徒たちは、彼がゲイであることを知らずに、今みたいにゲイの人たちを侮辱して笑ったの。その時、そのゲイの教師の顔を見たら、とても苦々しく、困った顔をしてたの。」

という話をしました。

 

なんとなく、

「こいつ、めんどくせー奴だな。」

「真面目かよー。」

という「空気」を感じましたが、

一人の男性は

「なるほど、これからは気を付けようと思う。」

と、言ってくれました。

 

 私は、感情的になりやすいタイプで、特に人様に対する侮辱的、差別的発言でせせら笑うような人間に対しては、その場で怒ります。よくも、悪くもです。正直、それが職場で力関係のある相手だったとしても、フリーターだったので「揉めて、居心地が悪くなっても、辞めて別のバイトすればいいもん。」と思ったいたので、力関係なんか一切無視して噛みついていくくらいでした。今考えれば、噛みついたら居心地が悪くなる、とか、クビになるみたいな発想自体が古いんですけどね(笑)

 このように、その場で指摘することは、確かに後味の悪い感じになりやすいです。でも、私は言わずにはいられなかった、そんな性格だったんです。まあ、長いものに巻かるのが嫌いだから、いつまでたってもフリーターで、安月給だったんですけどね。でも、まあ、そのおかげで虐げられることも少なく、自由を満喫できた人生なので、その点に関しては納得できてますね。

 

 また、話がずれてきましたが、先日、大学時代の後輩の男の子たちがウチに遊びに来てくれました。といっても、40代のおじさんたちなんですけどね。

 

 私が、

「あのころは、ホント、あなたたちに甘えっぱなしで、よく話を聞いてもらったよねー。」

と、私が回想話をすると、

「僕たちにとっては、高円寺さんは友達というよりも、先輩で、人には言いにくいことを、ちゃんと注意してくれる珍しい人でしたよ。こんなことを言ったら、相手に嫌われるんじゃないかとかいう打算なしに、僕らに注意をしてくれる人でした。高円寺さんに言われたことで、反省したことも多かったですよ。」

と、言ってくれました。

 

ああ、あの頃は、

「また、余計なこと言っちゃったよー。冷たい視線がしんどい。」

と、思っていたけど、

そういうふうに思ってくれてたんだーと思うと、すごく救いになりました。

 

そして、

「いやいや、私も世間知らずで常識がなかったから、常識人のあなたたちには色んなことを教わったよー。」

なんて、いいながらホームパーティーはお開きになりました。

 

 今、日馬富士と貴ノ岩のニュースで大騒動ですが、セクハラやパワハラと同様に暴力も絶対に正当化されてはならない行為だと思います。日馬富士は「酔ったからやったわけではない。(貴ノ岩のことを思って指導のためにやったのだ)」というようなことを、本気で言っていました。それは絶対に許される行為ではありませんが、一旦、それはそれとして日馬富士がかたくなに、そのような信念で暴行を行ったとしましょう。じゃあ、周囲で見ていた人たちは何故、止めなかったのかという疑問が残りました。周囲の人たちも同じような信念だったのか、はたまた、上記で書いたような「空気」のために止めることができなかったのかという疑問です。飲み会だったので、ずいぶん酔っぱらっていたことでしょうから、その時の状況を正確に説明できる人はあらわれないかもしれません。

 はあちゅうさんの場合も同じことを考えてしまいました。身近な人たち、特に理性ある大人たちは何をしているんだろうかという気持ちになりました。えっ、もしかして、理性のある大人が周囲に一人もいないの??と。それは、あまりにも環境に恵まれなさすぎではなかろうかと。

 私は、男女、性的嗜好、年齢などの属性にかかわらず、人はみな平等だと思って、人と接して生きてきました。もちろん、ポジションや、儒教的な年齢の序列には配慮し、敬語を使うなどの工夫はしていましたし、実際に優秀な人や年齢からくる経験値の高い人のことは素直に尊敬していました。

 性格的にも能力的にも、へりくだるとか、気を使うとか苦手(下手)すぎて、逆に地位の高い人(特におじさん)たちから面白がられて、お茶や食事に誘われることもしばしばでした。色恋なしでね。(多分、私に和田アキ子感があるからかと…)

 私自身のコミュニケーション能力が高かったり、意思が強かったり、権力構造のある世界を避けて生きてきたという特殊環境があったりなので、全員が全員、私のように恵まれた生き方ができるとは思っていません。それは承知の上で、職場でのセクハラ、パワハラなどは、加害者・被害者の当事者間だけの問題として見るのではなく、その場に居合わせた人たち、その構造の中にいる人たちも、自分の属性だからこそできることを考えて、少しずつでも行動を起こしてほしいなと思ったしだいです。