女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんです。キレキャラとおふざけキャラと真面目キャラを分離する才能がないので、丸ごとの自分を出してます。

実際に死んだやつはえらいのか?

 最近、体力はないんですけど、脳内がそう状態で書きたい!と思ったら書かないと気が済まなくて困ってるんですよね。ちょっとブログ依存症気味なんですけど、やっぱり、この記事の「実際に死んだやつはえらいんだという妙な価値観が~」って言葉が気になっちゃって「死」に対する感覚について書いてみたくなっちゃんたんですよね。だから、あんま上記のブログの本論とは関係ないのですが、ご容赦を。

 

防げる死なら防いでほしい

 私は、個人的には死んだ人がえらいとか、アメリカ映画で一人か少人数が犠牲になって全世界が救われて、のちにヒーロー扱いされる的な話は苦手です。

 宇宙人が不意打ちで襲ってきたとか、ゴジラを倒すために死んだとかならまだしも、外交交渉(話合い)が上手くいかなかったがための人間同士の戦争で、一部の立場の弱い人、責任感の強い人が戦って死ななきゃいけない話とか、すごくやだ。その死は、防げたでしょうよ?と思っちゃうから。

 

韓国で反日と学生運動が盛り上がっていた

 話が長くなるから端折るけど、私は若い頃8月15日前後3週間ほど韓国旅行に行ったことがあるんですね。で、なんで8月15日を挟んだかというと、その当時は韓国で学生運動が盛んで、韓国の「独立記念日」である8月15日には何らかの学生運動があると思ったんです。ですから、韓国の学生運動が見たくて、8月15日に韓国の学生通りに行き、すっごい大掛かりなデモ?を見たんですよね。おお、韓国の学生運動はまだまだ規模が大きいなぁと感心したものです。

 他にも独立記念館にも行ったんですが、あそこは資料よりも、戦中の日本軍の韓国市民への拷問を表現している蝋人形が目立って、資料館というよりも、本当に「記念館」で韓国の人は戦時中にこんなに頑張りましたっていうのを見せたい場所なんだろうなと思いました。まあ、こんなのを見たら反日にもなるわとも。

 さらに、たぶん、その当時は中国人よりも韓国人のほうが、子供の頃に強い反日教育を受けているっぽくて、中国人に「日本の戦争責任」について問い詰められることはありませんでしたが、韓国人にはちょいちょい「日本の戦争責任について、どう考えてるんだ!」と、からまれてました。

 

韓国人の人たちは普通にいい人

 誤解のないように言っておきますが、韓国に3週間いても、この人いやだなーと思ったのは4人くらいで、ほとんどの人は本当に親切にしてくれました。特に、韓国の田舎に行った時は、田舎の人ならではの優しさでいろいろとお世話をしてもらいました。また、英語圏で知り合った韓国人の人たちとも、とても仲が良く、家に遊びにいっておもてなしをしてもらったり、キムチ作りを見せてもらい、出来立てのキムチを食べさせてもらい、手土産までもらったりしてました。

 日本で会った北朝鮮籍の朝鮮人の方たちも個別に仕事や趣味で話をしているぶんには、本当に普通の真面目で善良な人たちでした。

 

政治の話が好きな韓国人男子

 どこの国の人かということは関係なく、日本人でも政治の議論が好きな人っているじゃないですか?お酒を飲むと政治批評、政治論議、政治批判が止まらなくなる人。英語圏に住んでいる時、韓国人グループの人たちと仲良くしていて、その中の一人に政治話好きな韓国人大学生(留学生)がいたんですよね。

 彼とは普段は仲良しで、みんなで一緒に花見にも行くし、一緒にクラスの休み時間にお菓子を食べたり、私がたびたび開く自宅でのホームパーティーに呼んだりしてたんですけど、なんだか分かんないけど、急に「反日」スイッチが入る人だったんですよ。

 で、長くなるから彼との反日談義はいずれ書くとして、韓国人の彼がね

彼「韓国のデモでは、体に火をつけて抗議して死んだ人がいる。彼は勇気がある。僕は勇気がないから体に火をつけるなんて偉大な行動はできないけど、勇気があったらやりたかった。本当に焼身したその活動家は勇気がある。って言うんですよ。

 当時は、政治的な問題に焼身自殺で抗議するってのが韓国で流行?していて、勇気のある行動として「〇身(そうしん?)」みたいな名前まで付いちゃって、英雄的に扱われる場合ものあったらしいのよ。

 もう、私、その言葉にキレちゃってね、

私「私はそうは思わない。政治に不満があるからって、自分の体に火をつけて死ぬことが勇気ある行動だとは思わない。そんなのただの感情じゃん。ただのヒステリーじゃん。政治に不満があるのに、体に火をつけて目立っただけで死んで何の意味があるの?」

彼「韓国人が政治に関心を持つし、政治活動に真剣になる。」

私「いや、韓国人は元々政治に関心が強いし、政治活動も真剣にしてるイメージがあるんですけど。韓国の○○通りに学生運動を見に行ったこともあるし、韓国のデモっていつもすごいじゃん。そもそも、政治を変えたいって思ってるのに、死んでどうすんのよ。死んだら何もできないじゃん、生きてないと続きの活動ができないじゃん。人一人が燃えたぐらいで政治が変わるの?活動を続けるからそこ変わるんじゃないの?死んで目立つだけで、活動を続けられないなら何の意味もないと思う。そんなの政治活動じゃない。ただの焼身自殺だよ。韓国人にとって、どんなに英雄的な行動に見えたとしても、外国人からみたら、ただの焼身自殺だからね。」

みたいな話をしたことがあるんですよ。でも、彼は「いや、彼は勇気がある!ららは分かってない!」って、最後まで歩み寄れませんでしたけどね。あ、ちなみに彼とはちょくちょくこういう政治ネタで言い合ってましたけど、それ以外では普通にみんなと一緒に遊ぶ友達でした。だから決して仲が悪くはありませんでしたよー。

 

死に意味はあるのか?

 私は「死」が精神的な意味で、特別なものだという感覚はそんなにないつもりなんですよね。「死」が「えらい」とか「美しい」とか「勇気がある」とか思わないっていう意味でね。ただ、心肺や脳が止まって体を維持できなくなり腐っていくだけっていうふうにしか思ってないの。

 ただ、私は育ちが悪いので、生きるのが辛くてしょうがないタイプなので、「死」が「最後の救い」みたいに思い込むクセはあります。だけど、それは単なる私個人の考え方のクセにすぎません。

 実は私の祖父は明治生まれの割と優秀な軍人だったらしくて、勲章とかもらってたらしいんですよね。で、私の父も子供のころに軍需産業に従事していたり、会社のOBにも戦争から帰ってきた人や、戦争で捕虜になってた人がいたりして、当事者から戦争の話を聞くこともあったの。

 で、当時は海軍に所属したか、陸軍に所属したかが明暗を分けたららしくて、陸軍は「突撃して死ね!生きて帰れると思うな!」みたいな教育が主流だったらしいんだけど、海軍は「生きて日本へ帰ろう。」が比較的主流だったっぽいんですよね。

 だから、戦艦なんかの船が沈んで浮き輪やボートが足りない時に、「お前は若いんだから、お前は生きろ。」と言われて、年配の上官から浮き輪を譲ってもらって助かった人の話も聞いたことがあるの。ちなみに、上官は力尽きて沈んで行ったそう。

 さすがにね、そういう、人を助けるために救命具を相手に譲ったなんて話なら、助けてもらった本人や、亡くなった上官のために「本望だったろう」と言うしかないと思うの。でも、このような人のために自分の命をなげうつみたいな状況でもない限り、「死ぬのがえらい」なんてことは、個人的にはあり得ないと思うし、あってほしくないです。

 

豪の収容所で自決した日本人の噂

 この話はオーストラリアに住んでいた時に聞いた噂で、真偽のほどは分からないんです。だから、そんな噂もあるんだって程度で聞いてほしいんですけど、オーストラリアのどこかに日本人収容所があったらしいんですね。

 で、その収容所はたまたま人権意識が高くて、待遇がいいとまでは言えないかもしれないけど、まぁ、普通に何の問題もなく生活できる収容所だったんですって。だけど日本人は捕虜になるのは恥、捕虜になって生き恥をさらすくらいなら自決するべきって、戦時教育で教わってるわけ。

 だから、一部のド真面目な日本人達は「自決するべきだ!」って言い始めたんだけど、普通の感覚の日本人は「いや、普通にご飯も食べられるし、居心地も悪くないし、日本に帰りたしいし、自決しなくてもいいと思う。」って意見が別れたんですって。で、多数決を取るとか取らないとか、色々揉めたらしいんですけど、結局、「じゃあ、自決したい人だけ自決すればいいんじゃね?」みたいなところで落ち着いたらしくて、自決したい人だけが、自決したらしいの。

 で、それを知ったオーストラリア人が、「へ?拷問してるわけでもないし、劣悪な環境で苦しめてるわけでもないのに、何で死んでるの?」って不思議がりましたとさ。っていう噂話なんですけど、典型的な死ななくてもいいのに死んだケースですよね。

※ネットで調べてみたらカウラ事件を短縮化して、オチを分かりやすくした噂話っぽいです。

 沖縄の読谷(よみたん)村のチビチリガマで、米国に対する知識があるかないかで、集団自決が起こったり起こらなかったりしたように、死ななくてもいいのに、思い込んじゃって死んだケースって戦争の時に限らずあると思うの。単純にうつ状態で死への願望があるとか、そういうことも含めてね。

 

栗城氏の行動は誰も止められなかったと思う

 だから、栗城氏の場合も上手く精神・心理の治療を受けて、自己承認や自己愛や虚言への欲求をコントロールできていれば、死なないですんだんじゃないかな?っていう点では、私的には「死ななくても良かったケース」にカウントされてます。

 だけど治療を受けてなかった、あるいは治療を受けていたとしても、ああいった行動をやめられず、周囲もとめられなかったんだとしたら、もう「その生き方しかできなかったんだろうから、本望でしょうよ。」くらいに思ってあげないと可哀そうだなとは思います。

 

まとめ

 登山家や冒険家は「死を覚悟で挑んでいるはず。」は、そうなんでしょうけど、私は栗城氏を冒険家とは認識できません。ド素人の私から見たら、栗城氏は(自己承認欲求や虚言癖でモンスター化した)ただの病人です。だから、なにも死ぬ必要はなかったでしょうに、誰か病院とかカウンセリングに連れていきゃ良かったのにと思ってます。

 まあ、しかし、重症すぎて、誰(医師・心理士でさえも)も助けられなかったとも思えますがね。病院に連れて行っても、通院をやめちゃうとか、医師・心理士の言うことを聞かなくて、結局どうやったって死んでたんじゃないかな?という気もします。

 まあ、まとめると、死んだやつがえらいとか、死んだやつがわるいとか、逆に生きてるやつがえらいとか、生きてるやつがわるいとか、そういった感覚は私は持ち合わせてないですね。けど、「死」を美化するのは上記の例えのように危険だと思うし、何より、私自身の好みとしては嫌いです。

 

おわり。

 

追記:xevra先生へ

 私もメンヘルだと推測してます。ただまぁ、命を助けることが目的だとしたら、地道なカウンセリング(心理のほうね)しかなかったと思うけど、あそこまで人格が固まってたらムリだったんじゃないかなという気もします。もし命を助けることができたとしても、時間がかかったろうし、時間がかかりすぎて間に合わなかっただろうしとも思います。しかも、本人も自分を変えたくなかったっぽいし、助かる道はなかったんだろうなとは思います。