女だから言えること | 引きこもり、精神病からの生還

太ったおじさんみたいなおばあさんです。キレキャラとおふざけキャラと真面目キャラを分離する才能がないので、丸ごとの自分を出してます。

発達障害・精神病と社会の受け皿と安楽死希望派と

ねねさんの記事を見て思った雑感をつらつらと書いてみます。相変わらず、まとまりのない雑感ですが、ご容赦を。

アスペルガーの二次障害としての統合失調症

 私は犯罪心理や発達障害についてそんなには詳しくないので、今回の事件と発達障害に関係があるのかないのかは分かりません。

 実は、当時はそのような診断名はありませんでしが、私の父親は行動パターンから推測するにアスペルガーだった可能性が高い人です。さらに自分自身の中にある、反米の戦中教育を否定することができず一生「アメリカは敵だ、アメリカ人は劣等民族だ。なぜなら奴らは人間の作りが劣等だから髪の毛も肌も目の色も色素が抜けている。」などと一生言い続けました。

 突然、私のところに来て1時間くらいここでは書けないような口汚い言葉で、アメリカの悪口を言うなんてことはざらでした。もちろん、時代的にはもうそのような考えを持っている人はほとんどいない時代で、父の母(祖母)や父の兄弟も、戦争時代の思い出話はするものの、天皇は神だとか、アメリカは敵だなんて言っていませんでした。

 その外にも、言葉通りにしか意味を捉えないなどアスペルガーの気質満載だったと今となっては思います。

頻繁に警察に捕まっていた統合失調症の父

 私が物心ついた時には父親はすでに重度の統合失調症で、たびたび問題を起こし、警察に捕まっていました。

・家の前を走っている車に突然飛び出し、車を止める。これは、自殺をしたいわけではなく、家の前を車が走っていることが気に入らないのです。どうして分かるのかというと、「ウチの前を走るな!」と運転手に向かって怒って怒鳴っていたからです。

・勝手に近所の人の留守中に家に上がり込み、家具を全部外に出してしまった。(これは、たぶんその人に出て行ってほしかったのではなかろうかと思う。)

 ・知らない人の車を十円玉でひっかき、長~い傷をつける。その時、小学生の私が現場に居合わせて、「父ちゃん!ダメだって!やめなよ!」と止めましたが、振り払われ、大きな傷をつけてしまいました。そこにたまたま車の持ち主が戻ってきて激怒し警察を呼び、父は捕まりました。警察が来るまでの間、父は「お前はいつも父ちゃんに逆らう!父ちゃんの邪魔をする!」と私を怒鳴り散らし、殴りました。

 で、被害を受けた人が警察を呼ぶと警察で事情聴取を受けるわけですが、1~2日もあれば精神病だということが分かって、家に帰されちゃうんですよね。私としては、そのまま精神病院に入れてくれたら、家が安心できる場所になるのに…と思ってました。

家族としては監禁してほしかった

 父は警察に捕まっても精神病なので刑務所に入るということはありませんででした。事情聴取をされて、そのまま家に帰されるか、そのまま精神病院の直送かのどちらかでした。父子家庭だった我が家では、父が捕まった時に引き取りに行くのは、中学生だった私の役目でした。父親が警察にちょくちょく捕まることは嫌で嫌で仕方ありませんでしたし、それを迎えに行くのも嫌で嫌で仕方ありませんでした。

 もう、いっそのこと精神病院か刑務所に一生入って出てこなければいいのに、と思ってました。けど、現実はそうはいきません。悪事を働いて警察にちょくちょく捕まるような人でも、誰かが面倒をみなければいけないのです。

 社会の受け皿ってさ、あなたも社会の一員では?

「社会社会言うけどその社会って一体何よ?って感じがする。地域コミュニティ?学校や職場の同僚?法制度?行政や政治家?自分より上の世代?その辺の通行人?」

というブコメが、私がネットのコメに感じていた違和感を端的に表してくれています。

 上記の記事に限らず、発達障害、精神障害の話になると必ず皆「社会の受け皿が…」などという、ザックリしたきれいごとを言う人が多くて残念な気持ちになります。父のように重度で、なおかつ人様を攻撃し、危害を加える言動をする患者には一年365日、24時間、見張りをつけておかないと何をするか分からないのです。殺人をするかもしれないという意味も含めてです。

 実際に、祖母、私の母、私は父の馬乗りになられて首を絞められるという体験を何度かしています。祖母は唇が紫になって、本当に死にかけたと証言していました。私たちは、たまたま死ななかっただけで、運が悪ければ死んでいました。

 私は社会の一員であり、家族の一員だったので父の他害・犯罪行為を止めようと努力はしました。ですが、父のやろとすることを止めようものなら、私が標的になり、怒鳴られ殴られるのです。

昔はまだ、地域社会というものが存在していた

 また、昔は地域社会というものも存在していて、近所のおばちゃんたちが良くしようとしてくれたこともありました。例えば、洗濯ものを干していて雨が降り始めてしまい、向かいのおばちゃんが「雨ですよー。洗濯物が濡れますよー。」と教えに来てくれたことがありました。ですが、父は怒って「うるさい!帰れ!」と怒鳴つけました。

 さらに上記の、父に不法侵入され、家具を全部出されたおうちも比較的、我が家に関わってくれていたおうちでした。父親がそんな調子なので可哀そうに思ってくれたのか、私に「ららちゃん、お祭りに参加しない?」「ららちゃん盆踊りに出ない?」などと言ってくれるおばちゃんでした。ですが、父の度重なる嫌がらせで私に声を掛けてくることはなくなってしまいました。

危害を加える性質はパーソナリティ障害が理由な気がする

 個人的な見解では、他人に危害を加えるタイプの人は発達障碍者や(脳の)精神障碍者という範囲の括りではないような気がします。むしろ、発達・精神障害を持っている人は、純粋無垢、真面目、優しい等いずれかの印象のほうが強いです。

 私自身が関わった人達に関してだけ言えば、人に危害を加える要素は発達障害・(脳の)精神病の範囲の括りではなく、パーソナリティ障害の括りに由来するのではないかという印象があります。パーソナリティ障害とは、旧名を人格障害・性格障害と言い、一応精神医療の括りですが、脳の治療より心理学、つまりは心の治療が必要な分野だと、私は認識しています。

迷惑行為を行う人に対する受け皿なんて存在しない気がする

 結局、行動パターンのおかしい人に関わったら、ひどい目にあうと学習して関わらなくなる、あるいは、それを知っていて最初から関わらない人ばかりになるわけです。てことは?そう、社会は面倒な人に関わりたくないのが本音ってこと。君ら、身近に行動のおかしい人がいたら、全力で逃げて、関わらないんじゃないですか?それなのに「受け皿」「寛容」「多様性」って、あんた…って思っちゃうんですよ。そんなのキレイごとでしょ?現実はもっと厳しいよって。

 ええ、当然、私も関わりませんよ。父親を見てますから人に危害を加えるタイプの人には関わりません。発達障碍者や精神障碍者でも心根のまっすぐに見える人にしか関わらないようにしています。私自身も危害を加えてきそうな相手は避けているわけです。ですから、その状態で「受け皿」って言われても、そんなもの無いんじゃないんですかね?としか思えないんですよ。唯一の救いが「死」って、そういうことじゃないの?って。

 そこまででなくても、実際に自分の会社に何度説明しても理解しないどころか言い返してくる、あるいは何度教えても覚えないみたいな発達障害の人がいたら、自分の足を引っ張るから、関わらなくなるんじゃないですかね?そして、発達障碍者は居づらくなって辞めるとか、わりとよくあるパターンな気がします。

重度の患者には死なせてやれよと思ってしまう自分がいる

 うちの父も包丁で首を突いて死ねずに廃人のようになった後、海で死体で見つかりました。周囲の人全員から嫌われて、自分も苦しくて、周りの人も死んで欲しいくらいの状態になっているのに死ねないのって可哀そうですよね。あ、ちなみに父は生活保護をもらっているという噂でした。ですから、お金の問題が大きかったかどうかは分かりませんね。

異常行動者には関わらない、が今の主流じゃないの?

 実際に、私が借金癖・虚言癖のあった夫を必死でフォローした記事には、「普通の人にはできないだろう」的なコメントが沢山ありましたし、隣のお金に困っている(自称生活保護受給の)おじいちゃんに一万円貸して、カレーをお裾分けして嫌がらせを受けた話の時も「(そういう人に)関わっちゃだめ!」的なコメントが入っていました。

 結局、自分自身が社会の一員として、赤の他人の病人(パーソナリティ障害者・認知症患者等)の手助けをしようなんて人は、そんなにはいないでしょうし、自分の家族や関係者がそういった異常行動者に手助けをしようとしていたら、とめる人も少なくないんじゃないですかね?関わりたくないし、関わってほしくないのが本音なんじゃないですか?それが社会なんじゃないんですか?

 結局、最後までコミュニケーションをとろうと頑張ってくれるのは家族だけで、その家族でさえも最後には耐えかねて見捨ててしまう。それが、社会に適応できず、ちょいちょい他害行為を繰り返すタイプの障害者の末路だと思うんですよ。

 父も他害行為が多すぎて、関わってくれる人は皆無になりましたし、私自身も連絡先を教えずに行方をくらまして、父から逃げました。だから、私自身も社会の一員として父親の「受け皿」になれなかった人間です。

むしろ家族のほうが死んで欲しいと思ってる問題

 周囲に多大な迷惑をかけるタイプの(パーソナリティ)障碍者は「死にたい」と思っていなくて、家族・周囲のほうが死んで欲しいと思っているのではないかと思います。むしろ「(自分が周囲に迷惑をかけているから)死にたい」というタイプの人には、何とか対処法を見つけて、生きていてほしいなと思ってしまう自分もいます。でも、本人のつらさは本人にしか分からないのですから、それも、私の気持ちの押し付けにすぎないとも思います。

 家族や周囲の人が、患者に「死んで欲しいと思ってしまう問題」は当事者にしか分からない話です。これは、(特に認知症の家族に)介護疲れした家族が要介護者に死んで欲しいと思ってしまう状況に似ています。

 大変、失礼な言い方ですが、老人はある程度余命が見えていますが、発達障碍者や精神障碍者はどこまで長生きするか全くわかりません。もしも、私の父が生きていたとしたら、と思うと正直ゾッとします。現在のように精神医療や福祉の体制が整っている時代でも、家族会の人たちは家族の病気のために苦しんでいるのが現実です。

入院したら状態が良くなるという現実

 精神病患者の家族会の人たちの話によると、発達障害からの二次障害で精神病になる人も少なくなく、特に統合失調症の患者さんは薬を飲みたがらない、あるいは全力で拒否する人も多く、どんどん悪化させていたりします。

 結局、家族会の方々のお話によると、入院して退院した直後が一番、状態が良いとのことです。(ただし、正しい治療を行っている病院に限る。)私も精神病棟に何回か入院していますが、入院すると休養が取れる上に、治療に集中できるので非常に状態が良くなりました。早く退院したいという患者さんもいましたが、1人暮らしの精神病で働くことも、食事も、服薬も、自分ではコントロールできない状態だった私としては「三食昼寝付き、エアコン付きで、掃除も風呂洗いもシーツ交換も他人がしてくれるなんて、ここは天国かよ。」と思ってました。

 さらに、精神病棟での、初期から中期の統合失調症患者の回復具合は目を見張るものがありました。また、私の父のような重度の人が少ないのにも驚きました。早期発見早期治療ができている人たちが入院していたためでしょう。また、慢性の人も父ほどの症状の人はいなくて驚きました。

 精神病者をどこかに閉じ込めるなんて良くないみたいに考える人もいるかもしれませんが、本人の病状は滅茶苦茶良くなるし、家族は患者の面倒を見なくて良くなるしで、いいことずくめに見えました。ただ、問題なのは本人が入院生活を嫌がって早く退院したがること。精神病院は食事の時間も決まっており、栄養バランスの良い食事を3食食べ、外出禁止の人は買い食いできません。さらに薬も決まった時間に必ず飲ませるので、良くなるのだと思いますが、本人がそれがとても良い環境だと気づけないことは残念なことだったりします。

家に帰すと病状が悪くなってしまう人達

 せっかく入院で状態が良くなっても、私のように一人暮らしだと、まず食事を作ったり毎日服薬したりのハードルがめちゃくちゃ高くて、悪化させたりします。また、家族と住んでいる人も、家族では強制力が弱いため、また薬を飲むことを拒否しはじめたりするそうです。

 生活保護や福祉がカバーできる部分なんて限定的で、結局は生活範囲に存在する人たちがどれだけのフォローができるかが一番重要だと思うの。

異常行動者をクズとみなすなら受け皿なんてないじゃん?

 生活保護のおじさんの話の記事では、おじさんのことをクズって言ってた人がいたけど、もしかしたら、あのおじさんも何かしらの障害や認知症だったかもしれませんよね。私は隣のおじさんのことを社会的弱者だと思ったから、(返却されないだろから寄付のつもりで)お金を渡し、残り物のカレーをお裾分けしました。今思えば、生活保護で一人暮らしをしていたらしい死んだ父の姿を、隣のおじさんに重ねてしまって、また罪悪感が発動していたのかもしれません。

 おかしな行動をとる人をザックリ「クズ」「異常者」としてくくって、疎遠にするのが社会で、唯一関わってくれるのは福祉の分野。だけど、福祉の分野も毎日様子を見に来てくれるわけではないし、ずっと見張ってくれるわけでもない。もう、自分も死にたいし、周囲も死んで欲しいと思ってるんだったら、死ぬっていう選択肢をあげてもいいんじゃないですかね?どんな生き地獄ですか?何の苦行ですか?という感じです。

 「社会の受け皿」っていうなら、極端な話、あなたの隣人が人に迷惑をかけるタイプの障害者だったとして、理由も分からず勝手に恨まれて、毎日騒音を流されたり、毎日洗濯ものに泥をかけられて、あなたは社会の一員として隣人を助けに入りますか?

 福祉関係から週に3回人が来ているけど、全く行動は変わらない、でもあなたは社会の一員で「社会の受け皿」ですから、隣人に寛容になるために、防音対策をほどこし、洗濯ものに泥をかけられないためにサンルームを作り、相手を許しますか?

 社会が重度の精神・発達障碍者の「受け皿」って、そういうことも考慮に入れて言ってるんですよね。まさか、圧倒的に足りていない精神医療や福祉の従事者に全て丸投げすれば解決するとか思ってないですよね?お金をかければ…とか福祉の人を増やせば…とか思ってないですよね?障害者にとって一番大切なのは生活環境ですよ。

受け皿になるつもりがあるなら勉強してくれ

 「社会の受け皿が~」というのは、確かに正論です。ですが、税金投入、制度設計と言っても、財源が足りない、個別の事情には対応できいなど、色んな事情で難しいこともあるでしょう。また、政治的な対応は数十年の時間がかかる気もします。

 ですから、本当に障害者の人たちの「受け皿」を作りたいと思うなら、福祉や精神医療の分野の人たちに丸投げするのではなく、市民のひとりひとりが精神病、発達障害、パーソナリティ障害等について勉強し、行動パターンの予備知識を得て、対処法を身に着ける必要があるのではないかと感じます。

 もちろん、複雑な分野ですし、医療という難解な分野ですから、一から全てを勉強するなんて普通の人には無理でしょうし、私も無理です。ですが、今は誰にでも分かるように平易な言葉で、しかも図解入りで発達障碍や精神病の人への接し方を書いた本が多数出版されています。

 障害の全てを勉強するなんて一般的な生活をする人には不可能でしょう。ですから、せめて、対処法だけでも勉強して、あなたにも社会の受け皿の一人になってほしい。余力がある時だけでも、できる範囲で、できる程度の対応をしてほしい。私自身もそうなりたいと思って、今も精神疾患に関する勉強を続けているところです。

 少なくとも社会の一人一人が障害者への接し方・対応の知識を増やしていけば、軽度・中度の人の生きづらさが軽減する可能性は高まると思います。私自身も精神病の知識のある(特に精神病家族を持つ)仲間に支えられてきた人間の一人ですから余計にそう思います。

 他害行為を行う障害者に対する社会の対応の現実を、患者家族、精神病当事者の立場から、または精神病患者や家族会の人との関わりの中から得た情報から書いてみました。

 発達障害、精神障害については良く分からないという方に参考にしていただけると嬉しいです。

 

■また、障害者家族の苦しみを端的に書いているブログがあるので、読んでみてください。筆者はまだ10代なので厳しいコメントを入れないように!