女だから言えること

中高年のおばちゃんの脳内を日記がてら綴っております。

庶民だからドレスの種類が分からなさすぎるお話

 先日、外国人の主催するパーティーに行かないかと声をかけていただいのですが、やはりドレスコードとまでは言わなくても、若干ドレスっぽいものを来ていかなければならず、今の体型のドレスは持ち合わせていないし、新しいものを買う気にはならなかったので、面倒でお断りしてしまいました。

 

 日本では、ドレスと言っても割とカジュアルなものが多く、膝丈のワンピースなどのカジュアルドレスだったりします。

 

 日本人は華族制度がなくなったため、ガチのフォーマルドレスを来なければならない人達は天皇家の女性陣くらいかと思います。欧米と日本ではドレスの認識が違っていて、多くのセレブリティや貴族がいる国ではガチのドレスコードが存在しますが、日本のように貴族制度が廃止された国ではフォーマルドレスを着る機会のある人は多くはないでしょう。

 

 私自身は、英語圏に居住していた頃はパーティーや観劇でドレスが必要で、一応ロングドレス等を何枚かは買いましたが、それが何ドレスなのかはさっぱり分かっていません。まず、そもそも興味がなかったし、ウインドウズ95が発表される前でしたからインターネットに接続するなんて不可能で、どこで調べたらいいのかもわからず、中流以上の友達にブランドショップやデパートについてきてもらって、見繕ってもらった記憶があります。

 

 ドレスは大雑把にフォーマルドレスとインフォーマルドレスがあり、その中には、思いつくだけでも、

  • フォーマルドレス
  • セミフォーマルドレス
  • カクテルドレス
  • ディナードレス
  • カジュアルドレス

 などの種類があります。おそらくもっとたくさんの種類があるのでしょうが、興味がないので調べるのがめんどくさい…私の持っているドレスがどの種類のドレスかもさっぱり分かりません。

 

 英国のダウントンアビーという貴族の暮らしを描いたドラマに、しばらく前にハマっていたのですが、やはり貴族は(自宅内での食堂での)食事用のドレス、外出の際のスーツドレス、パーティーの際のドレス、寝間着など、一日に何回も着替えをします。あのような感じででフォーマルドレスやディナードレスを使い分けていたのね、ってあのドラマを見たらわかります。

 

 ですが日本では、一日の中でもディナー用のドレス、パーティー用のドレスとか使い分ける文化はもう残っていませんから、知らない人のほうが多いのではないかしら?日本のちょっと昔でも、皇族・華族以外の庶民はドレスなんて着なかっただろうし、庶民がおしゃれのために一日に何回も着替えてたとは考えにくいですよね。現在でも、デヴィ夫人くらいの人達ならやってそうだけどね…

 

 で、欧米、特にヨーロッパに住んだことのある人ならおわかりでしょうが、あの人ら、服装差別がひどいじゃないですか?私が住んでた外国でも友達の日本人がエスニックな洋服が好きで一見ヒッピーみたいな格好をしてたら、駅員にかなり邪険に扱われたそう。

 私は、もうこの国の服装差別はひどいと分かっていて、その対策として街に出る時は少なくともテーラーカラーの見栄えの良い洋服を着て、スカして歩くようにしていました。そのおかげが、ヒッピー風の友達と同等のトラブルが起こっても、私は好意的に扱われたんですよね。

  私も彼らも日本人で、駅員にとっては同じ東洋人。駅員が友人を邪険に扱ったのはヒッピーっぽい服装だったからではなかろうか?と当時の私は推測していました。普通に私に対しては温和な態度でしたからね。

 

 まあ、住宅地でヒッピー風の格好をして裸足で歩いている白人達は地元民なので何も言われませんが、その格好で街に出たらバカにされるってのは、白人同士でもありましたから、そんなもんなんでしょう。

 隙きあらば人のことを馬鹿にしたい人達がいるのは各国共通ということで、私も街に出る時は戦闘態勢という意味で真っ赤な5万円ほどするジャケットなどを羽織り、苦手な化粧をして、ナメられないようにしておりました。

 

 けど、日本で外国人主催のパティーとか、大使館のパーティーとかって、どのくらいの格好で行っていいのか分からなくて、行ってみたくても服装が面倒で行くのがはばかかられるのよね。誘ってくれた日本人の方達は「失礼じゃなければ何でもいいよ。」って言ってくれました。日本人は優しいし、寛容なので、服装くらいのことでとやかく言うべきじゃないって発想で、そのようなことを言ってくれます。

 が、外国人の中流以上って、ドレスコードを間違えてようものなら、露骨に嫌な顔をする人もいますし、その場ではニコニコ笑っていて、別のところで馬鹿にする人らもいますから、最悪私が恥をかくのは良いとしても、お誘いくださった日本人の方に恥をかかせては申し訳ないとか思っちゃうのよね。彼らは優しくて品性のある人だから、そんなのことは気にしないのは分かってるんだけど、だからこそ、その善意に甘えたくないみたいな気持ち、分かってもらえるかな…

 

 とかなんとか、ぐずぐず考えていたら、面倒になってきて、行かなきゃいいんじゃん…ていうことに落ち着いてしまいました。ドレスって高いから今は買いたくないし。カジュアルなパーティでジーパンとかで踊るほうが私には合ってるなって納得した今日このごろなのでした。

 

 関東ってすごいね。ちょっと、誰かと知り合うと、すぐ大使館のパーティーとかの話がきちゃうんだから…地方じゃそんなことありえないもん。知り合いも普通のサラリーマンなんだけど、やはりスポーツの関係で大使館のパーティーのお誘いがあったらしい。関東おそるべし!

 

 また、オチの付け方がわからないので、急に終わり。まったねー☆

 

 

生きることに前向きになれない時期

 全くのつぶやきで、非常に暗い内容なので心理状態の良くない人は読まないでね。

 

 

  最近はあまりおっしゃらなくなったが以前、日本での安楽死の合法化を強く主張していらっしゃるはてなーさんがいた。私はその気持が分からなくもない。私はどんなに精神疾患がひどい時でも積極的に死にたいと思ったことはない。

 ただ、身体や心理的に激痛があった時には、永遠に意識を失えば(=実質、死を意味してしまうが)永遠にこの苦しみから逃れられるのだろうか?と、思ったことはある。実際に、現在も生きるのが苦しいので、消極的な死の選択として、がんの手術をしない選択も考慮中。ただ、癌の末期は心身ともに非常に苦しい状態になるので、それが怖い。そこら辺の苦しみをモルヒネなどで軽減してもらえるなら、このまま癌の手術をせずに死ねるというのもいいな…とは思ってる。ただ、患者が苦しんでいるのを見せられる家族も苦しむので、手術をしない選択をするなら夫とは離婚と別居をしたほうが良いとは思ってる。

 

 上記の記事を見て、そう言えば過食嘔吐の女性が、過食嘔吐を治したくて色々調べていたら過食嘔吐は「難病」の一種だと知ったと言う話を思い出した。真偽のほどはわからないが、私も摂食障害の過食がひどく、挙げ句の果てには夢遊病で過食してしまうので、無意識に食べて肥満体になるのが非常に苦しくて困っている。過食嘔吐の人は私より多く食べてもスリム体型を維持しているので、それを真似て吐こうと頑張った時期もあったが、上手く吐くことができず諦めた。色んな方法や薬を試してはみたが、現代の医療では私の過食症の症状を抑えることはできなさそうだ。そういったことも、私にとってはかなりの苦しみとなっている。過食症が治らず泣いたことなど数知れない。

 

 ついでに、祖母、父の、死ぬ前に周囲に散々に迷惑をかけ散らかした死に方を見てしまったので、あんなふうな死に方をするくらいなら、まだ元気で金に困ってないうちに、さっさと死んで周囲に迷惑をかけたくないと思ってしまう。

 

 犬も老化でかなり身体が傷んできた。癌の可能性も出てきている。愛犬だけが私の癒やしなので、彼がいなくなるなんて受け入れられない。一緒に死にたいとさえ思う。だから、余計に自分の癌の手術をしないでおこうかと考えてしまう。それくらいに愛犬の存在に依存しているし救われている。

 実際に7月中旬だった手術はキャンセルにした。半年も待った手術の空きを自らキャンセルするとか、バカバカしい話だ。ちなみに、私が手術をキャンセルしても、たくさんいるキャンセル待ちの人達のうちの一人の手術が前倒しになるだけだから、病院には何の損失もない。ので、何の躊躇もなくキャンセルできた。

 医師は気持ちが落ち着けば、手術したいと言うだろうと考えているようだ。私が消極的な自殺を考えているとは露程も考えていない。医師の元を訪れる患者はほとんど全ての人が病気を根治させたいと思って来るのだろうから当然のことだろう。

 

 ただ、私は関東に来てから医師の横柄な態度にも辟易しているので、関東の医師と話をするのが嫌になってきてもいる。はなから、患者のお前には知識がないのだから、余計な質問するな、とか、質問内容が気に入らないと、これだから患者は…と見下し、バカにした態度を取る医師も少なくない。挙句の果てには、過食で肥満体になっている私に対して「相撲取りにでもなるの?」と言い、せせら笑った女医さえいる。医師と患者という圧倒的な力関係の中でそのような態度を取る医師は私は絶対に許さない。

 関東に来てから、とにかく患者を見下す医師たちに多く出会ったので、怖くて病院にいきたくなくなってる。がん治療の病院でも横柄な医師がいたので、あんな医師を野放しにしてる病院はヤダと思ってしまい、「〇〇という名前の医師の態度はひどいものだった。あの医師とは二度と話したくないし、あのような医師を放置しているこの病院では手術をしない。」と伝えた。

 

 関東は地方に比べて人口が異常に多いので、医師が短時間で患者を回さないといけないのだろう。患者の母数も多いので、対応しなければならないモンスターペイシェントの数も多いのだろうとは思う。けど、下手に出てる相手に対して、明らかに面倒臭そうに対応することないだろ?と思ってしまった。そういった医師に対する抗議としても手術をしないという選択もあるなと思ってしまった。命をかけての抗議みたいな感じでね。

 

 関東に来てから信用できると思った医師も何人かいるし、信用できると思った病院も何件かある。そういった病院は患者に知識がないことは前提としていて、患者のために勉強会を開いてくれたりしてている。そういう意識の高い病院はやはり信用できる。「自らの病気に対して、高い医療知識を得るのは、一般市民にとっては難しいことだ」という理解と思いやりがあるからこそ、勉強会を開くという発想になるのだと思う。

 あるいは、診察時に個別に詳細な医療知識を根掘り葉掘り質問をされてしまうと、診察時間が長くなってしまうので、詳細を知りたがる患者については、一気に集めて説明してしまったほうが早いという考えなのかもしれない。いずれにせよ、非常に合理的で賢く、親切な方法だと思う。

 ただ、彼らの患者や患者家族に対する啓蒙/教育活動はボランティアで行われているので、会社員で例えるならサービス残業にあたる。だから、それが労働環境として好ましいかは厳しいところだ。だからこそ、患者の私としては非常にありがたく、手土産の一つや二つは持っていくようにしている。

 

 自分の癌、犬の癌、体調不良などのせいで、どうも前向きに物事を考えられない。友人たちが体のことを心配してくれている。「ららちゃんを必要としてる人はたくさんいるから、死んでもいいなんて言わないで。」とも言われた。でも、やはり、私は生きるのが苦しいのがデフォルトなので、死んで無に帰るもいいなって、思ってしまう。

 生きるのが苦しくない人にはわからないだろうから、そっとしておいてほしい。生きてほしいという励ましの言葉は、私にとっては「地獄で業火に焼かれる苦しみに耐えろ」と言われているも同然なのだから。

 

食べる時に音が出るクチャラー問題について

 食べ物を食べる時に「くちゃくちゃ」と音を立てて食べる人のことを、ネットでは「クチャラー」と呼び、マナーの学習が足りない人として批判する傾向があるようですね。私はこれが苦手です。その理由を2つほど挙げてみたいと思います。

 

口内が狭すぎて噛み方が変だった私

 私は子供の頃、物を食べる時におかしな食べ方をしていたらしく、「猫みたいな変な食べ方をする。」「みっともない。」「行儀が悪い。」と、祖母や親族に怒られていました。昔ですから、自分で自分が食事をしている姿を見ることができるような録画装置はありませんから、自分がどのように食事を食べているかなんて、子供の私には分かりません。

 ただただ、「みっともない。」「行儀が悪い。」と責められるだけで、どうしたらいいのかを教えてくれる人は一人もいませんでした。私は親せきの前で食べ物を食べると怒られるということが嫌になり、親戚の集まりでは、一人だけ食べ物をお皿にとって別の部屋に行って食べるようになりました。

 で、大人になって歯科に行ったりして気づいたことなのですが、私は 舌が短く、口内も狭く、あごも小さく奥歯が生えるスペースがなく、永久歯が普通の人より少なくて、しかも顎関節症だったんです。だから、噛み方がおかしかったんです。

 要するに、歯、舌、口内の空間、あご、全てに問題があって、おかしな噛み方になってたんですね。だけど、「この噛み方は、何かあごや歯に異常があるかもしれないから、この子を歯医者に連れて行ったほうがいい。」という考えに至るような賢い大人が、周囲に一人もいなかったんですよ。

 マナー、行儀、という言葉で一方的に責められるだけで原因を究明しようという発想の人がいなかったの。だから、私は未だにこの「マナー」とか「行儀」とかいう言葉がすごくすごく苦手です。こういった個人的な恨みつらみから偏見を助長するキーワードだと思うようになったからです。

 しかも、私、育児放棄の家庭で育ってますから、親から「しつけ」的なものは一切受けていません。ですから極端に礼儀作法、一般常識を知らず、行儀が悪い、マナーがなってないと言われてたほうの側だったと思うんですよね。

 その辺は、友達や会社の人が教えてくれて、徐々に身についた部分もあるんですけど、未だに身についてない部分もあるので、格式とか様式を重んじる場所にはできるだけ行きたくないですね。

 

クチャラーが大嫌いな人がクチャラーになった時

 私の母は比較的にしつけの良い娘だったらしくて、私が「変な噛み方」をしたり、「くちゃくちゃ」と音を立てて食べ物を食べるのを、強くとがめるような人でした。そして、母自身はクチャラーではありませんでした。

 ですが、母が歳をとってから、一緒に食事をした時、なんと、あのクチャラーに厳しかった母がクチャラーになっていたのです。しかも、本人は気づいていないのです。

 おそらくですが、加齢によって、口内または歯に変化が起こり、口を閉じて噛んでいても、くちゃくちゃと音が出るようになってしまったのだと思います。一応、さりげなく「食べ物を食べる時は、音を立てないほうがいいよね。」と言うと、「そんなの当たり前でしょ。」と言いながら、くちゃくちゃと音を立てて食べるのです。

 正直、「母さん、あなた、くちゃくちゃ言わせながら食べてるよ。」とは、かわいそうで言えませんでした。もし、歯やあごに異常があるとして、それを治すお金を母は出せないし、私も出せないので、黙っていました。

 看護や介護の仕事に就いていらっしゃる方なら、老人にクチャラーが多いことはご存知だと思います。やはり、あごの筋肉や歯の状態や、咀嚼の強さが老化によって衰えているんだと思うんですよね。で、私も最近、飲み込む力が弱くなってきたので、舌の体操をしてるんですけど、いつナチュラル老化型クチャラーになるか分からないんですよ。

 ついでに、母は田舎者なのでスパゲティを食べる時はズルズルと音を立てて食べていました。「スパゲティは音を立てて食べないほうがいいよ。こうやって巻いて食べるんだよ。」と、母に教えても、巻くのも音を立てずに食べるのも(不器用だからか、理解できないからか)できなくて、スパゲティーは一生、フォークで巻くこともなく、音を立てて食べてましたね。若い頃は、そんな母と外食するのが恥ずかしかったですけど、そんなに頻繁でもないし、途中から気にならなくなりましたね。

 母は自宅でナポリタンを作っても、箸ですすって食べる人でしたから、フォークで巻くという発想はなかったと思います。戦時中を体験しているくらい古い人ですから、洋食の時はドギマギしていて、ファミレスでさえナイフとフォークを使うのに緊張していました。それに、母は自分の居住する田舎町から出るような特別な時でなければ外食をしない人でしたし、多くても年に数回しか町を出ない人でしたから、外食することもほとんどありませんでした。ですから、洋食のマナーなど身につける必要のない人だったんですよね。

 逆に言えば、フォークとナイフに苦手意識があって洋食屋に入る時には、かなり緊張していたのではないかと思います。娘の私が行きたがるから無理して付き合ってくれたのかもしれません。この話を箸に置き換えた時、あなたはどう思いますか?

 例えば箸を使い慣れていない帰国子女が見た目は日本人だから事情も聞かれず、箸の使い方が下手だと見下されていたら…と思いませんか?

隙あらば相手を見下し馬鹿にしたい人達

 実際に日本語や漢字が完璧でない帰国子女が周囲(の日本人)にからかわれていたのを見たことがあります。彼女は帰国子女なので英語が堪能ですし、日本語も一見、日本で育ったように見えるくらいに堪能でした。ですが、日本語で少し知らない単語や言い回しも当然ありました。海外で長年暮らしていたわけですから。

 逆に日本語が堪能だからこそ帰国子女だと気づかれず、些細な日本語の間違いで、からかわれる羽目になっていたのです。人間とはチャンスさえあれば相手をバカにし、マウントをとりたいものなのだなぁと、あの時に思いました。

 欧米人では(不器用で)スパゲティを巻くことができず、ナイフで短く切ってフォークにのせて食べる人たちもいますから、「マナーってなんなんッスか?」っていう話は、本当にむつかしい。

 あと、フレンチとかだと、もう、はなから「(ナイフとフォークは食べにくいから)箸持ってきて。」って言うお客さんもいますから、もう、みんな好きなように食べりゃいいんじゃないっすかね?みたいな考えにもなってきましたね。

 

結果には原因がある 

 マナー、行儀、常識、といったようなことは文化、地域、個人によって主軸としているものが違います。さらにそれに合わせられない原因は、個人の生活習慣が原因の場合もありますが、個人の脳の特徴、身体的な特徴でどうしてもその仕草ができない場合もあります。

 だから、起こっている現象だけをとらえて、「マナー(行儀)が悪い。」「育ちが悪い。」と言うのは、早計だと思うんですよ。相手のことを本気で想っているなら、どうしてその現象が起きているのかまで考えて、コミュニケーションを取ったほうがいいと思うんです。 身体特徴的に、脳の構造的にその地域のマナーに即した行動ができない人もいるんですよ。そこは理解をしてほしい

 さらに言うなら、その地域(国家)のマナーに即した行動ができなければ、馬鹿にしてもいい、見下してもいい、なんなら攻撃してもいいという態度の人達がネット上では散見されます。そういった意見を見るにつけ、人の気持ちとマナーのどっちが大事なの?と思ってしまいます。人を見下してまで押し付けなければならないマナーって…貴族かよ!ってね。

案外マナービジネスって儲かるのかも

 私は秘書技能検定2級という資格を持っていますが、この資格は敬語(丁寧語と謙譲語違いなども含む)、冠婚葬祭マナー、ビジネスマナー全般に渡って網羅している資格です。その秘書検のマナーも定期的に書き換わります。なぜなら時代の流れとともにマナーが変わるからです。

 ではなぜマナーが変わるかというと

マナー講師と新たなマナーの発明が絶えない理由がブコメのおかげでよくわかった

 とブコメがありましたが、マナー教室業界が儲かるというのも一つの理由でしょう。ファッション業界と同様に、「これこそが正しい(最先端のファッション/マナー)!」という論を展開してファンを付けなければ儲からないわけですから。マナーが変わったことにして新しい本を出版したり、講演会/セミナーを開いたりして、「あなたのマナーはもう古い!」とか言って脅かせば買う人はいるでしょからね。

 ファッション業界に至っては、同じものをずっと着られちゃ商売になりませんから、業界でワンシーズンごとの流行を決めて、その情報をスタイリストに売ったりする戦略なんかもとってますからね。こちらも「流行遅れ」とかいう言葉で脅かせば、買う層がいるでしょうからね。私は個人的にこういう商業戦略にのせられるのが好きじゃないし、お金もないので追いませんがね。

 アルプスの少女ハイジというアニメで、ハイジがクララの家でめちゃ厳しくマナーを叩き込まれ、悲しそうにするシーンがあります。だけど、あれは彼女がもしアルプスに戻るなら必要のない教育に見えました。その後、クララの家に遊びに行くなどの理由で上流階級と食事をするにしても、少々ルールからはずれたっていいじゃない?滅多にあることじゃないんだから…と思ったりします。

 上流階級の男性と結婚するとかなら、出来たほうがその後の苦労が減るかもわかりませんが、田舎の人のままなら必要ない訓練ですよね。のびのびと生きることのほうが好きなタイプなわけですから。

 私自身は庶民だし労働者階級なので、貴族なみのマナーを求められる場にはすすんでは行きませんし、相手方の要望に合わせて気取った店に行く場合のみ、多少は格好やテーブルマナーを気にする程度です。まあ、たまに行くだけなら盛り付けが格好良くて楽しいですね、私が行ける程度の気取った店は。

 

おわり

 

ハイヒール問題に心底腹が立つのでガチの改定版

 心身ともに体調が悪化中なのだが、若い頃に受けた化粧とハイヒールへの恨みが再燃したので、メンタルの状態が悪く興奮した状態でも書きます。メンタルの状態が悪い時に何か書くとロクなことにならないと体験的に知っているのだけど、恨みでイライラするので書きなぐる。

 不快になりそうな人は、ここで引き返してね。私の心理状態の悪い時の文章が嫌いな人は特に引き返して。コメントで暴言を入れないと約束できる人のみ読み進めてください。それでも暴言を入れる人は、人の気持ちがわからない人だとみなし、今後非表示とさせていだきます。

 私なら馬鹿にしてもいいとみなしている人達がいるので、自衛として前置きをさせていただきました。本題は以下の通り。

 

◆ハイヒールの健康被害についての啓蒙が足りない問題

 まず最初に、パンプスとハイヒールを混同している人達がいるので説明しておきます。

 

パンプスとは、

 

このよな形状の靴の総称です。これがパンプスです。パンプスにもバリエーションデザインはありますが、これが基本形。国によって定義は違うのかもしれないが、少なくとも米国のこのサイトでは「最も定義が難しい靴の一つ」と書かれているので参考までに御覧ください。

What Type of Shoes Are Pumps?

 

そして、ハイヒールとは、

ハイ(=高い)

ヒール(かかと)

で、かかとの高い靴の総称です。

 

で、

今回、問題になっているのは、

ハイヒール(かかとが高い仕様の)パンプス

という種類の靴です。

 

 かかとが高い靴がハイヒールなわけですから、当然、

 

楽天で購入

 

このようなメンズのハイヒールも存在しますし、

 

さらに、

 

かかとが高ければハイヒールなわけですからスニーカー型のハイヒールもあるわけです。ちなみにこの靴はヒール12センチのハイヒールスニーカーね。

 

 今回の争点は、このようなハイヒール=かかとの高い靴の足への影響であり、そもそもパンプス型かどうかは大した問題じゃないの。スニーカーでもアホほどヒールの高い靴を強制されたら足が痛くて困るって話なのよ。

 

 ちなみに日本では、一部に「ハイヒール」とはヒール7cm以上のハイヒールパンプスだという主張もあるが、出典が明らかになっていない説なので、日本ではそういった流派もいるというだけのこと。 

 

パンプスが苦痛なのは社会や会社ではなく靴のせい(6/7追記あり)

 

 この増田はぺちゃんこパンプスのことを言っているのか、ハイヒール型のパンプスの事を言っているのか分からんが、私がこれから書くのは、あくまでハイヒールパンプス(かかとの高いパンプス)のことなので、そこは誤解がないようお願いします。

 

ハイヒールの足への影響を語る時に、整形外科医でもないのに、こうすれば問題ないとか言い出す人がいる。私は、足が悪く階段も一段づつ足を揃えながらでないと降りられない。そんな人間がハイヒールを強制されたら足が激痛で退職しなければならないし、何なら日本や欧米のちょっと高給な飲食店だと、ハイヒールが履けないと採用を拒否されることさえある。それは服装差別ではないのか?人権問題ではないのか?というところで私は不快感を感じている。

 まず、足への影響についてだが、気になる人は整形外科医にハイヒールを履き続けることでの健康被害について根掘り葉掘り効いてみればいい。あの形状は、足先に体重がかかるようにできていて、どう見ても足の関節や筋肉に良くないでしょうよ?私はスニーカで歩いた時に激痛はないが、ヒールで歩くと数十分で激痛が来るよ。

 だから履きたくないの。履きたくないって人に、無理やり履かせたい理由って何だよ?マナーだからか?人の健康よりマナーが大事か?激痛になるから履けませんって言ってもマナーのほうが大事か?っちゅう話ですがな。

 特別な事由があるなら免除しますよって言うとこもあるかもしれないけど、むしろ、特別な事由がなければ履かせるのかよ?って思っちゃいますね。足が痛くなるのはサイズが合ってないからってのは、ハイヒールの健康被害のごく一面にすぎないのよ…。以下のリンクでも読んで、それでもハイヒールを履くことを強制、推奨するのか、もう一度よく考えてほしい。

  ちなみに私が問題にしてるのはハイヒールのパンプスのことなので、ぺたんこパンプスは問題視してません。

 

 

tokuteikenshin-hokensidou.jp

 

 スティーブジョブスが 、T シャツにジーパンでプレゼンをやり始めた時に、一部から絶大な支持を得たのは、成功者は着飾るべきという固定観念をぶち壊してくれたからだろうと認識している。

 彼のおかげか、少なくとも日本IT業界は職能さえあれば、服装は問わないという流れが生まれ、ITなら本当にラフな格好で出勤している人達もいる。この流れは「男性は、職場でスーツを着用しなければならない。」という流れも打ち壊してくれるのではないかと期待している。もうハイヒールもスーツも着たい人だけ、着ればいいじゃんっていうお話。

 私は、男女ともに着飾る必要のない職種/職場で、動きにくく不快感をともなう服装を強制すべきでないという主張をしているにすぎない。女性はハイヒールや化粧、男性も動きにくいスーツを強制されない社会になってほしいという、それだけのことだ。

 水商売、ドレスコートのあるパーティー、社交界などの着飾らなければならない場に、着飾りたい人達が好んで行くケースを除いては服装なんて自由にさせてくれと思う。

 

先進国でもハイヒールは問題になってますがな

 

働く女性がハイヒールを履くのは世界的な傾向です

 

 こんなことを書いてる増田がいたんですけど、だから世界中に困ってる女性がいるっていう話なんですよ。ブコメにも書いたけど、飲食店とかの面接で「足が悪いのでヒールが履けません。」って正直に言おうものなら、「うちはヒール必須なので、ヒールを履けない人は採用できません。」って言われるわけですよ。「御社で働かせていただきたいので、ローファーなどのヒールがない革の靴を用意しますがそれでもだめでしょうか?」と交渉したけど、全く受け付けてもらえませんでした。

 

  普通にヒールのない、このような靴が、そんなに失礼ですか?っちゅ話ですがな。そもそも、高給飲食店に来るようなお客様が「この店員、ハイヒールを履いてないじゃない!どういうこと!」とか言って怒りませんがな。一部の店が勝手にハイヒールでないと失礼だと思い込んで、ハイヒールを強制してるだけですがな、少なくとも日本では。

 私自身も高級飲食店で働いてましたし、自動車会社のCEOの外国人が家族で来るようなお店でしたけど、ハイヒールじゃないって怒られたことなんて一度もありませんがな。じゃあ、ハイヒールを強制しない店で働けよ?とか言い出す人もいるけど、いや、雇用の機会を均等にしろよ?少なくともハイヒールが履けない程度のことで断るなよと、私は思いましたよ、実体験として。

 それにヒールを履かない、化粧をしない内勤の友達は、それが理由で晒し者にされたよ。要するにイジメられたってこと。ヒールと化粧を嫌がると社内イジメに合うっておかしいだろ?しかも内勤で外見は関係ないがな。

 

 この増田は、そんな状況でいいと思うのだろうか?(足が悪くて)ヒールが履けない人、あるいはヒールを履きたくない人はドレスコードを満たせないからダメですか?っちゅうのが、今の流れで、ハイヒール問題は服装差別、人権問題として広がりを見せてるわけよ。ハリウッドの女優たちなんかはヒール強制に抗議するために裸足でレッドカーペットを歩いたりしてますが、世界的な流れを気にするこの増田はそれについてどう思うのだろうか?

 欧米に住んでいるような書き方だが、それなら欧米の服装差別のエグさを知ってるでしょうよ?それとも、この増田も服装差別をする側なのか?と勘ぐってしまう。

 

 

欧米諸国でも「ハイヒール強制」禁止の流れ

www.huffingtonpost.jp

 それに、欧米でもハイヒール強制はダメって流れで、州法とか出来始めてますがな。

 上記の記事の女性は、飲食店のホールハイヒールを強制されて身体にダメージを受けたわけですよ。サイズがあってれば足に問題は起こらない派の人は、飲食業のホールが一日に何時間立っていると思ってますか?一日に何歩歩くと思ってる?少なくとも座っている時間なんて、休憩時間以外にほぼないからね?ヒールのない靴を履いてても足が痛くなりますがな…それなのにヒール強制って…

 歩き回らなければならない立ち仕事で、ヒールを強制されたら一日8時間×一ヶ月20日=160時間の間、ハイヒールで歩きまわらなければならないわけですよ。労働時間がその程度ですめばの話ですけどね…こんな調子じゃ、当然、足を痛めますがな。私もぺたんこ靴で飲食店のホールをやってましたけど、ヒールがなくても歩きすぎで、仕事が終わった後は毎日足が痛くなりましたよ。その状態でヒール強制ですよ?

 

ニューヨーク市の人権委員会は2015年12月、性別に基づいたドレスコード強制は「法に違反する可能性がある」という新ガイドラインを発表した。

ケガをする危険や長期間の着用によるダメージを考えると、ハイヒール着用の強制は危険だと判断した、とブリティッシュコロンビア州政府は発表した。

また、ブリティッシュコロンビア州は、人権法で性別に基づいたドレスコードをつくることを禁止しているため、健康や安全面だけではなく、性別に基づいた要求、たとえば女性だけにハイヒールを履くよう求める、といったことも禁止される。

ハイヒールは貴族の靴ですがな

 そもそも、ハイヒールって貴族の靴ですから。まず、貴族の靴を庶民に履かせてどうするんだよ?って思います。貴族って馬車で移動するからそもそもそんなに歩かなくていいわけで、しっかり歩く庶民がハイヒールなんか履いたら足を痛めますがな?って話ですよ。

 ちなみにカバンだって従者が運ぶから貴族なんて重い荷物を持たないわけですよ。自分が運ぶわけじゃないから、カバンなんていくら大きくても重くても問題ないわけですよ。デザイン性を重視して機能性を犠牲にするってのは自分は大して歩かない、自分で自分の荷物すら運ばない貴族だからできたことなわけよ。そんな、肉体労働なんかしない前提の貴族の持ち物を、庶民が持ったところで、非合理的すぎて困るだけじゃん。

 しかも、あれって貴族のウンコよけの靴ですから。ウンコが街に溢れてるの踏むの嫌だからかかとを高くして、地面に触れる部分=ヒールを最小限にした作りになったわけですから。そんな機能、どこに行っても清潔な日本ではもう必要ないでしょうよ?

 もっと言わせてもらえれば、働いている時点で「労働者」ですがな。どんなに気取ったって、会社で働いている時点で労働者なわけよ。労働者がなんで貴族の格好を強要せされなきゃいけないのさ、っちゅ感じですわ。

 

 

 ほんで、上記の記事では男もハイヒール履いてた時代があったと書いてありますので、現代でも女性にハイヒールを強制する男性は、とりあえず責任を持って自分も女性と同等の(ヒールの)高さのハイヒールで働いてみて、それが労働する際に効率的かどうか、しかと確認していただきたい。自分が簡単に体験できる事に関して、体験しもせずに人に強制するとか、人としておかしいだろ?と思います。

 靴修理レスキューの話だと、嘘かホントか知りませんが、昔は男性もハイヒールを履いていたが合理性を考えて履くのをやめたとなってます。なら、女性も合理性を考えてやめさせてくれよ、っちゅう話なわけですよ。なんで男性はやめてもいいのに、女性はやめたらダメなのよー?って思っちゃうわけよ。

 なら、いっそのこと、女性にハイヒールを強制する職場は一律に男性にも女性と同等の形状とヒールの高さの靴を強制して、男性たちに「こんな歩きにくい靴は勘弁してください!」って抗議されて、ハイヒール強制禁止になってほしい。

 

 

楽天で購入

 

 男性でも、このようなハイヒールの靴を履く人はいますが、せいぜい3~4センチで、なおかつヒールの幅が広いじゃん。もっと細くて高いヒールのとてつもなく歩きにくいパンプスを要求される女性の身にもなってくださいよ…

 

  昔は、一般的に「足がきれいに見えるから」みたいなことで、会社で要求されるパンプスってこういう形で、これだとヒールが細いし、高いし、足が痛いっつってるでしょー!!!とキレそうになってたわけですよ。

 

男女でハイヒール強制の理由が違う

 男性は自分が履いたことがないから、そのつらさや健康被害が分からないという理由で女性にハイヒールを強制しますが、女性は自分もハイヒールを履いてるんだから、あなたも履くべきだと言って強制してきます。

 女性の場合は、私はハイヒールを履いているが問題がないのであなたも履くべきだ派(一番上の増田みたいな人)と、私も痛いのを我慢して履いているのだからあなたも我慢して履くべきだ派がいます。上司や先輩のような立場の女性達が「指導」と称して強要してくるわけです。

 

 「私は問題ないからあなも履くべきだ派」の人は、そもそも既成品で対応できる足なのよ。だから問題が起きないの。私の知ってる若い子なんか左右の足の形もサイズも全く違って、既成品じゃ全く合うものがないので、ワンサイズ違う靴を2足買って片方ずつ履くしかない状況なのよ。例えば右足は23センチ、左足は24センチのを履かなければならないって意味ね。

 彼女は高卒で正社員でも手取り12万だよ?それでシューフィッターとかセミオーダーとか買えるわけ無いだろ?シューフィッターとか、どこの中流基準の話だよって思います。

 給料は少しか出さないが、足が痛くならないようないい靴を買えって、あんた。じゃあ、会社がシューフィッターの店で買ってやれよ?っちゅう話ですがな。私の周囲の女子なんか、12~15万の給料でブラックな労働してる子なんかザラにいますよ?もう、労働基準法ではアウトな滅茶苦茶な独自ルールを設定してるとこもザラ。でも、目先の現金を手に入れなければならない弱小労働者はクビになりたくないから、告発なんてできない。そんな人らにシューフィッターってあんた…。私みたいに嫌ならやめて次の仕事探すとかいう滅茶苦茶なことができる人間のほうが少数派ですがな。

 君ら、自分と同じ所得水準の人らとしか関わらないから分からんかもしれんが、「パンがないならケーキを…」の言い草と同様に、ハイヒールが痛いならシューフィッターをって、君らどこのマリーアントワネットだよ?っちゅう話ですがな。

 

 もー、ホントはてなって貧困世帯や、貧困独身者に向かって、絶対不可能な提案を悪気なくしてくるから、ホント、何だろ?この金銭感覚の差は?って苛立ってしまうんですよね。(未熟者ですみませんm(_ _)m)

 家賃は3万以内、食費は一食200円以内でアドバイスをお願いしますって感じよ。それが、家計管理をきちんとしているワーキングプアの一般的な金銭感覚ですから!って声を大にして言いたい。みんな、人様に迷惑をかけたくないってギリギリのラインでやりくりしてるわけですから。

 

 ほんで、健康被害のあるような靴を強制するとか、マジで人権問題ですからね。ハイヒールを強制されて足腰が痛くなってる人はまず整形外科に行って診断書を書いてもらって、交渉して自分の(ハイヒールを履かなくてもよい)権利を勝ち取ってほしい。

 交渉なんて怖くてできないって女性も、とにかく整形外科でハイヒールと足腰の症状の因果関係を記載した診断書をとっておいて、やめる時に、簡易訴訟でも起こして賠償金をたんまり取るといい。

 賠償金をがっつりとられる会社がたくさん出れば、ハイヒールの強制も下火になるかもしれないからね。結局、人の行動を変えさせるのに一番手っ取り早い方法は「このやり方だと損をする」と自覚させることだから。

 

 あー、またハイヒールへの恨みつらみから、嫌味な言い方しちゃった。でも、それくらいに、私は仕事で化粧やハイヒールを強制されたことを恨んでるってことでご理解をお願いしますm(_ _)m

 

おわり

 

 

子供に何歳から料理をさせるか問題

 私の家は育児放棄の虐待家庭だったので、自分のことは自分でやらないと生きていけない環境でした。物心ついた頃にはすでに自分の食べる食材は自分で買いに行かなければ、食べ物が無いことも多かったですし、自分で調理をしないと誰も食事など作ってくれない環境でした。

 ですから、私は何歳かは分かりませんが、かなり小さい頃から料理をしていました。この話を友達にしたら、料理の仕方はどこで教わったの?と聞かれました。よく思い出して見ると、料理法は3分クッキングやNHKの今日の料理などの料理番組で知ったと思います。あとは、本屋での立ち読み。

 

 さらに、遠足の時のお弁当ですが、これも育児放棄なので同居している父、祖母は弁当など作ってくれません。ですから、一ヶ月に2回しか休みのない母が同僚に休みを変わってもらって、ストーカの父に見つからないように、こっそり学校に弁当を持って来てくれていました。

 ですが、母も父に見つかる危険、休みを交代してもらうことへの罪悪感から、早く遠足弁当をやめたかったのでしょう。私が小学3年生になると、「ららさんはもう3年生になったのだから、遠足の弁当は自分で作りなさい。」と3000円を渡されるようになりました。この時から、学校の遠足の弁当は自分で作るようになったのでした。ちなみに、母に兄の分の弁当も作るように言われたで、兄の分の弁当も作って渡していました。

 ここでジェンダーの話にして申し訳ないのですが、兄のほうが当然歳上なわけで、歳が上のお兄ちゃんが妹のために弁当を作ってあげなさい、という話にならなかったのは、やはり母が古いジェンダー感だったからかな?と思ったりします。

 あるいは、兄は頼りなさげな性格で、私は気が強くしっかりしていると思われやすかったことが関係しているのかもしれません。いずれにせよ、私は小学校3年生から遠足の弁当を作らなければならなくなったのです。

 

 元々、普段の食事も自分で作っていましたから、料理自体はできたのですが、遠足弁当となると少し華やかさが必要ということで、当時の私としてかなり高給に見えた、冷凍の肉団子などを買ってきて油で揚げて入れたりしていました。他には卵焼き、ウインナー、煮物、肉じゃがなどを入れていたと思います。

 

 友人たちに小学校三年生の頃には、もう自分の食事は自分で作っていた記憶があると話すと、驚かれることが多いのですが、それはいくらなんでも子供の能力をナメすぎだろ?と思ってしまいます。やらせればできますがな…と自分の体験から思ってしまうのです。(障害のある子は程度にもよるかな。)

 子供に包丁をもたせたり、火を扱わせるのは危険と思う大人もいることでしょう。ですが、大人になってから調理を始めたとしても包丁で指を切る人もいれば、油がはねてやけどをする人もいることでしょう。多少の怪我をして、何をすると危険かを学ぶという点では、子供でも大人でも同じだと私は自分自身の体験から感じています。当然、私も調理を始めた子供時代には多少の怪我もあったでしょうが、それを体験することで何をどのようにすると危険なのかを学習できた気もしています。

 ガンダムの作者である富野氏が、ガンダムを書いた理由は「大人は子供をナメていると思ったから」と言っているのを見たことがあります。悪いやつとイイヤツがロボットに乗って、意味不明に戦うアニメなんて、子供を馬鹿にしてると思ったから、もっとちゃんとした子供向けアニメを作りたかったとおっしゃっていました。

 子供だからまだ分からないだろう、子供だからまだ出来ないだろうと、何もやらせないことは、子供の可能性を潰しているようにも思えます。私自身が食事は自分で食材を買いに行き自分で作らなければ食べられないということを、小学校低学年で学べたことは、良くも悪くも非常に大きな学習体験と思います。ついでに、洗濯も掃除も自分でやらないと誰もやってくれないということも無意識に学んでいたので、結果として、自分のことは自分でやらないと何も前には進まないと体験的に学習できてしまったのです。良くも悪くもね(^_^;)

 

 さて、話を元に戻しますが、ではなぜ母は「3年生=調理ができる年齢」と判断したのでしょうか?現代の親なら「3年生なんてまだ料理は無理」と判断してもおかしくありません。ですが母は3年生になったら調理くらいすべきと思っていたのです。

 これは、なんとなくですが家庭環境と時代の違いというのが理由な気がします。母の時代はわかりませんが、祖母の時代はまだ児童がでっち奉公などで労働していた時代で、子供も大人と同じ職場で働いていた時代です。ですから、祖母は子供でも十分な労働力になるということを知っていたのでしょう。なおかつ、祖母は教師でしたから、子供の能力・可能性についてよく知っていたのでしょう。

 母方の祖父は、母が小さい時に亡くなったので母方は母子家庭でした。たまたま祖母が教師だったので暮らしてはゆけたようですが、戦時中は大変だったようです。何といっても母子家庭で祖母が働きに出ているわけですから、家事までなかなか手がまわりません。

 ということで、祖母は母に小さい頃から家事を教え、家の中のことは母に任せるように教育したのです。母方の兄弟は母以外は男兄弟で、母は「母さんは女だから学校が終わったらすぐに家に帰って食事の準備をしなければいけなかった。でも、男兄弟は外で遊んでいて、みんなは遊べるのに、なぜ私だけ遊べないの?と悲しかった。」と言っていました。

 母もまた、年上の兄弟がいるにもかかわらず、女だからという理由で全ての家事を押し付けられた人でした。そして、また自分の娘である私に「あなたは女の子なんだから、お兄ちゃんの分の家事・炊事もやりなさい。」と教えるのでした。環境は遺伝するというのはこういうことを言うのでしょうね。

 また、つらつらと思ったことを書いているので、脈絡がなくなっていますが、母はおそらく祖母に、「あなたはもう小学3年生になったのだから、家事・炊事はあなたがやりなさい。」と言われたのではないかと思います。だから私に対しても「小学3年生になったのだから遠足の弁当くらい自分で作りなさい。」と何の躊躇もなく言えたのだと思います。

 母に弁当を作ってもらえるというのは子供らしい甘え心としては、とても嬉しいことでしたし、もう遠足で母の弁当を食べられないというのは、とてもさみしいことで、ガッカリしたのも事実です。ですが、あんなに働きづめの母に迷惑をかけてはいけない、母の手を煩わせてはいけないという気持ちが勝ち、自分の甘えた心は押し殺しました。母が少しでも楽になるなら私が頑張らねば!と思うのが小さな子供というものです。

 それに、大人になった今、生活の基盤である調理が出来ない、あるいは面倒臭がる人をみると、私は子供の頃に「生きるためには調理をするのが当たり前」という感覚を身につけるとこができて、本当に良かったと思えます。

 小学生の頃には、すでに、野菜や加工品の底値が頭に入っていて、この豆腐は高いから買わないという程度の家計管理能力は身につけることができていたのです。

 

 樹木希林さんの娘の也哉子さんが、あるTV番組で子供時代の体験談を話していたことがあります。樹木希林さんは「自分のことは自分でやらせる。」という教育方針だったようで、也哉子さんは「母は本当に何もしてくれなかった。」という趣旨のことを話していました。

 体験談として、風をひいても保険証を渡されて病院に行ってきなさいと言われるだけで、何もしてくれなかったので、一人で病院に行って一人で診察を受けなければならなかったとおっしゃっていました。そして、「その当時は寂しかったけど、母のあの方針があったおかげで、今の自分は自分の生活をきちんと管理できるようになったのかもしれない。」といった趣旨のこともおっしゃっていました。

 何かを得れば何かを失うというのは、私が持っている基本的な考えで、親が手をださない寂しさと引き換えに子供が自立できる能力を身につける、か、親が手を出して子供の甘えたい気持ちを満たしてあげる代わりに子供の自立能力を阻害するか、ということになりやすいのかもしれません。

 もちろん、能力が高い親なら、それらを両立することも可能かもしれませんが、やはり時間・金銭的な余裕がないと、子供に家事を懇切丁寧に教え、なおかつ危険回避のためにつきっきりで見守り、危機的状況になったらとめるといった指導をほどこすことは、なかなか難しいことなのかもしれませんね。

 

 また、思ったことをつらつらと書いたので、おかしな流れになりましたが、やはり富野氏のいうとおり、現代社会では「大人は子供をナメている」という傾向が強いように感じます。

 それをうまく表現しているのが「あかんたれ」という古いテレビドラマなのですが、あれは現代だと差別表現とされる言葉が多用されていて、復刻されることはないのかもしれません。本当に残念です。

 また、〆かたがわからないので急におわります。またねー。

 

おわり

 

バーベキューって何かと物議をかもしてるけど…

はてな、特に増田では、ちょいちょいバーベキュー問題が物議をかもしています。これらはおそらく、コミュ障さん達とコミュ強さん達の争い、あるいはリア充さん達と非リア充さん達との争いであるのだと思います。

 

 私自身は心身ともに健康な時は、とにかく動き回って人と交流するのが大好きなリア充のコミュ強なのですが、心神耗弱状態になると対人恐怖が出て極端なコミュ障になり、電話恐怖症まで出て電話にすら出られなくなります。ので、必然的に非リア充になってしまい、重症化・長期化すると引きこもりになるわけです。

 ここ半年くらいは割とうつ状態になる時は少なく、割とアクティブモードで色んなことに取り組んでます。

 

 というわけで、コミュ強モードのワタクシはバーベキューを楽しんでまいりましたので、その様子をちらっとだけ。

 

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 ずっと、誘われていたバーベキューを断っていたのですが、私の友達が参加したいというので友達を連れて行くというテイで私も参加することに。なんでバーベキューが苦手かというと、私、日焼けがすごいんです。海水浴なんかに行くと、大げさにではなく直径5センチくらいの水ぶくれが、背中じゅうにできてしまうくらい日焼けがダメなんです。

 もちろん日焼け止めも塗っていますが、それでも真っ赤になってしまって、滅茶苦茶痛いので、長時間屋外にいる状態は避けたいのよね。だけど、バーベキューって絶対に屋外でしょ?だから、断ってたの。

 で、この日は7~8時間ほど日陰でバーベキューを楽しんだのですが、日焼け止めを何回も塗り直したにもかかわらず、顔が日焼けでチリチリと痛み、やはり屋外はダメだぁ…と懲りたのでした。私、甲状腺に問題があって、日焼けに弱いのは甲状腺も関係あるという話も聞いたことがあるので、一度医師に聞いてみようかなと思ったりしてます。

 まあ、日焼けの愚痴はここまでにして、バーベキュー!!

 

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 元々、この集まりはスポーツの集まりで、皆がスポーツを楽しんでる脇で昼食を兼ねたバーベキューをすると段取り。私は足が悪いのでそのような激しいスポーツは無理なので調理要員として日陰で調理を始めていたのでした。すると、女の子達が「やりたい!」と集まって来たので、いつの間にかワタクシは子供たちの調理の見守り係に役割が変わってしまっていました。

 子供は男の子も女の子もいたのですが調理を手伝いたいと集まってくるのは女子ばかり。男女とも「料理は女がするもの」と子供の頃から刷り込まれてるのかな?とジェンダー目線で観察してみたりしてました。

 

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 最初はまな板一枚で私が野菜をカットしていたのですが、女の子が「やりたい。」と言って来たので切り方を教えていると、「私もやりたい!私も!」と子供たちが集まってきてしまいました。そして、若干の取り合いに…ので、まな板と包丁を調達し、お手伝いをしたがる5人の子供たちを喧嘩にならないように交代で順繰りまわしていったのでした。 

 私も大人になった今でも、包丁で野菜を切るのが楽しいので、子供たちが調理を楽しむ気持ちがとても良くわかります。

 

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  ある程度大きい子達とは言え、やはり包丁を使わせるのでしっかり観察しておかないと、子供は興奮すると突発的な動きをするので非常に危険。しかも一度に何人か包丁を持っていたので、隣の子に手に持った包丁が近寄らないよう、隣の子に包丁の刃先が向かないように、ちくいち注意しておりました。安全第一ですからね。

 

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 最初はこんな感じでおっかなびっくりだったのですが、慣れてくると上手に切れるようになりました。子供と一緒にいて楽しいのは、何かを教えるとアッという間にできるようになってくれること。そういう姿を見るのは本当に楽しいです。

 

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 まな板と包丁を調達し、「順番に交代でやろうね。」と声掛けをして、3個切ったら交代というふうに仕切ったので、喧嘩にならずにすみました(;´Д`)子供って、不公平だと感じることがとても嫌いですからね。癇癪をおこさせないように工夫するのも大人の仕事です。

 

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 そして、オリーブオイルを刷毛で塗る作業。この作業は本当に子供の性格が出て、几帳面に時間をかけて塗る子、「ほら、もうできたよ!」と、めっちゃ雑に塗る子、「これのほうが早いよ!」とオリーブオイルに椎茸をつけちゃう子、本当に個性は色々です。そういうのを観察するのも私としてはすごく楽しいですね。

 

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 バタバタしてて串に刺してるとことか、焼いてるとこの写真は取れなかったのですが、焼き上がった食材を食べる子供たち。かわいぃ(*´ω`*)

 

 ということで、コミュ強モードのワタクシのリア充状態での活動日記でした。状態が悪い時は引きこもるのでコミュ障状態で外出することはまずないので、私にはバーベキュー問題は起こらなさそうです。

↑ 覚えたネットスラングをこれみよがしに使って見せたい中高年のおばさん(・∀・)

 

おわり

 

とにかく、ゆこう

 

たとえば、

就職先が決まっている学生や、

サラリーマンの人たちは、

先が見えるのが怖いって

このまま行けば、

こうなって、こうなって、

こうなるだろうって

わかるから、怖いって言うのね。

 

もっと、冒険をしてみたかった、

みたいなことなのかな?

 

だけど、私みたいに

何をどうしたいとか

はっきりした目標や目的もなく

ただ、ボンクラに、

ついてみたい仕事について、

行ってみたい外国に住んでって、

やってるうちに

さきのことなんて

何にも見えない人生になっちゃって

ひどい精神病になっちゃって、

っていうのも

怖いは怖いよね。

 

天涯孤独の身で、

たったひとりでオンボロアパートで

精神病で寝たきりになって

死にかけていた私。

 

ネットで知り合った

若いツバメと一緒に暮らし始めたら、

なんかわかんないけど、

その人が夫になってくれて、

死に損なった

中年のデブのおばさん。それが私。

 

人生、何が起こるかわからないね。

 

先のことを考えたところで、

どうなるもんでもないって

分かっているから、考えない、考えない。

 

イージュー★ライダーを聞きながら、

あったかいコーヒーを飲んでいると

とにかく、生きてみようと思えたりしてね。

 

精神病が落ち着いてきたせいか、

気分にムラがなくなり、

激情を起こして、書きなぐりたい!って

思うこともなくなってきた。

 

でも、精神病が落ちついてきたからこそ、

まだ、リアル社会で試してみたい冒険が

あれやこれやあって、

走り始めてしまったら、

また、地獄の思いをするかもしれないけど

っていう不安もなくはないよね。

 

担当医はやはり、

患者の心身の健康や安定を一番に考えるので

いつだって、まだ早いとか

今の体調じゃ無理だとかいうけど

担当医にやめろと言われても

押し切ってやってしまったことが

数々あって、

今となっては、

「あなたは、やるって言い出したら

 誰が止めようと、

 絶対にやる人だから…」

と、どんなに無理をしようとしても

協力してくれたり、寄り添ってくれたり

するようになった。

 

ごめんよ、こんなわがままな患者で…

感謝してるよ。優秀な担当医よ。

 

などと、心の中でつぶやきつつ、

わざわざ安穏とした生活を

ぶち壊してしまうようなリスクを

抱え込もうとするアホなワタクシ。

 

夫や担当医の心配そうな、

不安そうな顔を横目に

あの向こうの、

もっと向こうへ行きたいのが私。

 

とは言え、癌の手術が終わらないことには

何ともならないので、それが煩わしい。

 

隠し事は面倒なので、

癌に羅患していることは公言していて、

私がいつも元気で笑っているから

結構、みんな私が癌だってのを忘れて

頼み事とかしてくるので

「こう見えても、あたし、癌ですからっ(爆笑)」

とか言って、

思い出してもらってます(笑)

 

「こんな、ふざけた癌患者

 そうそうはいないよねー!

 あーはっはー」

 

と、大笑いしていると、

「コメントにこまるわー(;´Д`)」

と、ツッコミが入ったりして

なかなか楽しいですよ。

 

もう、老年に入りつつある中年なので

何をして死ぬか、

どのように死ぬかは、

しっかり考えておかねばならいと

すこし焦ってしまっているのかもしれない。

 

なんだか、最近、このブログに

学生さん達からの読者登録が一気に入って

なんのことやら分かってないのですが、

まあ、若いうちは色々やってみるといいよ

と思う。

 

ただ、心身共に健康であれば、

親元を離れて自活する訓練をしなさい

ということだけは強く言っておく。

 

人ひとりが生きていくためには

住居、食料、衣服、電気・水道・ガスなど

が必要で、

それらを手にいれるためには

一定額のお金が必要であるということを

知らない若者によく出会う。

 

いや、知っていたとしても

それだけ分のコストを稼ぐのでさえも

結構大変で、それに加えて、

老後資金、病気怪我など不慮の出来事で

働けなくなった場合の資金などを

蓄えておかなければならないということ、

 そういった最低限の蓄えをするには

働き始めて最初の5年程度は

自由になるお金などほとんどない

という計算ができない子が多い。

 

私としては、30歳までには

どんなに少なくとも300万、

できれば800万程度の

貯金はしておかないと不安だと

考えていた。

 

働けなくなった時、

1年150万円で暮らしたとしても

2年しか生活できないと考えたら、

300万円なんて何の足しにもならないという

考え方だ。

大人なら当然そのように考えると思う。

 

実際には、働けないということは

体を壊しているということだから

医療費も加えると、どうやったって

1年間を150万円で過ごすのは

不可能なんですけどね。

 

特に実家から出たことのない子は

家計管理や、金銭面での人生設計の

計算ができない子や、

家事・炊事が全くできない子も

少なくない。

 

親が生活関係の管理を丸抱えにして

子供に一切やらせなかった家の子は

どんなに学力が高くとも

家庭内の管理ができずに

自滅するケースも少なくない。

 

これは親の問題、

子育ての問題でもあると思っている。

子供には、衣食住と家計の管理は

しっかり教えてやらねばダメだ。

 

少なくも、三食のご飯は

自分で食料を買いに行って

調理しないと食べられない

と言う程度のことは

親が教えてやらねば。

 

そして、調理の仕方もね。

 

親が、炊事・洗濯・掃除を

丸抱えにするなんてのはもってのほかだ。

家事について何もやらせず、

何も教えないというのは

ある種の虐待のようにもおもえる。

 

何もできない子にそだてるつもりか?と…

 

特に男の子に対しては

自分の存在価値を示すためか、

あるいは家事を教える時間を惜しむためか、

母親が男児の身の回りの世話を丸抱えにし

やらせないケースも目立つ。

 

そのような母親が従者のように

身の回りの世話を焼いた男の子は

結婚して妻ができても

妻に、メイドや従者のような世話を

要求しやすく、自立した女性なら

自分のことは自分でやってくれと

当然拒否し、揉め事、最悪、離婚の原因になる。

 

まあ、子供の頃から親と一緒に

家事をし、家事は自分達でやるのが当たり前

という考えを持たせたほうが

子供も将来幸せということです。

 

また、つらつらと

思いついたことを書いてしまったが

まあ、人様に金銭で迷惑をかけない程度に

私は、好きに生きて、好きに死にたい

ってことかな…

 

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 私が子供の頃のTV番組は、まだ、戦争の残り香を残しており、庶民の苦労話の物語も非常に多かった時代でした。おしんのように子供が丁稚奉公で働き、ひどい差別を受けながらもたくましく生きるような物語、農村の貧しい娘が遊郭に売られ逃れる術もなく死んでいく話、戦時中/戦後のひどい生活を描いた話などなど、本当に苦労話が多かった気がします。

 

 そして、私たち庶民は、あの時代よりはマシな生活だよねーと、自分たちの生活からくる苦しみを紛らわせていたのでした。

 

 私自身も、ちょいちょい生きることに疲れてしまうので、そういうときは「金持ちは金持ちの苦労があるんだ、庶民で良かった…」と思えるように、ドラマや映画で、日本なら武家、欧米なら王族、貴族、中国なら武将、商家の物語を見てみたりしています。

 

 最近、気に入ったのはこのドラマ。このドラマは中国のかなりお金持ちの家の中の内紛の話で、家庭内でも政治的な計略が繰り広げられます。どこの国でも、いつの時代でも、取り合うことのできる資産があるお家ではこのようなことが起こっています。当然、現代の日本ででも起こっています。

 瀬戸内寂聴氏も寂庵で様々な相談を受けていたようですが、老年の方々には子供に遺産なんか残すな、全部自分の余生のために使ってしまえ。遺産なんか残したら子どもたちの揉め事の原因になると伝えていると著書に書いていました。

 

 私もそう思います。親は子供に金を残すのではなく、お金の稼ぎ方や少ない金額でも心豊かに暮らせる方法などの生き方の「ノウハウ」を残してやるのが、最大の愛情だと私は考えます。

 

 このドラマのように、食うには困らず、贅沢な暮らしもできるが、とんでもない苦しみを背負う金持ち、貧しいがゆえに自らの心身を売り買いされてしまう従者たち、そこそこの自由はあるけど金持ちよりは不自由な労働者たち、こういった階層の人達の生き様を見て、現代日本の生活環境や、自分の置かれている状況を比較してみると、面白いと思います。

 

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フロムの「愛するということ」の概要を知ろう

 

フロムの「愛するということ」動画を見つけたのでご紹介しておきます。

 

増田などで、恋愛や結婚などの話題が振られると

婚姻と愛を一括りして考えようとする人の多さに

驚くことがあります。

 

なぜなら、私の家系は母方も父方も

兄弟全員が親の決めた相手と結婚したからです。

 

私の母も、

「父さんのことを一度も好きだと思ったことはない。」

と明言していました。

 

子供だった私は

結婚は恋愛の着地点だと思っていたので

「どうして好きじゃ無い人と結婚したの?」

と聞いてみましたが、

「おばあちゃん(母の母)が決めた相手だから。」

と、当たり前のように答えてくれました。

 

その様子は、

好きでもない人と渋々結婚させられた

という感じでもなく、

親が決めた相手なんだから

結婚するのは当たり前でしょ?

という感じの言い方でした。

 

ですから、私は

結婚と愛は関係ないものと捉えていました。

 

「愛」と「結婚」を

結びつける考え方の人達もいますが

その考え方は、少なくとも日本では、

キリスト教由来であろうと

推測しています。

 

ですから、私の父方も母方も

少なくとも一回目の結婚は

惚れた異性と結婚する

という発想ではなかったようです。

 

 

恋愛のような

相手に情熱的に入れ込んだ状態を

愛だとは捉えず、

もっと根源的な「愛し方」についての

説明をしているのがフロムの

「愛するということ」という本です。

 

この映像を見てから、

「愛するということ」を読むと

より、理解が深まるかもしれません。

 

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