女だから言えること

中高年のおばちゃんの脳内を日記がてら綴っております。

思い込みからくる誤解について思うこと

 

 「思い込みからくる誤解」について、今でも覚えていることとして、小学校高学年の時の出来事があります。

 ある日、小学校で「今日は分担で学校の裏庭と体育館を掃除することになりました。A班は裏庭、B班は体育館の掃除に行ってください。」との指示がありました。私はB班に所属していたとしましょう。

 そして、私はB班なので放課後に体育館の掃除に向かおうとしていました。すると担任の先生に呼び止められ、「よそのクラスの屋上の掃除の人数が足りないので、屋上の掃除を手伝って。」と言われたので、私は屋上の掃除を手伝いに行きました。その日はそれで終了したのですが、翌日、学校に行き、同じB班の洋子ちゃんに話しかけると、あからさまに怒っていて、私の呼びかけを無視するのです。

 私は何のことか分からず「どうしたの?どうして怒ってるの?」と聞くと、やはり無視。とにかく口を開いてもらわないと事情が聴けないし、事情を聴きもせずに、こちらも怒るというのは相手と同じ行動で、あまり褒められた行動ではないのでやりたくない。ということで、私は洋子ちゃんの説得にかかりました。

 「洋子ちゃん、どうしたの?何も言ってくれないと分からないよ。どうして怒ってるの?私が何かした?何か嫌なことをしたなら謝るから、何が悪かったか言って。」といった類のことを言いました。

 すると、洋子ちゃんは「自分の胸に手をあてて聞いてみれば?」と、やはり怒った口調で言ってきました。何も教えてくれず、その上「いいから、あやまって。」と言ってきました。

 正直、「なんだよ…これ…」と心の中では思いましたが、きっと何か誤解があって、こうなってるんだという私の考えは変わらず、「今、全部思い出してみたけど、何も洋子ちゃんを怒らせるようなことをした覚えがないから、本当に分からない。教えて。おねがいだから教えて。」と懇願しました。そして「悪いことをした覚えがないのに、謝れない。」とも言ったと思います。

 

 洋子ちゃんは自分の考えが正しいと思い込み、理由も伝えず、私に謝罪を要求してきましたが、あまりに私が謝罪に応じず食い下がるので、やっと怒っている理由を教えてくれました。

 

 洋子ちゃんは「昨日体育館の掃除に来なかったよね?さぼったよね?そういう人だと思わなかった。」と言いました。「えええええええ!洋子ちゃんの中では私が掃除をさぼってたことになってるんだぁあああ、まじかぁあああ!」と、内心でとても驚きました。そりゃ怒るわ…と。

 

 私は先生に急遽、屋上の掃除に行けと言われ、屋上の掃除に行ったことを話しました。すると、洋子ちゃんは「私はそんな話は聞いてない。」とさらに不愉快そうにしていましたが、「それなら先生に高円寺さんに屋上の掃除に行くように言いましたか?と聞いてみればいい。絶対に間違いないから。」と伝えました。すると、洋子ちゃんの態度が軟化し「本当に?」と、私の話を受け入れる体制になってきました。

 

 洋子ちゃんは少し意地になっている部分もありましたが、「私も、屋上の掃除になったことを洋子ちゃんに言わなくてごめんね。」と、その点の過失について先に謝ったので、洋子ちゃんの意地も少しほどけて、「知らなかった…ごめんね。」という流れになり、一件落着しました。

 

 これは小学校時代の話ですが、大人になっても自分の思い込みで誤解をし、相手にヒアリングすることもなく断罪する人は少なくありません。

 

 私自身は、相手が自分に不快感を与える行動をしたなら、なぜそのような行動をしたのかをヒアリングするのがコミュニケーションの足掛かりだと思っています。相手がかたくなで、こちらの説得を全く聞き入れない場合はどうしようもないので関係自体を切りますが、私自身の周囲では(もしかしたら私自身が聡明な人だけを選んで関わっているのかもしれませんが)時間をかけて話し合えば誤解が解けることも少なくありません。

 もちろん、自分の損得や、自分のわがままが最優先で、相手の言うことなんて全く聞き入れない人というのも存在します。そういった人たちは「自分こそが正しい」と思っているので、まあ、まず人の言うことは聞きません。ですから、プライベートなら関わらない、職場なら立場の高い人が力で押さえつけて言うことを聞かせるという方法で対処されることが多いのが現実でしょうね。

 

 さらにネット社会というのは情報を発信する場であり得ても、相手の細かい事情についてヒアリングできる場ではないと私は感じているので、ネットで誰かとコミュニケーションを取ろうという気にはなれないのが私の心情です。

 また、相手の人柄というのは会話内容のみで判断できるものではなく、日常の生活態度、行動パターンを見ないと分からないものです。言っていることとやっていることがバラバラな人というのは非常に多く、口では何とでも言えるものなので、なおさら、ネットで見える部分がその人のすべてだと思うのは危険だと感じています。たとえその人がネット上で善人に見えても、悪人に見えても、それは一部分にすぎないという意味でです。

 

 あいかわらず、思ったことを垂れ流してしまいました(;'∀') 無理くり結論を付けるとするなら、組織やコミュニティで活動しなければいけない場合は、「ヒアリング」「話し合い」「説得」というスキルは必須だよなーと思ってしまうってことかな。

 

おわり

 

 

合わせて読みたい記事

性格診断テストをやってみた

こんなのを見つけたのでやってみた。

 

 結果は「主人公」だったんだけど、こんなものは自主申告で簡単なカテゴライズをしてるだけだから、おしゃべりのネタくらいにはちょうどいいけど、真に受けるものではないと思ってる。

 私は自分が「主人公」になれるようなタイプでないのが分かってるので、はずれてんなーっと思って、ふふっ、やっぱりこういうのってテキトーだよねー。でも楽しい(´∀`*)みたいな感じで読んでます。

 

脇役にすらなれなさそうな私

 女性でゲーム・オブ・スローンズを見ている方がどれくらいいらっしゃるか分かりませんが、女性の方々はもし生まれ変わるとしたらどの女性登場人物になりたいですか?私は圧倒的にブライエニーです。

 誠実な上に男並みに腕力が強い。私は男の腕力を幼少期からずっとうらやましく思っていたので、その必要があれば男と対等に戦い倒せるブライエニーが好きでたまらない。さらに男並みの腕力があるだけでなく、忠誠心もあり、身の程をわきまえているところが、とてもとても好きなんですよね。

 

 ただまあ、ブライエニーの芯の強さは「腕力の強さ」と「高名な家柄(という後ろ盾)」があるからこそ維持できているにすぎませんよね。私は育ちが良くないので、ブライエニーのようになれることはなさそうですね。彼女に生まれ変わるためには、来世で高貴な家に生れ落ちる必要があるよなぁと思ってしまいます。

 腕力もなく、家族もいない「娼婦」のような暴力的に支配されることが当然の立場であり続けたら、常に死や暴力の恐怖に怯えておらねばならず、「芯の強さ」なんていうものは育ちにくいでしょうからね。

 

 ちなみに、男性たちはゲーム・オブ・スローンズの誰になりたいですか?私は男性だったら、圧倒的にヴァリス公になりたいですね。最後の最後まで聡明なヴァリス公がたまらなく好きです。それに、彼もやはり身の程を知っている。自分がTOPになろうなどという野心は持たず、適正な王を王座につかせようと立ち回るところが本当に賢くて大好きなの。

 ヴァリス公はブライエニーと違って「家柄」の後ろ盾などなく、自分の力で這いあがってきた人。しかも、自らが腕力を行使することなく知力と策略で危機的局面を回避するのが本当に魅力的。さまざまな計略から逃れてきた人なので、物事の本質をとらえることに長けており、最終章でも皆が興奮している中で一人だけ冷静な動きをしてる。

 ティリオンとの皮肉の掛け合いも楽しくて、いつも、この二人は本当に気が合うなぁ、うふふっ(* ´艸`)と思ってました。

 ただ、まあ、ヴァリス公も男性であるから、あそこまで上り詰めることができたわけで、ヴァリス公が女性だったら、女性単身で上り詰めることは不可能だったろうなーと思えちゃう。女性は結局男性と婚姻をしてその男性を陰で操るといったような戦略が一番手っ取り早く、それを選びやすいのだろうと思う。少なくとも、ゲーム・オブ・スローンズのような男尊女卑、家父長制の強い世界の中では、位(くらい)の低い女性が這い上がろうと思ったら、まずは婚姻で足掛かりを掴む必要があるだろうと思えるね。

 

社会不適合者の自覚があるので… 

 私自身が外で働く場合だと、勘違いされて、少し条件の良い地位にしてくれようとしたり、うちの会社に来る?と誘ってくれた会社もあったけど、「私はそんな器ではない。」とか「私には無理です。」と、お断りしていました。「無理かどうかはやってみないと分からないじゃないか?高円寺さんは自分を過小評価しすぎている。」なんて説得してくれる方も居ましたが、「励ましてくださるお気持ちはうれしいのですが、私は私を良く知っています。私が自分を過小評価しているのでなく、あなたが私を過大評価しているのです。」と、かたくなにお断りしておりました。実際、その立場にしてもらったとして、まあまず役割を果たせなかったであろう自信があるので、先方に不利益を与えずに済む賢明な判断だったと何の後悔もありませんね。

 どうしても人が足りないという場合は、「(私なんかより)優秀な友人を紹介します。」と友人を紹介していました。会社はいい人材が来てくれてうれしいし、友人は安定した仕事に就けてうれしいということでWinWinの関係ですよね。私も友人が良い職場に転職できたことがうれしいですし、ついでに「いい人材を紹介してくれる人」という良いイメージを持ってもらえたりするので、誰も損をしない形に収束していました。

 

 こういったくだりは担当の精神科医ともやりましたね。担当医が「あなたは自分を過小評価しすぎている。」というので、「いや、先生が私を過大評価してるだけです。私は本当にダメ人間なんです。」と言い返すと、「あなたはどうしても自分自身をダメ人間ということにしたいんですね…」と呆れられてしまいました。それでも「したいのではなく、事実、私はダメ人間なんです。」としつこく主張してしまうところも、私のダメ人間っぷりを端的にあらわしていますよね(笑)

 

年齢と共に考え方は変わる

 それと、こういったテストは10年おきくらいに同じのをやると、同じ質問であっても自分のチェックする回答が変化してくることに気づきます。さまざまな経験をするにつれ、考え方やモノの見方も変わってくるのが人生ですし、年を重ねるということは、そういうことなんだなぁと思い知らされますね。

 

 相変わらず思ったことをつらつら書くので脈絡がないまま終わります。

 

またね~

 

音読しないと理解できない脳

togetter.com

 

私のブコメ

「私だぁああ。脳内で音読するだけでは理解できないので、何なら本当に声に出して読む。そうでもしないと脳が理解しない。小中高大の試験でも問題読むときにブツブツ言いながら読んでた。そうしないと理解できないのー」

 

最近、ブログを書く余裕がないので、メモのみにて失礼いたします。

 

この記事へのコメントのひどさに腹が立つ話

b.hatena.ne.jp


 

 私はこの記事に対して、

 

「所詮みんな他人事。誰かの失敗を叩いて楽しむだけ。周囲にこ のような子がいても絶対に教育を授けないであろう人達の軽率で 無責任なブコメ群。

 

諸事情でしつけや教育を受ける機会がなかった又は理解力が低く苦労している人を袋叩きにするネット文化が本当に怖いし腹立たしい。この子が愚かなのは何故か?自分はこのような子に何ができるか?と何故考えないのか」

 

このような怒りのコメントを書いた。

 

 このブコメ群が、まさに、自分は恵まれた能力、家庭環境、教育環境を与えられた人間だという自覚のない人たち傲慢さだ。ネットを見ていると、このような方々には一度、精神病棟や、児童養護施設に修行に行ってほしいと思うことがある。そういった施設には、病名がつく程の人から、病名はつかないけど社会生活に支障をきたしている人まで、いろんな人たちがいる。知的、発達、精神、人格に問題があり上手く物事を理解/処理できない人たちがたくさんいるのだ。

 字を読むのが困難な人、物事を関連付けてとらえるのが不得意な人、(成人していても)親がいないと一人で外出できない人、自分の思い込みや(幻覚・幻聴なども由来する)妄想などで話を進めるため虚言の癖があると思われてしまう人などなど、難しい人たちがたくさんいる。彼らは身体障碍者のように見るからに障害者ではないし、症状が軽い人たちは障害者ですらない。一見すれば普通の人たちだ。だが日常生活に支障をきたして困っているのは事実だ。だから、その現実をみて、ああこの人たちには、この人たちに理解できる言いまわしでの説明と説得が必要だと思い知ってほしいと思う時がある。

 だけど、実際には、このブコメ群のような人たちがボランティアに来ても、独善的な正義感で事態を悪化させることも少なくない。要するに、それでなくても理解度が低かったり、常識がなかったりで、社会に恐怖心を持っていたり、反発心を持ってしまっている人たちに向かって、(無自覚な見下しから)頓珍漢な説教やアドバイスを始めたりして、相手の心をかたくなに閉じさせてしまったり、気に入った人のみかわいがって依存心を育てたりするのだ。

 挙げ句の果てには目の前で起こっている現実に耐えられず、自分の説明能力、コミュニケーション能力、ヒアリング能力の低さを顧みず、それらを高めようという努力すら放棄し、(施設にいるような人は)ろくなもんじゃないから自業自得だ、と自己責任論で逃げ切ろうとし始める。

 施設内を見たからこそ、施設にいるような人(子供含)は、虚言癖だ、人格破綻だ、頭が悪い、言い訳ばかりする、などと偏見を持ってしまう人たちすらいる。なので、そのような方たちの独善的な正義感でひっかきまわされたら迷惑なので、ボランティアを拒否して受け付けない施設もあるほどだ。

 

 だけど、精神医療や児童福祉、障害者福祉の分野ではそういう対処の難しい人たちに対してでも、我慢強く、粘り強く、適切な距離感で対処している職員たちがいる。

 病院や福祉施設は、色んな背景や心理、精神、発達に問題がある人が入所して来るわけだから、一般的な生活ができる人ほど色んなことが器用にできないし、もし虚言癖や人格破綻があるなら、そのケアの意味も含めて病院や施設に入っているわけだから、そこのスタッフやボランティアが「あの人は虚言癖だよね、サイテー。」「あの人は人格破綻だから関わりたくないんだよね。」なんて言ってたら、仕事にならないし、そんな考えの人が働いていたら大問題なわけです。だって、そういう人達のケアや治療をする施設なわけですから、少なくとも建前上はね。

 虚言癖や人格破綻や無知は自己責任だから攻撃しても良いという理屈がまかり通るなら、最悪、相模原障害者施設殺傷事件のように、精神疾患の患者は殺されても仕方ないというところまで過激化する可能性だってあるわけです。

 虚言癖や人格破綻や無知は、治療や教育でケアするべきだ、馬鹿にするべきではない、攻撃するべきではない、という考え方が広まらない限りは、そういった人達が生きにくさを感じ、苦しみ、社会を恨んで犯罪を起こす確率は高まるわけです。要するに、こういった症状の出ている人達になら攻撃を加えてもいい、何を言ってもいいと思っている人達は社会を恨む手助けをした共犯者ということです。

 

 各分野の福祉施設で高い志や強い信念を持って、悩みながらも忍耐強く現実(=入所者)に向き合っている職員さん達を見ているからこそ、なおさら、自分たちは社会的弱者のために何もしないくせに、そのような状況に陥っている人たちを見つけたら嬉々としてののしる人たちは、私は「人としての誇りがない人」だと評価します。こういう方々は物の分からない人達を「お前はバカだなー」とののしって楽しんでいるようにしか見えません。自分より下の人間がいて、そんなにうれしいですか?という風にしか見えません。

 自分の理解できないこと、手におえないことは、全て相手が悪いと思い込んだほうが自分が楽ですからね。人間は弱い生き物ですから楽な道に逃げたいものです。

 

 たまたま、自分が物を知らなくて悲しい思いをしたこと、自分が愚かであったことをさらけだして、次の犠牲者を出さないように人身御供になっている子に対してよくもまあ、バカ女だのアホだのくるくるパーだの言えますね?子供の頃に、人に向かってバカだといった人がバカだと教わりませんでしたか?しかも、丁寧な言葉を使って人を馬鹿にするズルい人たちもいて「売春婦」という言葉をののしる言葉として使っている人は、性を売る商売をしている人たちのこともさげすんでいるとにご自分でお気づきですか?そのご自分の差別と偏見にお気づきなのでしょうか?

 

 そもそも社会を構成する一員なら、物を知らなくて困っている人がいたら、助けなければ、教えてあげなければ、と思わないのですか?きっとこの子は、このままでは苦労するから、色々教えてあげなければ…と憐憫の気持ちになりませんか?

 

 少なくとも、私自身は若い頃にそのような考えを持つ大人たちに見つけてもらい、根気強く育ててもらいました。そして、今ではそういった大人達だけでなく、社会全体に感謝し、何かお返しをしたいと思う人間になりました。

(お返しできているかどうかは別の話よ。)

 

 たまたま、さげすまれずに済む能力(判断力・思考力)を持って生まれてきて、たまたまさげすまれずに済む教育を受けられる環境に生れ落ちて幸運でしたね。だからといって、能力の低い人/教育の低いをさげすんでいいということにはなりませんよ。

 一歩譲って、心の中で差別しさげすむ内心の自由には目をつむるにしても、その「侮辱」を言葉にして表明し、しかも相手にぶつける理由はなんですか?相手が傷つくということに少しも配慮しないのですか?

 それだったら、私も私の内心の自由で、こうった人たちは「良心のない人」「人としての誇りのない人」と評価し、表明します。侮辱も見下げることもしませんが、怖いので関わり合いになりたくないと思いますし、態度を改めてほしいと表明します。

 

 北風と太陽の物語をご存知でしょう?愚かな人間を馬鹿にすれば世を恨んで反社会的な行動を起こさせるだけですが、愚かな人間を忍耐強く育てれば、少なくとも世を恨んで犯罪を起こす人は減る可能性が高まります。あなたは、大人として、どちらの行動を選びますか?

 批判や非難しかしない人、人様の無知/勘違い/失敗を指摘しバカにして回るタイプの人達は、ご自身も何かしら生い立ちや人間関係に問題があって、そのような習性を身に着けたのかもしれないし、病院に行ってないだけで、何かしらの障害の傾向がある人かもしれない。

 だから、強くは言いたくない。けど、その振る舞いは周囲からの己の評価を低くするだけでなく、周囲に「人の事をとやかく言って喜ぶ人種」を引き寄せます。そして、自ら、自分の立場や環境を悪い方向に向かわせるだけです。

 人を批判したり、非難したり、さげすむのは、およしなさい。だれのためにもなりません。自分の気が済むからやりたいというのであれば、密室で気心の知れた人と話してください。それでもどうしても負の感情を表明せずにいられないのなら、せめて、個人(の記事やサイトを)攻撃するのでなく、こういう行動をとる種族が苦手だという程度にし、個人を特定せず、お茶を濁してください。私自身が心身の状態の悪い時に内心の怒りを、怒りに任せて書いて、何も伝わらなかった上に、その一面を見て、私を嫌いなり、何かにつけて攻撃を加えてきた人たちがいたので余計に忠告です。

 リアル社会は感情的になってやりあっても、誤解を解く機会が別にあったりして、のちに握手ということもありえますが、ネット社会は匿名ですからそれができない。だから、できるだけ感情的にならず、冷静に物事を判断できるに越したことはないというのが、私の感覚です。でも、嫌なことを書いてる人を見ると感情的になるんだけどね。

 

 H氏の件を思い出してほしい。「個人攻撃は人を追い詰める」ということを皆が忘れてしまったなら、H氏も報われないでしょう。

 

 ネットの一部には、互いに足を引っ張り合って、みんなで地獄に落ちたいの?と思えるくらい人の足を引っ張るコメントばかりする人たちがいる。下からは押し上げ、上からは引っ張り上げて、みんなで協力して助け合えば、社会全体の底上げができるだろうに…と思う時がある。

 

ちなみに

あるブコメでウィキペディアのこのページが紹介されていた。

ja.wikipedia.org

 

このページには

肉体関係は必須ではない

と書かれてしまっている。「ウィキペディアはネットの百科事典なので、正しい情報」と思っている人たちもいるので、このような言葉をうっかりした若者が信じてしまっても、おかしくはない。

 

はぁ(*´ο`*)=3

 

今日は腹が立っても、怒りを抑えて、

怒った口調で書かなかったよー

よくがんばった!あたし!

(*′∇`*)

 

あせて読んでほしい記事

 

天皇制についてネットで盛り上がっているので

 元号が、平成から令和に変わったということで、世の中は大騒ぎみたいですけど、テレビも見なければ、新聞も読んでないほど、個人的なことに忙しくしている現在の私は、あんまり実感がないんですよね。

 商売をなさっている方々には、よいチャンスのようで、セールなども多く開催されているようで、私たち庶民にとっては楽しい限りですね。

 

 今、GAO!で「終戦のエンペラー」が無料配信されていて、なかなか面白いです。天皇制についてネットも少し盛り上がっているようなので、こういった視点も持ってみるとよいかもしれませんね。

 

gyao.yahoo.co.jp

 

 私自身は韓国人の方々と仲良くしていた時期もあり、彼らの「日本の戦争責任についての追及」に返答をするために、わりと真面目に戦争責任について考えた時期がありました。祖父は軍人、父も子供の頃、動員みたいなことで軍需産業に携わっていたみたいですし、戦争についての話は割と関心があってね。

 

 彼らが納得する説明をできるかどうかは置いておいても、「日本の戦争責任」については、対外的に自分の見解をきちんと(できれば英語でも)に話せるようにまとめておいたほうが良いとは思います。ので、いろんな視点の戦争に関する文献や、映画を見るのをおすすめしておきます。

 

今日の気になる記事

twitter.com

 

 ツイッターのアカウントは持ってないし、使い方も分からないのですが、この風刺画に以下のように国名を入れた人がいたみたいで、興味深いのでお知らせ。私は以下の絵をみて「うふふ」と笑ってしまいました。

 

 ある人には国際関係がこのように見えているのだなぁと非常に興味深かったです。あなたなら、これらの立場をどの国に置き換えますか?

 

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まあ、ムキになって怒ったり、感情的になって私のコメント欄に暴言を入れたりしないでね。何事も、冷静に考えられるメンタルをきたえていきましょう。

 

 

我が家のホームパーティーのお料理

 最近は、がんの手術も控えているということで、栄養管理や運動を強化しています。すると、自宅でホームパーティーを開ける程度の体力が戻ってきたので、5~6人の来客に対応したホームパーティくらいなら開催できるようになってきました。

 

 なんといっても、友人たちに自宅で手料理を振舞うのが大好きなので、ホームパーティーをするのが楽しくてしょうがない。ふだんから、友達が家に遊びにくれば、何かしらの食事は振舞うのだけど、普段の食事と変わらないものを出すので、やはり「ご飯」って感じになりがちなんですよねー。

 

 でも、パーティーは、普段より高価な食材で華やかな料理を作るよーって、張り切って作るので、めっちゃ楽しい。

 

 今回のパーティーは、完全に段取りを間違がえて、開始時間にテーブルセッティングが間に合わなかったどころか、料理すら間に合わないというひどい状態で始まりました。4番目の写真の左端にカラのカップが映り込んでいます。用意が全く間に合わなかった証拠です(^_^;)

 

 盛り付けも、ずっと飲食業勤務だった私としては、まったく納得がいかない感じになってしまったのですが、なにせホームパーティーですから、基準がゆるくて、こんな雑な盛り付けでも喜んでもらえました。

 

 でも、次からは完璧な盛り付けとテーブルセッティングにしたいので猛反省中です。そして、反省するだけではすぐに忘れてしまうので、次のパーティーのためのタイムスケジュールを頭の中で練りつつ、ノートにまとめているところです。

 

 次はもっといいパーティーにするぞー!

 

 ということで、お料理の一部をご紹介。これら以外にも大皿料理やデザートを作ったけど、普通の大皿料理で見栄えがしないので写真は撮ってません。

 

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 カクテルサラダです。いつもシーザードレッシングとイタリアンドレッシング添えて出してます。

 

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 こちらはカプレーゼサラダです。トマトとモッツァレラチーズ、バジルを重ねてバジルソースをかけてます。

 

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 こちらはチーズ盛り合わせ。今回は、カマンベール、パルミジャーノレッジャーノ、アジア―ゴ、ミモレット、ゴーダ(短期熟成)、スモークチーズを選びました。

 

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 カップ寿司です。お寿司は大皿に作って取り分けてもらうのが一般的なのかもしれませんが、取り皿が増えるがあまり好きじゃなくて、最近は何でもカップ料理にするようになってきました。

 そのほうが、取り分ける係も必要なくなるのでいいかなー?と思ってね。

 

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 こちらはレアチーズのカップケーキ。下のレアチーズケーキは全く同じものなんだけど、上のフルーツソースとフルーツを変えるだけで、彩がきれいになるのでお勧めです。

 

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 あとのお料理は枝豆、フレンチフライ、からあげ、コテージパイ、明太子スパゲティ、サーモンとアボカドのわさび醤油和えを大皿盛りにしました。

 デザートは、バナナと紅茶のパウンドケーキ、大人むけにほろ苦で洋酒を使った昔ながらの固い焼きプリン、マスカルポーネとカルーアでやはり大人風味に仕上げたティラミスも作りました。上の写真の左端にちらっとプリンが映ってますね。ちなみにデザートの一番人気は、ティラミスでした。

 

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 こちらがティラミスとパウンドですが、ティラミスはお皿の内側やふちについたココアパウダーをふき取るの忘れてる…さすが、うっかりやさんの私。

 

 参加者は6人でしたが、家庭菜園で収穫した野菜を持ってきてくれた人、めずらしい「さくらワイン」を持ってきてくれた人、花束を持ってきてくれた人と、気を使ってくれた人たちが何人かいて、本当にうれしかったです。

 ちなみにチーズの周りに置いてあるのが、いただいた花束です。せっかくいただいのたので、みんなに愛でていただこうと、テーブルの上に飾りました。

 

 次回は完璧なテーブルセッティングと盛り付けを目指します!

 

 私は人生は「苦しい」という初期設定だと思っている人間で、できるだけ、自分で楽しいことを作っていかないと、人生は苦しく、つまんないままだと感じてしまうほうです。ですから、とにかく楽しいことを作るようにしています。なんていうか、デフォルトの考え方が不幸設定なのって、いいんだか悪いんだか?って感じですよねー。

 

以上、我が家のホームパーティーのお料理でした。

 

甲状腺を半分切除することになりました。

 しばらく前に、甲状腺に悪性腫瘍が見つかったと書きました。甲状腺の腫瘍は、悪性であっても比較的に安全な場合もあると、別分野の医者である友人から聞いていたので、あまり深刻に考えていませんでした。ですが、現在通っている甲状腺専門病院の専門医の話だと、私の悪性腫瘍は小さくても切ったほうが良いよう思える悪性腫瘍なのだそう。

 で、7月の手術を控えているのですが、やはり甲状腺の半分を失うというのは怖いですね。だって、テレビや雑誌などのライトな健康情報でさえも、今どきは「自律神経」「自律神経」と大騒ぎなのに、その自律神経を司る器官を半分失うわけですから、後遺症がわりと気になってます。

 私が病院先生に聞いた話は、半分切除でも、一生甲状腺ホルモン剤の投与が必要になる人が一定数いると聞いたような気がするのですが、ネットで調べると甲状腺片葉切除だと、ホルモン剤投与が必要になる人は少ないとのこと。私はどっちになるんでしょうね。

 

 ホルモン剤投与が必要か、必要でないかも、一生のことでしょうから重要は重要ですが、何よりも甲状腺を半分失うことで、その後の体調にどう影響するかが怖くてしょうがない。

 

 お金を稼げなくなったらどうすんだよ?という不安しかないですね。夫が、私を養えるとは思えないし、私自身としても自分で自分を養えないのはいやだ。とか、色々考えちゃう。まあ、今までだって、医者がとめても這ってでも働きに出たりしてたので、これからもそうでありたいと思うが、そんな精神論すら通用しないほどに体力がなくなり、体調が悪くなったら…と思うと怖い。

 なんと言っても、18歳で全ての親族と縁を切ったので、何の後ろ盾もなく、一人で生きていかねばならなかった身です。「自分を守ってくれるのはお金しかない!資産を築かねば!」と、お金の心配ばかりしてきた人生でした。その後、親族から被害を受けることはあっても助けてもらえることは、ほとんどありませんでしたから、縁を切って正解だったんですけどね。

 元々体も丈夫ではなかったし、年を取ってきたしで、もういい加減にお金の心配をすることには疲れてきました。

 はてなをみるようになって、いざとなったら生活保護!と、生活保護受給に対する自分の中でのハードルは下がったけど、なんといっても人様が汗水たらして働いた税金なので、できるだけそこには頼りたくない。貯金だって、1000万あろうが、2000万あろうが、一年200万で暮らしたとして5~10年しかもたない。どうする!?あたし!?とは思うが、もういざとなったら別の病気で病死できるだろうと、気楽に考えようと思う。

 

 つらつら書いてると、私は生涯にわたる経済的な問題についてばかり心配していて、がんについては大して気にしてないことに気づいちゃった。まあ、死ねば経済的問題から逃れられるから、死ぬのは問題ないと思える程度には生きることに執着がないし、生きるのが苦しくてたまらない人です。

 ただ、肉体的に苦しいのと痛いのは嫌ですね。人生で何度か長時間に及ぶ激痛を体験しましたから、あれほどの痛みが続くなら死なせてくれとは思います。がん患者も最後のほうはすごく苦しむから、早く死なせてくれとは思いそうだな…

 それに、あれは見てるほうが辛いから、私が癌で確実に死ぬって分かったら、夫とは籍を抜いて、弱ってるとこ、苦しんでるとこを見せないようにしたいとか思っちゃいますね。そんなことを考えてるって、夫にばれたら「この偏屈が!」って、また怒られるので、言わないけどね。

 

 はーあ。生きるのだりぃー

 

 人生はままならないねー。

 

おわり

 

新規入会者5,000円プレゼント

見てね!

 親しい友人が関係しているドキュメンタリーで、なかなか好評のようです。私は路面電車の車掌をしていたこともあり、何か面白いエピソードを知らないか?と企画段階で聞かれたのですが、良いエピソードは思いつかず力にはなれませんでした。

 

 一回目のシリーズ放映が好評で再放送もしているそうですが、4月30日(火)に短編を50分にまとめた番組が放映されるそうなのでBSの設備のある方は是非御覧ください。

 

 ちなみに、私の家では見られません(T_T)

孤独について思うこと

 

 先日、50代の男性の友人と「孤独」について話した。私が彼に孤独を感じないかと聞くと、彼は仕事人間でわりと仕事の仲間に恵まれているので、あまり孤独を感じないと答えてくれた。

 だけど、私の孤独はそのたぐいの孤独ではないと、彼の返答を聞いて思った。私も、たぶん人間関係にはかなり恵まれているほうだと思う。苦しいことや悲しいことがあったら、すぐに相談できる友人は、それなりの数いるし、数十年来の友人たちは学生時代や職場で助け合った仲間なので、私がどういう人間か非常に良く把握してくれていて、非常に的確なアドバイスをくれる。

 私の心身とも状態が悪く働けなくなり、このまま働くことができず、貯金が尽きたら住む所は?生活費は?…と不安がっていた時期があった。その時に、職を与えようとしてくれた人、実家を一部屋私に開放しようとしてくれた人、経営するマンションの一室を貸してくれようとした人、現金を数万円ほど見舞金として置いていってくれた人、お金を振り込むから銀行口座を教えろと言ってくれた人、しばらくうちに来なよと居候をさせてくれた人、そんな人達が複数人いた。

 いくつかの申し出は(甘えたくないと)断り、いくつかの申し出には甘えた。このような点をとってみても、私は本当に友人知人には恵まれてきたし、新しく知り合った人たちも関わりのある時期は比較的に優しくしてくれるというか、かまってはくれるので幸せな方だと思う。

 まあ、私が「あなたのことが気に入ったからかまってよー。」と積極的に誘うからではあるんだけど、にしても中年のKKOと新しく知り合って遊んでくれる人たちがいるのは本当にありがたい。特に若い人たちは男女を問わず、中年のおばちゃんと遊んでくれるので、めちゃ優しいと思ってる。

 

 だから、私の孤独はかまってくれる人がいないという寂しさではないし、理解者がいないという寂しさでもないのよね。かまってくれる人や理解者はむしろ多いほうだと思う。だのに、なぜ、一人で部屋にこもって泣いてしまうのだろう…と思う。私は贅沢者なのだろうか?と。

 

 そんなようなことを上記の友人と話していて、理由もなく涙が出ることってない?と聞いてみた。自分でも何故かわからないけど一番近い言葉を見つけるとしたなら、「孤独」という言葉が近いかもしれない、と。

 すると、その友人は「俺は理由もないのに泣くことはないけど、理由もなく腹が立つことはあるよ。もしかしたら、泣くか怒るかだけの違いで、感じていることは一緒なのかもね。」みたいなことを教えてくれた。私は「あー、いるいる、悲しみを怒りで表現する人。男性に多い気がする。昔、ボーイフレンドにそういうタイプの人がいたわ。」と、妙に納得してしまった。

 

 なんというか、「孤独」という言葉が違うなら「もやもや」とでもいうのだろうか?涙や怒りを併発してしまうほどの強い「もやもや」。そういうものを感じた時は、いつもオアシスを聞いてしまう。ギャラガー兄弟は私にとっては「こっち側」の人たちなの。それも上手く言えないけど、同じものを持っているというか、同じ感じ方を持っているというか、表現手法や行動パターンが違うだけで、同じ行動原理で動いているのではないかと感じることがある。特に歌詞を聞くと余計にね。

 ああ、あとイーグルスの「デスペラード」の歌詞も、ああ「こっち側の人だ」と思わされる何かを感じる。これも上手く言えないけど、変なエネルギーを出す人って、根底に「渇望」みたいなものがあって、それを持っている人を、私は「こっち側の人」と認識するのかもしれない。

 でも、きっと、そんなものはないほうがいいのだと思う。人生はできるだけシンプルなほうがいい。学校に行って色んな人に出会って、シンプルに色んなものを切り捨てられる人たちのほうが、わざわざ人生を複雑にして、余計な感情や考えをズルズルと引きずりなから生きる人間より、はるかに賢明に見えた。

 でもシンプルな人たちには絶対にコンプリケイテッドな人たちの思いや考えは分からないわけだから、ないものねだりだし、隣の芝生は青いってことなのかもしれないけど、と思えたりもしてね。

 

 そして、何も分からない夫が暗い顔をしている私を励まそうとして、私に「ほおっておいて。」と排除されて、とぼとぼと自室に帰る。彼は私を助けたいと思ってくれるのだろうが、彼は「向こう側の人」なので、絶対に私の抱えているものを理解できない。

 私としては、むしろ同居する人だからこそ、私のことを全く理解できない人であってほしいので、非常に都合が良い。あまりにも、波長が合う人と同居したり、恋愛したりするのは自分を見透かされてしまいそうで、正直怖い。だから、物理的に近い人は私のことなんか何も分からない人であってほしい。

 夫も、昔は私と分かり合いたい、通じ合いたいと思い、私がひとりで自分の心の中に閉じこもっている時に、干渉してきたこともあった。けど、干渉すればするほど私の態度が硬化すると気づき、そっとしておいてくれるようになった。これもまた、ひとつの信頼関係の作り方だ。人が人を救えるわけがないのだから、放置でいいのだよ。

 どうしても助けあえる関係を作りたいなら別の女性と結婚したほうがいい、と忠告しても、私と一緒にいたがるのだから、彼も大概、変わり者だ。全てについて、これでいいのだろうか?と思えてしまう時がある。

 まあ、もういいさ、長くてもあと10年くらいしか生きないだろうから、そこまでに出来ることをやって死ぬだけさ。と、結局、早めに死ねることを願う、学習能力のない私なのよね。

 

◆追記◆

 ある方からこのようなコメントをいただきました。人生経験の豊富な方は表現力も豊かで的を射ていて興味深いです。

私は「渇望」というより「欠落」という感じがします。自分の中に埋めることの出来ない「穴」があいていて、その穴が寂しさの源泉みたいな・・・。一言で言えば、幼児体験、かな。

 

このコメントに対して私はこのような感想を持ちました。

「穴」という表現が非常に的確に思える。穴から寂しさが湧き出るというよりも、穴の空いた柄杓でいくら水をすくっても底の穴からこぼれて、いつまでたっても柄杓は満たされないままという感じが一番近い気がします。