見てね!

 親しい友人が関係しているドキュメンタリーで、なかなか好評のようです。私は路面電車の車掌をしていたこともあり、何か面白いエピソードを知らないか?と企画段階で聞かれたのですが、良いエピソードは思いつかず力にはなれませんでした。

 

 一回目のシリーズ放映が好評で再放送もしているそうですが、4月30日(火)に短編を50分にまとめた番組が放映されるそうなのでBSの設備のある方は是非御覧ください。

 

 ちなみに、私の家では見られません(T_T)

孤独について思うこと

 

 先日、50代の男性の友人と「孤独」について話した。私が彼に孤独を感じないかと聞くと、彼は仕事人間でわりと仕事の仲間に恵まれているので、あまり孤独を感じないと答えてくれた。

 だけど、私の孤独はそのたぐいの孤独ではないと、彼の返答を聞いて思った。私も、たぶん人間関係にはかなり恵まれているほうだと思う。苦しいことや悲しいことがあったら、すぐに相談できる友人は、それなりの数いるし、数十年来の友人たちは学生時代や職場で助け合った仲間なので、私がどういう人間か非常に良く把握してくれていて、非常に的確なアドバイスをくれる。

 私の心身とも状態が悪く働けなくなり、このまま働くことができず、貯金が尽きたら住む所は?生活費は?…と不安がっていた時期があった。その時に、職を与えようとしてくれた人、実家を一部屋私に開放しようとしてくれた人、経営するマンションの一室を貸してくれようとした人、現金を数万円ほど見舞金として置いていってくれた人、お金を振り込むから銀行口座を教えろと言ってくれた人、しばらくうちに来なよと居候をさせてくれた人、そんな人達が複数人いた。

 いくつかの申し出は(甘えたくないと)断り、いくつかの申し出には甘えた。このような点をとってみても、私は本当に友人知人には恵まれてきたし、新しく知り合った人たちも関わりのある時期は比較的に優しくしてくれるというか、かまってはくれるので幸せな方だと思う。

 まあ、私が「あなたのことが気に入ったからかまってよー。」と積極的に誘うからではあるんだけど、にしても中年のKKOと新しく知り合って遊んでくれる人たちがいるのは本当にありがたい。特に若い人たちは男女を問わず、中年のおばちゃんと遊んでくれるので、めちゃ優しいと思ってる。

 

 だから、私の孤独はかまってくれる人がいないという寂しさではないし、理解者がいないという寂しさでもないのよね。かまってくれる人や理解者はむしろ多いほうだと思う。だのに、なぜ、一人で部屋にこもって泣いてしまうのだろう…と思う。私は贅沢者なのだろうか?と。

 

 そんなようなことを上記の友人と話していて、理由もなく涙が出ることってない?と聞いてみた。自分でも何故かわからないけど一番近い言葉を見つけるとしたなら、「孤独」という言葉が近いかもしれない、と。

 すると、その友人は「俺は理由もないのに泣くことはないけど、理由もなく腹が立つことはあるよ。もしかしたら、泣くか怒るかだけの違いで、感じていることは一緒なのかもね。」みたいなことを教えてくれた。私は「あー、いるいる、悲しみを怒りで表現する人。男性に多い気がする。昔、ボーイフレンドにそういうタイプの人がいたわ。」と、妙に納得してしまった。

 

 なんというか、「孤独」という言葉が違うなら「もやもや」とでもいうのだろうか?涙や怒りを併発してしまうほどの強い「もやもや」。そういうものを感じた時は、いつもオアシスを聞いてしまう。ギャラガー兄弟は私にとっては「こっち側」の人たちなの。それも上手く言えないけど、同じものを持っているというか、同じ感じ方を持っているというか、表現手法や行動パターンが違うだけで、同じ行動原理で動いているのではないかと感じることがある。特に歌詞を聞くと余計にね。

 ああ、あとイーグルスの「デスペラード」の歌詞も、ああ「こっち側の人だ」と思わされる何かを感じる。これも上手く言えないけど、変なエネルギーを出す人って、根底に「渇望」みたいなものがあって、それを持っている人を、私は「こっち側の人」と認識するのかもしれない。

 でも、きっと、そんなものはないほうがいいのだと思う。人生はできるだけシンプルなほうがいい。学校に行って色んな人に出会って、シンプルに色んなものを切り捨てられる人たちのほうが、わざわざ人生を複雑にして、余計な感情や考えをズルズルと引きずりなから生きる人間より、はるかに賢明に見えた。

 でもシンプルな人たちには絶対にコンプリケイテッドな人たちの思いや考えは分からないわけだから、ないものねだりだし、隣の芝生は青いってことなのかもしれないけど、と思えたりもしてね。

 

 そして、何も分からない夫が暗い顔をしている私を励まそうとして、私に「ほおっておいて。」と排除されて、とぼとぼと自室に帰る。彼は私を助けたいと思ってくれるのだろうが、彼は「向こう側の人」なので、絶対に私の抱えているものを理解できない。

 私としては、むしろ同居する人だからこそ、私のことを全く理解できない人であってほしいので、非常に都合が良い。あまりにも、波長が合う人と同居したり、恋愛したりするのは自分を見透かされてしまいそうで、正直怖い。だから、物理的に近い人は私のことなんか何も分からない人であってほしい。

 夫も、昔は私と分かり合いたい、通じ合いたいと思い、私がひとりで自分の心の中に閉じこもっている時に、干渉してきたこともあった。けど、干渉すればするほど私の態度が硬化すると気づき、そっとしておいてくれるようになった。これもまた、ひとつの信頼関係の作り方だ。人が人を救えるわけがないのだから、放置でいいのだよ。

 どうしても助けあえる関係を作りたいなら別の女性と結婚したほうがいい、と忠告しても、私と一緒にいたがるのだから、彼も大概、変わり者だ。全てについて、これでいいのだろうか?と思えてしまう時がある。

 まあ、もういいさ、長くてもあと10年くらいしか生きないだろうから、そこまでに出来ることをやって死ぬだけさ。と、結局、早めに死ねることを願う、学習能力のない私なのよね。

 

 

プライム・ビデオで「硝子の葦」を見始めました。

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 私はリアリティのある映画やドラマが好きです。ですが、何にリアリティを感じるかというのは、その人の生い立ちや体験に大きく依存すると、ずいぶん大人になって気がつきました。

 例えば、昭和の同じ時代を描いた作品で「三丁目の夕日」にリアリティを感じるか、「血と骨」にリアリティを感じるかということです。おそらく、中流の比較的にめぐまれた環境で育った人は「三丁目の夕日」にリアリティを感じるでしょうし、私のような幼少期や青春時代をすごした人間は「血と骨」に圧倒的なリアリティを感じるということです。

 硝子の葦を映像でみていると、虐待やDVの状況に関しては「ああ、あるある。」と思うことばかり。私自身もこのような体験をしたし、周囲で心が荒んでいる人、やさぐれている人は幼少期や思春期に似たような体験をしてますね。

 このドラマを見て、よくあることと思う人と、こんな世界があるなんて信じられないと思う人に分かれることでしょう。それは生きてきた世界が違うという、ただそれだけのことで、どちらの苦しみや悲しみが大きい小さいということではありません。

 私は幸せな家庭がどんなものか知らないし、中流以上の家庭の生活ぶりがどんなものなのかしらない。だけど、彼らが「幸せだ」という証言を嘘だと思わないし、彼らの「お金はあるが幸福ではない」という証言も嘘だとは思わない。ただ、「いや、そうは言っても金はあったほうがいいよ。」とは思うけどね。

 それと同様に、私たちが体験したDV、虐待、貧困について、言葉が足りないからといって、虚偽の証言だ、作り話だなどと言わないでほしい。そのようなことを言われると、自分が生きてきた人生そのものを否定された気持ちになって、耐えられないくらいに悲しい。私の生きた人生は、あってはならない人生だったのだろうか、否定されて当然の人生だったのだろうかと思うと情けなく、苦しい。

 親の家に無料で住み、親の家の冷蔵庫の食料を勝手に食べていいような生活をしてきた人たちには、明日住む家、明日食べるものの心配をする生活は分からなくて当然だ。だけど、私の人生を否定しないでくれ。それは、あまりにも残酷だ。それは、私に「死ね」と言っているも同然なのだ。

 

 

■プライム・ビデオに登録すれば無料で「硝子の葦」を見ることができます。

 なお、1ヶ月間の無料体験期間はアマゾン・プライムで配信される全ての映像を無料でみることができます。

 

年上の女性が私にプレゼントしてくれた曲

 はてなの女性陣の文章を見ると、ああ、やっぱり女の私にとっては女性の書く記事やコメントのほうが心に響くなぁとしみじみしてしまうことがあります。

 物理的に距離が離れてしまって、なかなかお話ができていない10歳だか20歳だか年上の、割と尊敬している女性の友達がいるのですが、シャーリーンの「愛はかげろうのように」という曲を聞くと、いつも彼女のことを思い出してしまいます。

 

 彼女は、ある飲食店の経営側にいて、正確には彼女のパートナーである男性と飲食店の経営をしているという状況でした。彼女も、彼女のパートナーも老年に入り始めていて、特にパートナーの男性は沢山お酒を飲む人だったので体を心配していたのですが、やはり60代後半にして、彼女を置いて、さっさと死んでしまいました。

 彼らは「婚姻」をしていなかったにもかかわらず、数十年に渡ってパートナーシップを続けていて、私はそういったタイプの関係性を結構な数、見てきたので、余計に婚姻の必要性を感じず、独身主義を貫いていたわけですが、今回はそのことを書きたいわけではないので省略。

 

 彼女と知り合ったきっかけは、彼女の経営する飲食店に私が通い始めたことでした。彼女は私が酒を飲んではしゃいだり、店内で男性といちゃついている姿を見て、最初は軽薄な女だと思っていたのかもしれません。

 最初は、私と彼女がおしゃべりをしている時に、なじみでないお客さんが「ふたりは友達なの?」と聞いてきて、彼女が「友達じゃないよ。(お客さんだよ)」と返答をする程度の仲だったんだけど、だんだん色々と話をするようになって、最終的には「二人は友達なの?」と聞かれたら「友達だよ。」と即答してくれる仲になることができました。

 私は彼女のことが大好きだったので、「(まだ)友達じゃない。」と目の前で言われたことは割とショックでしたし、当たり前のように公に「友達だよ。」と言ってくれるようになった時は飛び上がるほど嬉しかったです。だって彼女は本当に人気者で、私ごときに時間をさいてほしいなんて、なかなか言い出しにくいほどに素敵な女性だったから。

 

 それでね、ある時、私が暗い顔をして、彼女のお店のカウンターに座っていて、彼女が「なにかあったの?」って聞いてくれたんだけど、私は上手く自分の気持を話せる気がしなくて、「ああ、うん…」みたいな、生返事をして、また肘をついて暗い顔をしたんだと思う。

 そうすると、彼女がシャーリーンの「愛はかげろうのように」をかけてくれて、なんか、彼女のそういう心配りに泣きそうになったのを覚えてる。なんていうか「テルマ・アンド・ルイーズ」の映画じゃないけど、女同士の無言の助け合いというか、かばい合いっていうのもいいもんだなって。

 

 「愛はかげろうのように」は少し過激な言葉を使う歌詞で、youtubeなんかの和訳を見ると、かなりマイルドに意訳してあります。ですが、私はもう少し英語の歌詞に近い日本語訳のほうがしっくりきます。多少、強い言葉が使われるからこそ、この歌詞の意味が相手に伝わるような気がしてね。

 女性の方たちは、同じ女性にこの歌を贈られれたらどう思うんだろうって、少し気になったりもします。

 

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精神科に頼る坊主と、東滴壺の君と、君の友達

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 人間、生きていれば多少、精神を病んだり、何かに救いを求めたりするものなのでしょうね。瀬戸内寂聴さんも毎年出版なさる「暦(こよみ)」に、積極的に精神科に頼るよう、何回も書いていらっしゃいます。

 

 寂聴さんくらい長生きしてしまうと、心も体も元気一杯なんてことはあり得ないと思うんですよね。現在は癌も患っていらっしゃいますし、片目も失明していらっしゃる。寂聴さん自身のエッセイを読んでいても、寂庵を支える周囲のスタッフの方々に、チクチク当たってしまったことを書いていたりもします。

 目の病気になり、あちこちにほこりが舞っているように見えてしまい、スタッフに掃除が行き届いていないと不平を言っていたのだけど、目の手術をして寂庵に帰ると、家じゅうが驚くほどピカピカで申し訳なく思ったエピソードがあったりね。自分の不出来を人様に公開できるのは、寂聴さんの強みだと思います。

 

 人間、そんなにキレイに、キチンとは生きられるはずがない。「いいや、私はキチンと生きられている。」と思う人は、環境が良いか、親の教育が良いか、体力があるか、能力があるか、親の財力/持ち家/愛情などの、いずれかの要素は必ずあるはず。これら全てを持たずに生まれてきた人達がまともな生活にまで登りつめようと思うと、そりゃ色んなことが起こるさ…と思う。もちろん普通の生活水準まで登れないまま人生を終える人もいるでしょう。

 有名なお坊さんで作家でもあり、外からはお金に余裕がありそうに見える瀬戸内寂聴さんでさえも、精神科医は仏様に見えて、看護師は観音様に見えると、精神科に頼っている様子を執筆物に書いていらっしゃいます。

 

 自分に完璧さを課してしまったり、今の自分は本当の自分ではないというような、現実逃避的な考えは、どんどん、捨てていかなければ、つらくなる一方なんでしょうね。

 

病んでいる自分。

貧しい自分。

うまく働けない自分。

 

 そんな自分を、否定せずに生きてゆけるようになるために、私自身は、まだまだ、修行中です。

 

 私には、支えとなっているハガキが何枚かあります。

 私が憧れてやまなかった方。「東滴壺の君」と光源氏ふうに呼んでおきましょうか。その方からのはがき。そして、「寂庵」からいただいた差出人が「瀬戸内寂聴」名義のハガキ。そして、学生時代からの友人、後輩からのハガキ。箱に詰めて宝物として、とってあります。

 

 会いたいけど、もう会えないかもしれない人達。せめて、その生々しい筆跡だけでも見て、強く生きるんだよ、と願うことしかできない私。特に歳を重ねてしまったら、体は弱ってゆく一方だから、気構えくらいはしっかりしておかないと、崩れてゆくしかないんだもの。しばらく前、キャロルキングの「君の友達」という曲を、ある方に贈りました。私の電話番号と一緒に、この曲を聞いてくださいとメモ書きを、人づてに贈りました。

 

 

 私は、いつでも強く、自由な存在であるから、お話を聞いて差し上げることしかできないけど、いつでも電話をしてきてねって。結婚していようがいまいが、男であろうが女であろうが、人と人とが助け合うことを、いやらしいふうに捉えるのは苦手です。

 

 こんな、自分語りのブログを書いていて、こんなことを言うのはおかしな話なのですが、私は、リアル社会では自分の話をするより、人のお話を聞くほうが好きなんですよね。

 

 私は病みはするけど、折れないし、潰れない、だから、いざとなったら、あなたの親友として脇を支えることくらいできるのよ。って、できなくても、そう思っていれば、きっと、本当にそうなる。

 私も、強く自由な存在であり続けるために、あらゆる努力をしているから、私に関わる全ての人たちも自分のやり方で自分の人生を貫いて欲しいと、強く強く、願ってしまう。私は非力で友人たちの幸福を願うことしかできないし、祈ることしかできない。無神論者なのに祈るというのも不思議な言い回しだけど、本当に友人たちに対しては残りの人生をできるだけ多く笑って過ごしてほしいと、祈るような気持ちでいる。

 強がりと言えば強がりなのかもしれないけど、まあ、いい歳になってくると、多少は意地でも張らないと、老いに身を任せていたら弱気になって、誰かに迷惑をかけること必至だからね。そこは最後まで、私は一人で大丈夫だし、ダメになったら誰にも知られすひっそりと消えてなくなるから大丈夫って意地を張っていたいね。葬式はいらんと周囲には言ってあるけど、火葬代や遺品整理代は必ずかかるから、その段取りくらいはして消えるかな…と思ってるとこです(笑)

 

※2015年10月に書いた心情です。

 

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モテるおじさんのお話

 ある時期に60代も半ばに差し掛かった洒落たおじさんが仲良くしてくれて、時々二人で終電まで飲んでいた時期がありました。ちなみに私はお酒が飲めないので烏龍茶を飲むのですが、おじさんといると楽しいので1杯くらいなら…とカクテルくらいはいただいたりしてました。

 このおじさん、仕事柄、色んな人から「先生」と呼ばれている立場の人。私は彼の仕事関係から知り合ったわけではないので名前で呼んでいるのですが、彼は顔が広く人に慕われるタイプなので、私ごときが遊んでもらえるのは本当にありがたい話な程度には人気者。

 彼はスポーツをやっていることもあり、体型もシュッとしていて、姿勢も正しく、非常に凛とした佇まい。なおかつ原宿?(東京の洒落た街のどれか)の美容室に通うほど身なりにかまっている人なので、どう見たってモテる感じなの。雰囲気は昔でいうと田村正和氏、今で言うなら木村拓哉氏のようなセクシーでキザな感じの男性。

 現に、取り巻きの女性たちが私が知っている限りでも4~5人いて、「先生」「先生」となんやかやで世話をやいている。ちなみに彼は既婚者。んで、自宅が40~50人ほど収容してパーティーを開けるほどの家で、実際に45人規模のホームパーティーに呼んでもらったことがある。

 だけど、不思議なことにそういったパーティーでも料理やらなんやらの段取りをしているのは取り巻きの女性たち。妻が一切顔を出してこない。それが割と不思議な感じだった。だからといって妻との仲がいまいちなのかと思いきや、そうでもないらしく、「妻には感謝してるから充分な財産が残るようにしてあるし、生命保険も毎月10万円以上かけて、俺が死んでも金が残るようにはしてある。」とのこと。

 このおじさんの面白いところは、生まれて一度も会社員をやったことがないとこ。この世代は団塊の世代で、無難な生活をできている人は会社員を退職した人が多いのだろうと思っていたのだけど、彼は自営で資産を築いた人なのよね。だから話していてとても面白いの。

 私と飲みに行く時、たまたま彼の税理士から電話がかかってきて、土地の境界線で問題が起こっているらしくその話がなが引いていました。私に隠すこともなく堂々と話しをするので、彼の自宅の土地の値段が数億であることが聞こえてしまいました。立地の良い場所なので、土地だけでウン億はするだろうなと思っていたけどやっぱりそうか、と納得してしまいました。まあ、土地を売るだけでも余生を楽しく過ごせる現金が得られるよなーなんて思いながら見ていました。

 そんなおじさんですが、資産もあるし、かっこいいしでモテないわけがないと言うことで、私がモテそうな男性に必ずする質問をしてみました。

「ねぇねぇ、〇〇さんモテる?」

という質問。この質問にどう返してくるかで相手の人間性が見えてくるので、面白いから、この質問てほんとやめられないのよね。で、だいたいモテる日本人の人は、

「モテねーよ!」

と、食い気味に、かぶせ気味に、速攻返事をしてきます。

 

 私はいつも、それが面白くてしょうがなくてゲラゲラと笑ってしまいます。で、面白いから、ついでに

「モテないわけないじゃん!あれだけ取り巻きの女性たちがいるのに。まあ、既婚者がやすやすと俺モテます、あの子と付き合ってますとか言えないよねー。まあ、慎重なのはいいことだ。ほほほ。」

と、からかってしまいます。

 

 すると、このおじさん、真顔になって、

「俺、恋愛目的の女は好きじゃない。」

と言い出したの。私は面白すぎて、

「おっと、余裕の発言だねー。モテない男性たちが聞いたら、嫉妬で怒られちゃうよー。」

と、また冷やかしてしまいました。

 

「てか、おじさんが恋愛目的の女が嫌いでも、向こうが好きです!付き合ってください!って来るじゃん。そういうのどう処理すんのよ。」

と聞いてみると、

「断る!その場で断る。」「めんどくさい。」

とのこと。

「おっと、これまた余裕の発言だねー。まあ、断るならぴしゃっと断ってあげないと、相手が期待しちゃうもんねー。私、〇〇さんのことモテる遊び人かと思ってたけど、案外そうでもないんだねー。」

「うん、俺、めんどくさいの嫌いなんだよ。」

なんて、無駄話をするのが楽しいのよね。

 

 このおじさんもそうだし、シドニーでルームシェアしていたニュージーランド人の男性もそうだったけど、互いに人間的には好きなんだけど男女として意識し合っていない関係っていうのは本当に居心地がいいんだよね。私は彼の好みのタイプではないし、彼も私の好みのタイプではない、でも友達としてバカ話をするのは楽しいみたいな相手は本当に楽しい。

 恋愛を意識しないおしゃべり友達なら女友達でもいいじゃん?と思うかもしれませんが、女性でもハジけた人はいるけど、やはり男性のほうが圧倒的にハジけた変わり者が多いので、つい面白くて話し込んでしまいます。だって、おしゃべりするのに平凡な話じゃつまんないじゃん?変わり者の変わった人生のほうが圧倒的に面白いし、実話のほうが小説なんかより全然面白いんだもん。

 

 今月は、学生時代に親しかったドエライ出世をした男友達にも会う予定。彼の立場だと、周囲でどんな事が起こっているか、気になってしょうがないので、根堀葉掘り聞いてくる予定。もちろんブログになんか書ける内容ではないので書かないけどね。色んな立場の人の色んな裏話を聞けるのは、自分が自分の人生を立ち回る際の大きな知恵となるので、本当に興味深いし参考になる。

 私は生まれも育ちも貧乏なので、貧乏人の生態については多少知っているつもりだけど、モテる人とかお金を持っている人の生態は当事者に話を聞かないと知ることができないからね。彼らには彼らの喜びや苦しみがあるのよ。だから、お金があっても幸せじゃないと意味がないと思えたりもする。そうは言っても、働けない時期が続くと「金!金!金!」とノイローゼ気味になって、そんなことはすっかり忘れちゃうんだけどね。

 

 まあ、またつらつらと書いてしまって、終わり方が分からないので、突然終わります。まったねー。

【私の脳の特性】発達障害者は時計が読めない?

 これは、私が発達障害だからなのか、映像脳だからなのか分からないのですが、デジタルの時計だと、いまいち、今、何時何分なのかという実感が持てなくて不安になるという特性があるます。

 アナログの長針と短針の時計を見ると、「今は一日の中でこれくらいの時間帯なのだ。」ということをはっきりとつかむことができるのですが、デジタルの数字だと、一度見ただけででは時間感覚つかめず、「あれ?何時だったけ?」と何度も見返してしまったりします。

 私は昔から体調の悪いことが多く、特に最近は甲状腺肥大と甲状腺がんの影響もあってか、もっと体調が悪くなり、隙あらば横になって休んでいます。そうすると、ついうっかり眠ってしまって、目が覚めた時に部屋は真っ暗で今は夕方なの?深夜なの?早朝なの?と困惑してしまうこともしばしば。

 それで、真っ暗な中でも見える常時光っているタイプの置時計を買おうとニトリに行ってまいりました。

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 ざっと見るとこの写真の下側あたりが、光るタイプの時計なのですが、全部デジタル…

 

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 ちょいちょい日付が分からなく私としては日付付きな上に、光ってくれるこのタイプにも目を奪われました。

 

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 そうして、アナログの掛け時計も見てみると、なんというか、圧倒的な安心感。どうしてアナログには光るタイプがないのー。と悲しくなってしまいました。

 

 デジタル時計だと数字しか表示されていないので、その数字を暗記しなければ時間を覚えることができません。ですがアナログの場合は長針と短針の位置を覚えれば時間が分かるので、活字(数字)を覚える必要がありません。つまり私は、時間を針の位置=絵として認識したほうが覚えやすいようなのです。

 さらに私は、時刻にかぎらず時間の経過についてもアナログでないと認識が難しいようです。例えば、「30分後」を認識するのも、針がここからここまで移動する時間というふうに認識しているようで、針の位置がここ(5分前)になったから、そろそろ移動しようと感じるのは簡単なのですが、数字で12:00から5分前というふうに読もうとすると、いまいち感覚が分からず、もたついて遅刻してしまいそうになるのです。

 

 アナログだと、時間軸で30分前の点、現在の点、約束の時間の点が可視化されているので、自分がどのくらいのペースで動いているか、今この時点までにどんなペースで動いていたのか、この後どのくらいのペースで動けば間に合うのかを秒針や短針を見ながら読むことができます。ですがデジタルだと現在の時刻しか表示されていないので、時間の流れ?時間の幅?が、上手くつかめないのです。

 さらには45分という時間を知ろうとした場合、「短針が270度回った範囲ですよ」と(私の中で)時間の幅感(と呼んでいる感覚)が分かるので、とても分かりやすいのです。ですが、デジタルの場合は今現在の時刻しか情報がないので、時間の幅感が分からず、どの辺でどのように動けばよいという段取りができなくて戸惑ってしまうのでです。

 そのように考えると、やはり私は物事を理解する際に言語ではなくグラフィックから理解しているのだとしみじみしてしまいます。

 

 さてさて、昼間でも深夜でもパッと目が覚めた時に、遠目に見ても時間が分かるような、私にとって都合のよい時計なんて存在するのでしょうか?スマホの時計もデジタルですし、アナログ時計アプリを入れたとしても、ADHDなのでちょくちょくスマホの電源を切らして見られなくなってしまうので、やはり(アナログ)腕時計が必要だと感じています。

 だけど、これまたADHDのせいか、腕時計は過去に外出先で何本もなくしてきているので、腕時計も時間を見るのに役にたつかどうかは難しいところ。本当に自分のこういう特性がわずらわしくて仕方がないです。

 

 ですが、スマホの使い方を必死に調べているのも、腕時計が必要と感じるようになったのも、引きこもりをやめて、バンバン外に出ていろんな人に会っていたり、いろんな人と連絡を取るようになったからで、比較的に健全な生活に戻ってきたからかな?と前向きに考えるようにしています。

 

追記

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 発達障害で時間を読むのが苦手な人達のために、このような便利なタイマーが開発されているようです。障害者に優しいデザインの商品が増えれば発達障害者の生きやすさにもつながっていきそうで嬉しい限りです。

fbird.jp

 

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生理について思うこと

目次

 

今回の生理が重い

 今回、生理前症候群もひどいし、生理もひどい。生理前症候群は過食がひどく、自分で焼いたパウンドケーキを1本まるっと食べた上に、またパンケーキなどを焼いてたべた。黒豆を炊いたのも鍋にいっぱい食べてしまいました。それ以外も食べたと思いますが何を食べたかは忘れてしまいました。そのためか吹き出物が4つもできてしまいました。

 生理が始まって一日目で大きな血の塊が出ました。私の生理は出血が非常に多いので若い頃は成人用の紙おむつをしていた時期もありました。当時はどんなに生理痛がひどくても、ピルや痛み止めは体に悪いから飲まないほうが良いという噂があり、痛み止めを飲まずに出勤したりしていました。ですが、痛みをこらえて出勤しても、激痛で仕事にならず、結局は早退してしまったり、その翌日も休んだりしていました。

 結局、あまりの出血量と痛みに肝念して婦人科に言って中容量ピルを処方してもらうようになりました。まだ低用量ピルが認可される前の時代だったからです。そうすると、痛みが随分楽になり、今までやせ我慢して布団の上でうなりながら苦しんでいたあの時間はなんだったのだろう、無駄だったのではないか?と、がっかりしてしまいました。

 そして今回、生理が始まってから食事が食べられないでいます。いつものことと言えば、いつものことなのですが。生理期間かどうかに関係なく、私は時々食事をとることができなくなります。「噛むのがしんどい」のと「内蔵が消化している感じ」がしんどいからだ。

 担当医にそのことを話すと「噛むのがしんどいんですか?」と 目をまん丸くして驚かれたので私も驚いてしまいました。私は自分が噛むのがしんどいから、世の中の人はみな噛むのがしんどいのだと思っていたのです。驚きすぎて、また「え、(普通の人は)噛むのってしんどくないんですか!?」と、質問に質問を返してしまいました。担当医が「消化しているのを感じながら食べているんですか?」と聞いてきたので、私は「消化かどうかは分かりませんが、胃の中に物が入って来て重たいなーという感じが苦手で、食べられなくなります。」と答えました。

 「はあ…」と、担当医は私の感覚が分からなさすぎて困っていました。「ああ、私は食べなくてもいいんですけど、夫が心配するのでプロテインは飲んでいます。」と伝えたので、食事が取れない時に処方する「栄養補助ドリンク」みたいなのがあるじゃないですか?あれは処方されませんでした。

 

生理は不浄らしい

 ある会社で働いていた時に神棚の水を換える際に、「女性が生理の時は不浄(けがれている?)なので神棚の掃除や水換えをしてはいけない。」と言われました。この発言で、私の発達障害特有の「理由が分からないとよく分からない」が発動してしまいました。

 空気の読めなかった私は「なぜ生理中の女性はけがれているんですか?なぜけがれている時は神棚を触ってはいけないのですか?」と質問してしまいました。喧嘩を売っているわけでもなんでもなく、不思議に思ってしまったら答えを聞かないと前へ進めないタイプの発達障害なんです、私。

 誰も正確な答えを教えてくれるくれる人はおらず、「そういう決まりなので、そうしておけばいいの。」という回答しかもらえませんでした。「へー、そういうもんなんだ。」と思いつつも、誰か教えてくれればいいのに…と、納得のいかない気持ちもありました。

 ついでに「これだから学生は理屈っぽいと。」と嫌味まで言われてしまいました。どうも、私が絡んできたと思ったっぽいです。私はこうした体験から、世の中の「暗黙のルール」について「何故そうなのか」を質問をしないほうが良いと、何となく学んだのでした。どうしても知りたければ自分で調べるしかないと。

 

生理があると怒られるらしい

 私の好きなブロガーさんも生理の症状について時々書いていらっしゃいます。彼女はその特殊な過去や生活スタイルから読者に放言されやすくコメント欄を閉じていらっしゃいます。が、時々、気まぐれにメールフォームを設置なさったりしています。

 ある時、メールフォームを設置していたところ、その方に対して「生理について公言するなんて下品だ。」というクレームが入ったのだそうです。ついでに、彼女は50代半ばで生理がまだある方なのですが、「50代でまだ生理があるよ、と自慢するとは何事か。閉経した人達が傷つく気持ちが分からないのか。」と怒られたのだそうです。

 その方は、「下品に感じたなら申し訳ございません。ですが、自慢する意図も閉経した人を傷つける意図もございません。」と一旦謝罪し、「それでもこの世代の生理の症状について書かせていただきたいので、不快に感じる方はご覧にならないほうがよろしいかもしれません。」と言った趣旨のことを言ったのではなかっただろうか?記憶が曖昧なので間違っていたら、申し訳ありません。

 だから彼女は、生理について書く時は「この話は自慢する意図も、人を傷つける意図もありません。」と注釈を入れてから書くようになりました。

 

ホルモンバランスと感情の起伏

 女性の生理・月経について、同性であっても色んな見解があるものだなぁと思いました。私は長年一人暮らしだったから気づかなかったのですが、夫と暮らし始めて自分がいかに生理前にメンタルや体調を崩すかを思い知りました。

 夫が「目の下にクマができてるよ。」とか外見の変化を教えてくれますし、生理前になると夫の挙動に対して普段我慢していることでも我慢できなくなり、若干の言い争いになってしまったりすることにも気づきました。一人暮らしですと、家の中で一人でイライラしていても自分では気づきにくいですから。

 生理前だけでも別居したいと思うくらい私か感情を制御できなくなる時もあります。その点、一人暮らしの時は誰にも迷惑をかけなくてよかったなとさえ思えてきます。少なくても夫と暮らしていなければ言い争いにはならないだろうな…と思えてしまったりして。最近は生理前には極力、夫と会わないようにして、夫とのいさかいは物理的に解決するようにしています。人の生理現象というものは本当にいかんともしがたいものだと、しみじみしてしまいます。

甲状腺の悪性腫瘍の転移の検査に行ってきました

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 7月に甲状腺にある悪性腫瘍の切除手術をすることになっているワタクシですが、甲状腺がんはごくまれに肺に転移することがあるそうで、肺に転移していないか術前のCT検査に行ってまいりました。

 正直、工エエェェ(´д`)ェェエエ工、甲状腺の悪性腫瘍ってそんなに問題ないって言ってたじゃん!肺への転移ってなんだよーっ。とは思いましたが、ことが進み始めてしまった以上は仕方ないですね。もうまな板の上の鯉ですわ。

 上記の検査結果の紙によると腫瘍マーカーであるHTg値が基準値越えですね。まあ、悪性腫瘍があるわけですから当たり前と言えば当たり前なのですが、腫瘍マーカーって案外ちゃんと腫瘍をマークするのね…と少し驚きました。まあ、その程度には現代医療を信用してないし、ある程度は信用しているって感じかな。

 ちなみに腫瘍マーカーって良性の腫瘍でも数値が上がるそうなので、マーカーで異常が認められたからといってすぐに悪性ってこともないみたいです。そういったことに関しては以下のページを参考にしてください。

 

【追記】

  この一か月後に、胸部レントゲン、心電図、肺活量検査に行きました。麻酔の量を決めたりするための術前検査だそうです。

 

シー・アール・シー|サイログロブリン高値は甲状腺癌ですか?

 

 さてさて、肺への転移が気になるところです。