女だから言えること

中高年のおばちゃんの脳内を日記がてら綴っております。

セクハラに遭いやすい地域・文化について

 私は最初この記事に、

「セクハラされてる側がホステス並に気を使って、かわしてあげなきゃいけないの?「私は女性であなたは男性なので触らないでいただけますか?」で良くない?小規模なら、揉めた時に確実に増田が辞めることになるのに」

と、コメントした。

 

 まあ、私は割とプライベートや職場で中の良い同僚、上司、社長の前でギャルキャラになることが多いので、特に抵抗はないが、セクハラに関しては毅然とした態度が良いと思う派。そもそも、私は気が強そうに見えるのでセクハラを受けにくい。ないとは言わないが。

 この記事を見て思ったんだけど、まずこの記事自体の対処法は勘違い男にロックオンされる前の回避方法としては効果があると思う。職場に入ってすぐに、こういうキャラを定着させて、そもそも男性にロック・オンさせないという手法だ。

 だが、元来おしとやかな女性がこれを演じるのはかなり無理があり、ずっと演じ続ける労力だけで疲れちゃいそう。そもそも、こういうキャラは元来お調子者でないと演じきれないと思う。もともと、おしとやかな女性がいかにコギャルキャラを演じたところで、上品さや優しさが漏れ出ちゃうと思うんだよね。例えば、美智子妃殿下がギャルを演じたとしても演じきれなさそうということ。

 多分、一回、魅力的な女性だと男に認識された後に、急にキャラを変えても効果がない、または「そんな安い女だとは思わなかった。」とガッカリされ、嫌がらせを受ける可能性が高まるようにしか思えない。嫌がらせは受けないまでも、それまでの優しさはなくなる気がしてならない。だって、目的があっての優しさだから、目的が達成されないと分かったら優しくなくなるのって当然だよね。

 

 で、元来おしとやかだからこそ、こういうことをされやすい、つまりはロック・オンされやすいのよ。別段、弱い女性が悪いみたいな意味合いで言ってるわけではないのよ。自分に自信がなく、性に対する欲求不満のはけ口を会社の地位や年齢や立場が下だとみなした女性にしか向けられない男達は、おしとやかな女性を好む習性があるの。拒絶されなさそうとか、反撃されなさそうと意識的にか、無意識的にか思っているのもあるだろうけど、何故かそういう男はおしとやかで優しい若い女性を好むのよ。逆に気が強そうな女性とか、派手な女性をあまり好まない気がする。いや、実際には好んでいても気が引けて声をかけることができないだけかもしれないけどね。

  で、そういう自信のない男達は誰かに許容してほしいだけだから、どんなに優しい言い回しで、お付き合いや肉体関係をお断りしても、どっちにしても逆恨みするタイプが多い気がする。典型的な勝手に期待して、勝手に裏切られたと思っちゃうタイプね。人間関係の作り方が下手過ぎて、ちょっとでも優しくされたら、俺に気があるんだろと思ってしまうタイプ。

 

 あと、こういう事をするもう一つのタイプは、表向きには根拠のない自信がありすぎるように見えるんだけど、内心はコンプレクスの塊みたいな男。何故か自分はそこそこモテると思っていて、俺はただ大人の女を口説いてるだけって本気で思ってる男ね。で、実際にこういう男がモテているかというとそうでもなくて、多少女性にご縁があった程度。まあ、実際に容姿か、財力か、地位か、何らかの魅力があったりはする。けど、無意識にだろうけど、自分の容姿や財力や地位がモテ男ガチ勢と比べると劣っているって、ちゃんと気づいていて、自分より格下(弱い)とみなした女性にしかちょっかいを出さない男。

 ちなみに、格下ってのは、勘違い男達が勝手にそうみなすだけであって、実際に格下かどうかは関係ない。

 そして、こういう男達がセクハラだと怒られたら、全力で「俺は悪くない。」と言いたいがために、「あいつのほうから誘ってきた。」とか、「なんだよただのシャレじゃん。」とか、「子供かよ!」とか、「カマトトかよ!」とか、必死の言い逃れをしようとする。

 それで、セクハラ被害者に二度目の被害を与えるなどと思いもせずに平気で言うよ。自分を守るために必死だからね。そもそも一回目のどこがセクハラか分かってないんだから、二回目の加害に気づくわけもないのだが。まー、その卑怯さと醜さったらありゃしない。

 

 こういう男にロック・オンされないためには、男性との心理的距離感を近づけないことが重要だと私は考えている。物理的な距離感もさることながら女性が男性のセクハラ被害から自分を守るためには、徹底した敬語や無表情などでスキを見せず、心理的な距離感を離しておくのが一番手っ取り早いと考えるのだ。そして、この方法は自分自身の人間として、労働者として、女としての評価が下がるリスクが低いとも考えている。

 ただこれも少し都会的な職場の話で、未だに少しでも田舎になると「愛想(あいそ)至上主義」がはびこっていて、「(無料で)調子よく、笑顔で、他人の相手をしてあげることこそが正義」みたいな風潮がある。そして、そういった地域では、「女は愛嬌」などと言われ、愛嬌は礼儀やビジネスマナーの一つのようにさえ扱われる。ので、地方の女性労働者達は良く言えばニコニコ、悪く言えばヘラヘラ笑っておかなければならない事情がある。

 そんな状態で、笑えば「俺に気がある」と勘違いされ、セクハラだと訴えれば「お前がヘラヘラと愛想をするからだ。」と自己責任を問われ、じゃあ無愛想(無表情)でいますねと無表情でいると「(女なのに)愛想がない。」と怒られ、で、結局どうしろと?という地域があるのよ。

 

 話を元に戻し、心理的距離を遠く取るために徹底した敬語、無表情で仕事をするとする。それだと自分の評価が下がるじゃんという人もいるだろう。だが、自分も相手も人間だし一緒に仕事をしているので信頼できる相手かどうかは半年もすれば分かってくる。悪く言えば、最初は善人ぶっていても化けの皮が剥がれてくる人もいる。

 私自身は(職場によるが)仕事で初対面の相手に対しては、最初は全ての人と心理的距離をとり、言葉だけでなく行動が信頼できそうな相手のみ、小出しに自分を見せていくようにしている。私はこの段階ではまだ本音までは話さない。ただ、一言、二言、こういうことを言ったらどんな返事が返ってくるかな程度の心情を吐露してみたりはする。それで、冷静な返事が返ってくれば、もう一歩踏み込む、それでさらに冷静な返答が返ってくればもう一歩というふうにする。

 コツは、自分から見て優しく見える、自分の味方をしてくれる、自分に都合がいいという理由で関わる相手を選ばないこと。最初は冷静で客観的な人と親しくなって、そういう人達と親睦を深めていくうちに、優しくしてくれるようになった、かばってくれるようになったというのが理想的だと感じている。恐らくだが、これはごくごく一般的な人間関係の作り方だと思う。人間関係の作り方がおかしい人は大概、人を信頼しなさすぎか、人を信用し過ぎかのどちらかのように見える。

 今はこんなことを言っている私だけど、未だに人との距離感がちょいちょいおかしいし、精神疾患が重症だった時とは言え、やさしそうな善人に見える人にうっかり騙されたこともある。本当に人を騙す人の鉄壁の演技というものは、そうそう見抜けるものではないと感心してしまった。

 

 あ、ちなみに酒を断る手段として男女ともに有効なのは「ドクターストップなので飲めません。」と、周囲の社員や上司に聞こえるような大きな声で言うこと。これを伝えられているのに、酒を強要する人がいたり、周囲がそれをとめない会社なら、そういう体質の会社ということ。働き続けて自分が上に上がって会社の体質を変えるのもよし、辞めて違う会社で働くのもよしって感じかな。

 また、つらつらと思いついたことを書いてしまったので、急に終わります。またねー。

 

◆こちらの記事にも勘違いおじいさんのメンタリティを書きました。

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家族の偉大さについての物語

育てやすい子供と育てにくい子供

 私は、時々、夫や夫家族と過ごした10年間のことをタイムラインのような形で思い返して泣いてしまうことがる。何に泣いてしまうかと言えば、夫の頑張りと、義母の頑張りだ。

 世の中を見渡すと、分かりやすくも分かりにくくも、親にとっては「育てやすい子」「育てにくい子」という子に別れることがある。ある家庭の子供は育てやすい物分りの良い子供であっても、ある家庭の子は育てにくい粗暴で理解力の低い子であったりすることもある。しかし、同じ家庭に、同じ両親の子供として生まれてきても、育てやすい子育てにくい子がいたりする。それは、ざっくりした言葉でくくってしまえば「特性」と言えるものだと思う。

 夫は少なくとも、親にとっては大変に育てにくい子だッたと思うし、夫のご両親は小さい頃から男の子特有の粗暴な行動を見せる我が子(夫)を何とか落ち着かせようと、ピアノを習わせたり、バレエのような踊りのような事を習わせたりした。とにかく知恵を絞った。そのような芸術的な習い事をさせれば、夫に繊細な振る舞いや感覚が身につくのではないかという考えは、賢い親ならではの発想だと思う。子どもたちに本人の能力で出来うる限りの高い教育を受けさせていて、義父が優秀とはいえ、子供達の教育資金を捻出するためには主に義母が物凄く経済的に我慢していたと考えられる。昔の女性はどんなに気が強そうに見えても、夫や子供のために自分の幸せを我慢するべきという考えが刷り込まれていたのだ。それが良いとか悪いとかの話ではなく、そういう時代だったと言うお話。

 

母親が持て余す男の子の攻撃性・凶暴性

 夫が大きくなるに連れ、夫の粗暴さは増し、義母の処理能力を遥かに超えて来ていたと思う。夫が証言するに義母は頻繁にヒステリーを起こし泣き叫んでいて、それが嫌で嫌で仕方が無かったという。だけど、他人の私から見れば、夫の粗暴さは昭和の古風な女性からしたら、パニックになっても仕方の無い水準だったのではなかろうか思う。私は一応、夫の配偶者的な立ち位置を10年やったの人間なので、彼の攻撃性、暴力性の高さは知っている。それもまた、動物的な本能かもしれないので、迷惑だからやめてほしいとは交渉するものの、人の攻撃性、残虐性、暴力性を制御できるかどうかは、もう個体差によるとしか思えない程度には諦め始めている。

 

親子で異なる過去の証言

 夫には夫の言い分があり、義母には義母の言い分があり、同じ出来事について話を聞いても言い分が全く違う。これは親子や夫婦にはよくある話で、同じ物を見ても、同じ出来事を体験しても捉え方が全く違っている、ただそれだけの話だ。だけど、親子や夫婦というのは何とな無く「私は親なのだから、配偶者なのだから、相手の気持ちくらい分かる。」というおごりが手伝って、誤解が生じやすい。これが職場の同僚なら、「他人」という認識で適切な距離感で接することができ、話し合い、考えをすり合わせる提案もしやすい。だけど、家族だと甘えが出てしまいやすく、感情的になってしまったりして、そうはなりにくいといういう話だ。

 

実の親子の愛憎

 もう、夫は義母に怒りしか無く、何なら憎しみはじめていて、義母は義母で我が子が「可愛くて可愛くて仕方ない。好きで好きで仕方がない。」にも関わらず、やはり子供から受けた精神的被害がトラウマになっており、怒りや憎しみを小出しにあらわにしている調子だった。我が子にチクチクと嫌味を言ってしまい、息子の前で「私は子育てに失敗してしまった…」と言ってしまう程度には、追い詰められていたし、自分の子育ての至らなさを責めてしまっていた。

 もう、この二人が同居するなんて不健全に見えた。夫が私に嫌気がさして実家に逃げ帰ろうとした時も

「私に嫌気がさすのは良いが、本当に実家に帰って良いのか?自分自身でこのまま実家に逃げ帰ってしまったら、そのままニートで人生が終わると思わないか?それで良いのか?いや、自分自身がその人生で納得できるならそれでいいと思うが、あなたは変わりたいと言っていたのではないか?私が嫌なら一人暮らしをすればよいのでは?」

という趣旨の問いかけをしていたつもりだ。かなり乱暴な手法を使ったが、あの時は彼が凶暴だったので致し方がなかった。

 夫のご両親にも、

「これは親の覚悟の問題だ。息子が家に逃げ帰って来たからといって家に入れてしまったら、ニートとして一生過ごす可能性が高まる。あなたちは彼の親で、ほぼ30年間も彼を育ててきたのだから、家に帰ることを許したら、どうなるか想像できるのでは?」

という趣旨の問いかけをした。君ら家族の問題だから君らが決めればいい。私は最終的には他人だから関係ないと、なんとなく傍観者な意識の自分もいた。婚姻届を出していないのだから、戸籍上は確実に他人だ。

 

自分の人生を変えようとした二人

 ただまあ、ご両親がもう息子を実家には住まわせないと決めて、夫が親にどれだけ愛されていたか分かった後の、もう、夫と義母の自分を変えたいという努力はすさまじいものだった。要するに親離れ、子離れの努力がすごかったのだ。

 夫はまず、正社員として働きたいという夢を持っていて、それに向かって必死に頑張った。夫の言動は芸能人に例えると狩野英孝氏のようなタイプだ。人から誤解を受けやすい部分は似ているが、狩野英孝氏ほどは外向きに温厚な態度を取れるタイプではない。狩野英孝氏を攻撃的にしたようなタイプだ。だから、一旦彼の攻撃性が向けられたら、その相手は決死の覚悟で戦わねばならなくなる。それは私も義母も一緒だったと思う。

 

義母と妻が手を取り合う時

 夫の「正社員として働く」という夢を応援するために義母と私は夫には内密に、長いメールのやりとりをしていた。私が夫に対する愚痴を義母にメールで送信すると、最初は息子を馬鹿にされたと勘違いし、攻撃的な反論を返信をしてきたこともあった。のちのち義母に「(我が子の)いたらなさを他人に指摘されると、それが本当のことであっても、悪口を言われたみたいに感じて頭に血が登ってしまうものなのよ。」と話してくれた。

 だけど、私は息子さんについて批判や避難しているわけでなく、息子さんと向き合う事がつらく苦しく感じるときがある、あなたは同じ女性だし、彼の母親だから、彼の性格や言動をよくご存知だろう。どうか、知恵を貸してほしいという交渉をした。

 そうすると義母も人間だ。私に共感し、励まし、私が愚痴を言うと「うちの子が至らなくてすみません」と本気で謝ってくれた、「私の育て方が至らなかかったのだろうか?私は不出来な親だ。」と嘆き、気が強いと思われやすい彼女が普段は隠している弱さを見せてくれもした。

 「そんなことはない、お母様は人としても立派だし、妻としても労働者としても立派に勤めあげた。母親という仕事に関しては誰だって、生まれて始めてやる仕事だから、だれも完璧になんてできるわけがない。完璧な子育てができる親なんていないと思う。そもそも、ご両親は自分たちが本気で不出来な親だったと思っているかもしれないが、一般的に見れば良く出来た親だ。私の親と比べれば経済力、能力、精神力ともに雲泥の差だ。」

と励ました。義母は、夫と私が喧嘩したらいつも私の側についてくれて、今でも私に絶大な信頼を寄せてくれている。

 

ただの同居人だった二人

 母の愛というものに驚愕した一つの思い出として、忘れられない義母の一言がある。私は独身主義者だったので、現在の夫と婚姻契約を結んだのが非常に遅かった。ので、この頃、私と夫は、ただの同居人、ただの同棲している男女だ。前提として書いておく。

 

パートナーにキレた瞬間

 ある時。私が彼の凶暴性を止めるために刃物を持ち出したことがある。ある時期、彼は長い長い説得の期間を経ても、(母)親や私から精神的に経済的に搾取しようとする行動を改めず、なんなら怒鳴り続け、相手を萎縮させて支配しようとする態度取っていた。彼が怒鳴り散らすのに対して、私が何度も何度も怒鳴らないでほしいと冷静にお願いし、説得を続けたつもりだ。だが、彼は怒鳴るのをやめようとしなかった。だから私は、とうとうキレた。

 

「お前、ほんとに怒鳴るのやめないと殺すよ。何年怒鳴るのやめろって注意してんだよ!そもそもお前、男には怒鳴らないじゃないか!怒鳴るのは私とお母さんだけじゃないか!結局、お前は弱いとみなした相手にだけ、甘えていいとみなした相手にだけ怒鳴るんだ!そして、何年やめろといってもやめない!そういうの弱い者いじめって言うんだよ!卑怯者って言うんだよ!私は卑怯者が大嫌いだ、どなるならヤクザ怒鳴れ!できないだろ!」

 

と罵った。

 

 さらに、「お前が私を怒鳴るのやめなければ、私はお前を殺す。」と台所にいって包丁を手にとった。もちろん3m程度は離れていて、どうっやったって彼を刺せる範囲ではなかったし、それ以上に彼に近づくつもりもなかった。当然、これはただの威嚇行為なので、夫が掴みかかっても刺しはしない。私は暴力にさらされることに慣れた人間だ。殴られたら殴り返すし、一本骨を折られたら、相手にも一本骨の折れるのに相応な攻撃を加えるだけ。目には目を、歯には歯をで、同じ痛みを体験させないと分からない輩もいるのが人間社会だ。戦争は不条理な暴力を振るう相手への報復、反撃行為から始まると考えれば、簡単な理屈だ。だが、そこに至るまでには、互いにある程度の被害は許容し忍耐し、さらには外交交渉も何年にも渡って行われていたという背景があることは忘れてはならない。要するに貼り強い外交交渉も決裂した状態で、戦争は起こるという意味だ。

 彼は良心的で善良なご両親としか暮らしたことがないので、自分の悪質な攻撃に対して妥当な反撃を受けたことがなかったのだろう、それで怖気づいた。なので「怒鳴るのをやめろ、さもなければお前がとりあえずこの家を出ていけ。この部屋を借りる資金も家賃も生活費も私が出してるのに、私ばかり追い出されてネカフェで寝るのはおかしい。今度はお前がでていけ!」と夫を追い出した。

 ありがたいことに、言葉で交渉しても怒鳴るのもやめず、出ていってもくれなかった彼が刃物を見せた途端に家から出ていってくれた。暴力(をチラつかせる事)の威力は偉大だ。

 

警察は冷静に話せば公平に見てくる

 そして、しばらくすると警察がやってきて「刃物で刺そうとした人がいるという通報があったので、一応様子を見に来ましたよ。」と言われた。父がちょくちょく警察の人に捕まっていたので、警察官は話せば分かる人達だと知っていた私は、「そうか、あいつ、私を悪者したのか…」と思いはした。が、自分を正当化するなんて誰でもやることだし、ま、いいかと、とりあえず警察に説明をした。

 私は彼氏の生活費全般を支払っているが、彼は私に頻繁に数十万の金の無心をし、出さないと出すまで怒鳴る、生活費を差し引いても贅沢品、享楽費捻出のために、私としては納得のいかないお金を暴力的に巻き上げられたと感じている。だから今回は金を死守したところこうなった、と、事情を話した。さらに私は冷静で3m以上を距離があったし、あれは威嚇射撃のようなもので刺すつもりなどさらさらなかったと説明すると、警察官は当然いろんなケースを知っていて、私の冷静な態度や説明の内容から、「金(カネ)か…」とつぶやいて悲しいそうにした。私はそういう時の警察官の方々の寂しそうな悲しそうな態度が切なくてしょうがない。沢山の人間の心の闇を見ても、感情が麻痺しないほどの強靭な精神をお持ちの警察官にお目にかかると、心優しい人の苦しみは大きいのだろうと思える。それは精神科医にも同じことを思う。

 そして警察官は「まあ、よくあるケースだけど、刃物は出しちゃだめよ。」と言ってくれて、「はい、すみませんでした。お騒がせしました。」という感じで、ことは終わった。そして、彼は一旦実家に逃げ帰ったものの、私との同居を再開すると決断し私の元に戻っていた。

 ただし、だ。その際に義母と義父が同伴することになり、私は入籍していなかったので家族ではなかったが家族会議のような事をするという話になっていた。私は夫のご両親にどれほど攻撃や批判をされるのだろうとも思ったし、どんなに強く批判されても甘んじて受けようとは覚悟をしていたつもりだった。でも、やはり自分に100%否があることについて、全力で批判されるのかと思うと怖かった。

 

結婚してないのに家族会議

 家族会議的なものは始まり、義父は「どんな事があっても人様に暴言や暴力はいけない。」と、我が子を私の目の前で注意してくれた。義母は「とにかく人様にお金で迷惑をかけちゃいけない。」と、我が子を私の前で注意してくれた。だた義母は、我が子に女だから母親だからという理由で弱い者いじめされ続けた恨みつらみがつのりすぎて、ついつい愚痴や嫌味をチクチク言いがちだった。だから、やはりそこでも多少の親子喧嘩は起こった。彼は激高して義母に怒鳴ってティッシュの箱を投げつけた。私は「人に向かって物を投げつけるんじゃない!しかも心配てくれてる母親だぞ!」と怒った。

 ご両親は非常に賢い方たちで、私に息子を預けるからには、私の機嫌をとっておかねば危険だと思ったのかもしれない。私が刃物を持ちだしたことを批判も非難もしなかった彼のご両親に、ただただ驚いた。こんなことがあるのかと…もうこの息子はこの得体の知れない女に預けるしかないという覚悟を決めておいでのご様子だった。ご両親も、子育てに疲労困憊していらしたのかもしれない。なにせ30歳近くまで思春期のような反抗期のような状態が続いていたのだから。しかも、彼には兄弟もいたのだから。

 

母の愛とは「覚悟」なのかもしれない

 そして、彼が激高してお母様にティッシュの箱を投げつけたにも関わらす、義母は帰り際の、最後の最後で「おねがいだから、息子を殺すのだけは勘弁して下さいね。」と、私に言った。やはり、私が刃物を持ちだしたことは気にしていらしたのだ。当然だ、我が子が殺されたら困る。だが、我が子を殺すかもしれないと思える私に、我が子を預けねばならなかった母親の緊急度と覚悟に私は、再び驚いた。

 そんな不安な相手ところに、普通の親なら絶対に息子を戻らせないでしょ。だけど、息子が信じるという女を、母である私も信じようと決断し、殺されるかもとまで思いながらも、覚悟を決めて預けてくれた。これが家族愛、親の愛なのかと、私はその時に思った。母親の覚悟というのは、ああいったことなのかと義母のことを思い出して、涙が出ることがある。そして、私はこの義母の信頼に答えねばと変な責任感を感じてしまった。なんとなく、彼女に対しては友情のような戦友のような感覚を持ってしまっている。私が一方的にそう感じているだけだが。

 

100か0の人、両極端に触れやすいタイプの人

 彼は、私の夫となり、比較的に温厚に一般人と同様に振る舞えるようになった。彼はとても根が優しく生真面目な人間だ。だが生真面目な人間というのは、得てしてギアでいうところの遊びがない。100か0かで物を考えやすく、100%相手を信じるのでなければ0だ(=敵だ)となりやすい。なぜ77%信じるということができないのかと聞いたところで、できないし、そんなことしたくもないという返答がかえってくれば、それまでの話だ。だが、彼はいつも、それでつまづく。彼の中には中途半端に相手を信じるなんて失礼だ、信じるなら100%信じなければ相手に対して失礼だという感覚がありそうだ。これもまた、考え方を変えられる人もいるし、変えられない人もいるので、やはり個体差だと諦めている。

 私は時々「この人は私の父親に似ている。」と思うようになっていた。実際には父親がどういう人なのか、話したことがないのでわからないが、何事に対しても生真面目、潔癖なところが父に似ている気がするのだ。短所は長所、長所は短所という当たり前の話ではあるが、難しい話だ。

 

夫婦とは?親子とは?

 約10年の彼ら家族との付き合いの中で、母の愛とはなんと重く苦しく、そしてなんと偉大なのだろうとしばしば感じた。そして、私は夫に対して義母ほどの愛情は与えられないだろう。私は彼の母親ではないのだという、当然至極の事を思い知り、義母が子離れしたように、私も夫から子離れするべきときが来たのかもしれないと思うようになっているのだ。

 夫には、とても申し訳をないことをしたのかもしれないと思う時がある。私のようなイカれた人間と出会わなければ苦しまなかっただろうかと。だが、残念ながら起こってしまったことは消せない。許せないなら忘れてもらうしかない。さみしいが、それが現実だ。

 

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眠る家があればいい。「山のあなた」と「逆説の十箇条」

2016年9月に書いたものです。

山のあなた 

山のあなたの空遠く

「幸」住むと人のいふ。

噫、われひとと尋めゆきて、

涙さしぐみ、かへりきぬ。

山のあなたになほ遠く

「幸」住むと人のいふ。

 

作詩:カール・ブッセ

訳詞:上田敏

 

やまの あなたの そら とおく

さいわい すむと ひとの いう

ああ われ ひとと とめゆきて

なみだ さしぐみ かえりきぬ

やまの あなたの なお とおく

さいわい すむと ひとのいう

 

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 この詩が頭の中をぐるぐると回る。何度も書くが、「私は親と縁を切れば幸せになれる」「大学に行けばお金を稼げるようになれる。」「外国に住めば視野が広がる。」そんな、漠然としたすっとぼけた将来像を持って、ぼーっと生きてしまった。

 

 私なりに、幸せ探し、自分探しをしてみたけど、最終的に気づいたことは「自分」も「幸せ」も、その一瞬一瞬に感じるものであって、あるようで、ないようなもの。般若心経がそれを教えてくれて、科学が「感情なんてタンパク質(脳)に電気信号が流れているだけ。」と証明してくれている。

 

 人生は修行。耐えるしかない。一瞬の幸福のために、ちいさなイベントでも企画しよう。それを楽しみに生きていこう。そう、自分に言い聞かせている。考える暇がないほど働いていたときの虚しさと、考える時間がありあまるほどある今の虚しさは、そうは、変わらない。

 

 山の向うに幸せを探しに行って、涙を流しながら帰ってきた。まるで、おつむの弱い私のようだと、すこし、皮肉な気分で自分自身を嘲笑してしまった。

 

 私が家賃3万円のオンボロアパートに暮らしていたとき、深夜2時くらいに自転車で帰宅していると、隣の部屋を借りているおじいさんがいつも、近所の飲食店のゴミ箱をあさっていた。その、おじいさんは私が女の一人暮らしなのをいいことに、仲良くしていたわけでもないのに、借金をしつこく申し込んできた。そして、お断りし続けたら、電話番号を教えてもいないのに、電話がかかってきて「お金を貸してほしい。」と言ってきた。「どうして、ウチの電話番号を知っているんですか?」と聞くと、「ちょっと、郵便を開けて。。」と言い訳。私の郵便受けの郵便物を勝手にあけて、電話番号を盗み見て、私に借金の申し込みをしてきたのだ。働いていた飲食店の副店長に借金を申し込まれたこともある。今考えれば「女の一人暮らし」という点がナメられた点だっただと思う。借金の申し出を断り続けた結果、隣のおじいさんに郵便物を盗まれ、捨てられるという嫌がらせまで受けた。

 ある日、日雇労働をしているボーイフレンドがうちに来ていて、玄関にドロドロに汚れた大きいサイズの彼の靴があった。その時に隣のおじいさんが、また借金を無心に来て、靴をみるなり「彼氏いるの?」と聞いてきた。「はい。」と言うと、「彼氏には言わんでね。(ニヤニヤ)」と去っていった。そして、その後、借金の無心も嫌がらせもなくなった。やはり私が女の一人暮らしだから舐められたのだと、あの時に思った。

 精神病棟で知り合った女性も同じアパートのおじいさんから同じ目にあったそう。彼女の場合は、相手が老人だと思って少し手助けをしたら、おじいさんが勝手に彼女が自分に好意を持っている(惚れている)と勘違いし、家まで押しかけて来たのだ。当然、彼女はあなたに好意は持っていませんと伝えたが「なら、なんで親切にしたんだ。」と言った趣旨の逆ギレをされたそう。

 女性はなぜ男性のKKOに親切にできないかというと、このような事情があるからだよとしか言いようがない。

 

 大変申し訳ない話だが、あの時から男性の老人に優しくできなくなった。全くの通りすがりで身元がバレない相手には親切にすることもできるが、ちょっとでも身元がバレそうな相手には一切の感情を込めず機械的に振る舞い、嫌われるように仕向けるようすらなった。自己防衛のため、トラブル回避のための手段なのだよ。残念ながら仕方のお話なのよ。

 私だって彼女だって精神を病んだ貧困女性で、体力的に精神的に身ぎれいにできるはずもない。私に至っては過食症が出続けて100kg近い肥満体になることだってある。そんなみすぼらしく不器量な中年のおばさんでさえも、貧困おじいちゃん達は女性とみなして言い寄ってくるのだよ。だから自意識過剰だと言われようと、こちらは身を守る手段を取らざるを得ない。それに、ランニング&ステテコ&髪の毛ボサボサで玄関の外で猫と遊んでる貧困おじいちゃんに手助けをしてでさえも、女側に油断があったのではないか?などと自己責任論を言い出す輩もいそうなので、なおさら手助けできない。

 役所などの市民相手の女性労働者が、初対面で冷たく感じられる対応をするのは、そういった自己防衛のためでもあり得ると思うと、かなり納得の行く話だ。申し訳ないが男性には男性が手を差し伸べてほしい。女性が手を差し伸べると問題が解決するどころか、問題が増える可能性があるのだ。

 

 貧乏人には人情があるみたいな側面もあるにはあるが、そんな人ばかりではない。貧乏人は貧乏人同士で、足を引っ張りあったり、タカったり、盗んだり、いやがらせをしたりしているんだろうと思うし、私も実際にそうやって、見ず知らずのおじいさんにタカられた。それが現実だ。

 だけど、それでもなお、私は「逆説の10箇条」をここで、取り上げる。それは、私自身が人間の善意を信じたいという願望であり、信じようと努力している心の叫びなのだ。過去に、才能のある方々が人生の支えになるような言葉を生み出してくれたお蔭で、私は今、この生きること苦しみに耐えることができているのだと思える。良い意味で自分を騙すのに都合の良い言葉なのだよ。

 人を信じてばかりじゃいきていけない。人を疑ってばかりでも生きていけない。人生とは何と複雑なことか…

 

逆説の十箇条/ケント・M・キース

  1. 人は不合理で、わからず屋で、わがままな存在だ。 それでもなお、人を愛しなさい。
  2. 何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。
  3. 成功すれば、うその友達と本物の敵を得ることになる。 それでもなお、成功しなさい。
  4. 今日の善行は明日になれば忘れられてしまうだろう。 それでもなお、良いことをしなさい。
  5. 正直で素直なあり方はあなたを無防備にするだろう。 それでもなお、正直で素直なあなたでいなさい。
  6. 最大の考えをもった最も大きな男女は、最小の心をもった最も小さな男女によって打ち落とされるかもしれない。 それでもなお、大きな考えをもちなさい。
  7. 人は弱者をひいきにはするが、勝者の後にしかついていかない。 それでもなお、弱者のために戦いなさい。
  8. 何年もかけて築いたものが一夜にして崩れ去るかもしれない。 それでもなお、築きあげなさい。
  9. 人が本当に助けを必要としていても、実際に助けの手を差し伸べると攻撃されるかもしれない。 それでもなお、人を助けなさい。
  10. 世界のために最善を尽くしても、その見返りにひどい仕打ちを受けるかもしれない。 それでもなお、世界のために最善をつくしなさい。

フリーランスに対する誤解

 この記事についたブコメで、なんちゅうか、何で会社員かフリーランスかの二択なんだ?と不思議に思ったので、ちょっとだけ書いとくね。

 フリーランスって簡単に言うと自営業なんだけど、自営業って、飲食店みたいに、がっつり拠点を構えて社長風な立ち位置でリーダーシップをとってる人と、自分の才能を売りに本当にクライアントも毎回変わるし、働く場所も毎回変わるという人もいるのね。

 で、私の友達のフリーランスは、個人事業主な時期のほうが長いんだけど、必要があれば数年、仲間の会社に所属したりして、また、会社の縛りから抜けたい時は個人事業主に戻ったりしてるわけ。まあ、色んな都合の兼ね合いでそうなるらしい。

 ようするに、実力とビジネスのコネさえあればフリラーランスと会社員を行ったり来たりできるわけよ。

 なのに、ブコメをみるに、フリーか会社員かのどちらかしか選べないみたいな感じになってて、そうでもないよーと思ってしまった。確かに、つぶしの聞かない業種で大した成功もせずに苦しい自営を続けてしまった人が会社員に戻るのは難しい場合もあると思うけど、技術・技能を持っていて、なおかつ業界である程度のコネクションを作っていたり、顧客がついてる人は会社員に復活できるよ。だから二択ではないと思う。

 年功序列の会社ならやめるのはもったいないが、給与の上がる見込みのない仕事をしてるなら、自営をやってみるのも手かと思う。でも自営をやるにも、元々その業界にコネクションができていて、仕事が取れる算段ができてからだと思うよ。さらには、最低限の商法や労働法や経理(特に税務)、さらにはコンプラや情報管理の知識を頭に叩き込んだ上で、事業計画を書面にして実際に事業をしている人や、税理士に相談したほうが安全だと思う。

 どうも、上記の記事で書かれているサロンとやらは、そういった具体的な指南を一切していなさそうなので、私だったら参考にしないと思う。

 ただまあ、ブコメで散見されるように、これらのお話は能力のある人達のお話で、能力のない私のような人は微々たる会社の厚生制度のために社畜として働くか、対した保証もないバイトとして自由に働くことを選ぶかの二択になるのは、まあ必然よね。

 

 いずれにせよ、ネットでは一方的にお金を貢いだり貢がせたり、互いが互いのパトロンになるという、宗教チックな思想を広めやすいんだろうなーと言うふうには感じてる。実際の新興宗教がとってる手法と同じなのに、宗教法人を作らなくて良いから、簡単に集金できるそのような手法を使う人がいるんだろうね。日本は法治国家なので法律に触れなければ問題ないとされるし、そのやり方に対する他人の心象が様々であるのは致し方ないとは思うが、あまりにも心象を主軸で物を言う人は比較的に私が苦手なタイプではある。だれでも感情的になったり、無神経な発言をするという割引はしてるつもりだけどね。

 まあ、新興宗教の信者さん達も、互いのパトロン関係を維持できてる間は良いけど、パトロン相手の主要人物に嫌われたりすると、急に客足がなくなって地獄を見るって話もきいたことがるので、一系統のコミュニティからしかお客を呼べない、パトロンをつかめない人は終わってしまうよね。

 そういった危険を防ぐためにも、働き方、収入源、所属するコミュニティは多方向に広げておいたほうが良いような気がする。

勝間氏のカミングアウトを見てLGBTについて思い出した事

2018/06/04に書いた文章を、読みやすく修正した(つもり)の記事です。

 

 時々20年以上前にシドニーに住んでいたことを書いているのですが、当時、シドニーは一部の人たちに「The Sex City(性に奔放な街)」と揶揄されるほどに、(カミングアウトした)LGBTが多い都市でした。

 当時は、一般市民レベルでは、シドニー(豪)、ロスアンゼルス(米)にゲイが多いと言われていて、その後、シンガポールが性に関して寛容な国という噂でした。この頃は、まだインターネットは普及しておらず、コンピューターが使いこなせる一部の人たちが使っていた程度でしたから、こういった情報のほとんどは口頭での噂が主流だったんですね。(だから、真偽の程は分かりません。)

 現在の米国でLGBTが多い都市はサンフランシスコのようですが、当時はロスという噂でした。恐らくですけど、現代はインターネットの普及で情報が集めやすくなったため、LGBTにとって住みやすい環境作りをした街にLGBTが集まりやすいのかな?と推測しています。

 

国・都市・人によって感覚が違う

 例えば、当時のシドニーでも、革新的な人はLGBTに非常に理解があったのですが、性に保守的な人達は「セックスシティ」と揶揄され、ヌーディストビーチがいくつか存在し、マルディグラパレードが開催されているといったような事を快く思っていませんでした。

 あるいは、ロンドンも最近はわりとLGBTが多いと言われていますが、当時、30歳前後のイギリス人とおしゃべりしてる時に

「エルトンジョンがゲイであることをカミングアウトしたとたんに、ウチの母がエルトンジョン好きだったのにー(嫌いになった)。とか言うんだよ。ホント、イギリスは保守的。同性を好きになろうが、異性を好きになろうが、バイだろうが、トランスジェンダーだろうが、嫌われる理由にはならんだろ!?何でいちいち同性が好きか、異性が好きか他人に報告しなきゃいけないんだよ。そんなプライベートなこと、人に言う必要ないだろ!」

って、怒ってました。

 

マドンナは嫌わていた?

 また、当時、あるアメリカ人とおしゃべりしていて「私、マドンナが大好き!」って言ったら、そのアメリカ人は苦々しい顔をして本当にイヤそうに「マドンナは狂ってる。」って言ったんですよね。

 マドンナは、公衆の面前で下着同然の格好でパフォーマンスを始めた元祖のような人だったんじゃないかな?当時はアメリカでも比較的タブーだった、性的な表現を公に始めた人だったような記憶があります。だから、抗議にあって公演中止とか、わりとあったんですよ。

 でも、言ってることはとても大切なことで、公演も「safe sex(安全な性行為:エイズなどの性感染症から人々を守るための予防措置を講じる性的活動)」に準じたものだったんですよね。でも、アメリカって今でもでしょうけど、保守と革新の対立がすごくて、マドンナは保守からは相当に嫌われてたみたいです。

 まあ、こういった性的な保守派宗教と密接に関わっているっぽいんですけど、私はそこらへんはよく知らないので、ここでは書かないでおきます。

 

同性愛が当然の前提とされていた社会

世界的にみるとまだ、そんな状態だったんですけど、

シドニーでは知り合った人たちが「僕の彼氏がね…」「あたしの彼女がね…」なんて、普通に話してくれてたんですよね。

 私が行きつけのカフェで、スタッフのお姉さんが私によく話しかけてくれるので、別のスタッフの人に「彼女は優しい人ね」って言ったことがあるんですね。そうすると、「ああ、彼女はガールフレンドと一緒に住んでるよ(パートナーがいるよ)」って教えてくれたんです。

 その時は、なんでその返しだったのか良く分かってなかったんですけど、私がその女性スタッフに恋愛感情を持っていて「彼女は優しい人ね」と言ったのだと勘違いしていたっぽいです、。ですから、「彼女にはガールフレンド(パートナー)がいるから、あきらめたほうがいいよ。」って意味で教えてくれたのだと、随分あとになって気づきました。

 一部の人たちの間では、同性の恋愛がそれくらいには認知されてたんですよね。だから「僕の彼氏が~」とか、「あたしの彼女が~」とかいう話が普通になされてたんですよ。私の家の近くに2件ほどゲイ(レズビアンもかな?)のナンパスポットだと言われるバーもありましたし、そんなもんなんだーって思ってました。

 

売春も男女ともしていた

 私が働ていた場所は、日本で言うところの新宿二丁目と六本木を足したような歓楽街でした。東京ほど人口が密集してませんから、東京の街ほどは大きくありませんでしたが、色んなことが起こっていました。

 私の勤務先の前で、背の低い小柄な男性が、身長が190センチくらいあるセクシーな女装をした男性にグーで殴られてたりしました。多分、売春の支払いについて揉めていたのではなかろうかと推測していました。

 その街から少し外れたところに、有名な売春通りがあって、夕方以降になると方側は女性の売春婦、もう片側は男娼が並んでいるという噂でした。私は、店の前で上記のようなトラブルを見てしまったので、夕方以降は怖くてその通りを歩いたことはありませんが、ギリギリ夕方になりかけた時間にうっかり通ったら、ちらほらと売春目的の方たちが立ち始めていて、ああ本当にここは売春通りなのだと思いました。

 ちなみに、その通りは裏通りとか歓楽街ではなく、普通の大きなストリートだったような気がします。勤務先から主要駅まで健康のために歩こうと思って昼間によく歩いていたのですが、本当に普通の通りでした。

 

ゲイっぽいけど結婚してる人

 私にとっては知り合い程度の、南欧人の男性が日本の芸能人でいうと「カバちゃん」みたいな話し方とふるまいをするので、私はてっきり彼はゲイだと思っていました。あ、ちなみに服装は女装ではなく、おしゃれな男装ね。だけど、ある時、友達とかわいい服の多い古着屋にいると、その南欧人の彼が妻と赤ちゃんと一緒に店に入ってきて、「ハーイ、トム」って言うと、「ハーイ、らら、こちら、僕の妻と子供だよ!」って言うんですよ。あれ?ゲイだと思ってた…などと当然言えるわけもなく、「あー、子供いたんだー。」みたいな感じになりました。

 私のルームシェアのシェアメイトにその話をすると「あれ?彼はゲイじゃないの?」って、私に尋ねてくるくらいゲイっぽかったんですけど、「さあ?」としか答えられませんでした。「妻と子供はいるみたいだけど、どういうセクシュアリティかは全く分からない。」という話をしました。

 

自国から避難してきた可能性

 これは、個人的な見解なのですが私が知り合ったゲイ・レズビアン方々は南米、南欧、アジアの方たちが多くて、自国の宗教・文化が同性愛、バイ、トランスジェンダーに厳しいから、その迫害から逃れてオーストラリアに移民してきていたのではなかろうか?と感じていました。

 私自身は、あまり彼らのセクシュアリティに首を突っ込んではいけないと思っていたので、そこら辺の事情は全く当事者に聞いたことがないので、これは全くの私の推測です。ですから違うかもしれません。

 

ゲイだと勘違いされて振られた男子

 じゃあ、オーストラリア人、あるいはシドニー在住者がみなそんな感じかと言えば、そうでもなかったんですよね。私のボーイフレンドがゲイの上司と仲良しでちょくちょく二人で遊んでて、彼自身もゲイだという噂が近所で流れてたんですよ。で、彼の親友に「彼って、ゲイなの?」って聞いたんですけど、「彼は元カノにゲイだと思われて振られた。」とだけ教えてくれました。で、結局、ゲイなのか、バイなのか、ストレートなのかの答えは教えてくれなかったので、真偽のほどはさっぱり分からず、むしろはっきりとセクシュアリティを教えてもらえないことで彼はバイかもな…という思いは強まっていきました。

 で、そのボーイフレンドが、ある時、突然に「らら、僕はゲイじゃない。元カノは僕のことをゲイだと思い込んで振られた。」と、聞いてもないのに言い始めたんですよね。聞いてもないのに、そんなことを言い始めたから、逆に疑ったんだけど、「私は別に、あなたがゲイでも、バイセクシュアルでも関係ないよ。ただあなたがHIVに感染したら悲しいから、誰かと肉体関係を持つ時は(男性と性的関係と持つときは)コンドームは使ったほうがいいと思う。」的なことを言ったと思います。

 

まとめ

 まあ、そんな体験をしたことがあったので、勝間さんのカミングアウトとか見てると、わざわざカミングアウトしなきゃいけない社会って窮屈そうだなーって思いました。だって、相手がどんなセクシュアリティだろうが、わざわざ言う必要も、聞く必要もないと思うんですよね。

 私が、わざわざ「私、異性愛者です。」ってカミングアウトしない、「あなたは、異性愛者ですか?」と質問されないのと同じことです。少なくとも私が生活の中で接していたコミュニティーは、色んなセクシュアリティがいること前提で、恋愛についてフランクに語っていました。個人的には、そのくらいにゆるくて気楽な社会のほうが好きですね。というお話でしたー。

 

おわり

 

鼻の異常のメモ

 若い頃から細かい不調が沢山あって、もう良い歳なので全て治療しようと思っているのですが、なにせ治療しなければならない箇所が多すぎてメモしておかないとわからなくなるのよね。

 

 鼻の異常は

  • 後鼻漏
  • 鼻中隔弯曲症
  • 動物アレルギーによる呼吸困難

は、すでに耳鼻科で診断を下されているので確実。

 

 鼻中隔弯曲症はレントゲンを撮ってみると、かなり鋭角に曲がっていました。ですが鼻中隔弯曲症は成人の約80〜90%にみられる形態異常だそうで、何もいやな症状がなければ特に問題はないそう。

 

 後鼻漏に関しては治療法はいまいち調べきれていません。私の場合は常時、鼻水が喉の奥に流れているので、喉が常に炎症を起こしていてチクチク・イガイガしていいます。さらに、体調が悪いと炎症がひどくなり、ひどい咳が止まらなくなってしまうので、けっこう困ってます。

 

 レーザー治療や外科的手術が必要な可能性もありそうですが、完治できるなら何でもしたいと思う程度には困っているので、甲状腺癌を切ったら治療開始したいかなと思ってます。ので、今のうちにネット、リアル人脈共にリサーチしておこうと思っているしだいです。病院探しは常に情報戦ですので、ネットで下調べして実際に医師/患者にお目にかかってリサーチするというのが私のリサーチ方法です。

 医療に関しては、石橋を叩いても叩きすぎることはないので、それくらい慎重にリサーチしています。下手したら一生治らない後遺症が残ったりしますからね(体験談)。むしろリサーチする時間があるのはありがたいことで、救急車でなんだか分からない病院に運ばれて雑な処置をされて致命的な後遺症が残ることのほうが怖いかな…私の体験的には…

 

というわけで、喉のイガイガ・チクチクは鼻の異常に由来している場合もあるというお話でした。

 

 

身体醜形恐怖症のKちゃん

 最近、20代の女性で醜形コンプレクスの女性たちに会うんですよね。重度から、軽度まで。私が会った醜形コンプレクスの子は皆、20代で女性でした。10代も会ってないだけで、多そうだなー。

 

 正直、私の印象で言ったら、私の会った醜形コンプレクスの子たちは「美人」です。だけど、彼女たちは自分を「ブス」だと言いはって、整形したいと言うのです。

 

 実際は美しい容姿であるにも関わらず、心のなかで自分をブスだと思い込んでしまうこの現象は、何故起こるのだろうと、彼女らの話を聞いてみると、親からの許容不足であるように私には思えました。

 みんな、親、特に母親と、なにかしらの軋轢があって、それが偏った形で自分の顔への評価として感じ取っているように思えました。あくまで、私の印象に過ぎませんが。

 

 身体醜形恐怖症のKちゃんの一例でいくと、彼女はファッション雑誌の女の子達の顔をひとつひとつ強烈に非難、罵倒していくのです。

 

「何、この子~。よくこんな顔でモデルになろうと思ったね。チョ~ブサイクなんだけどー。」

 

「何、この子。よく、こんな顔で生きていられるねー。あたしだったら、こんなブスに生まれたら、耐えられなくて自殺するわー。」

 

 などと、本当に、おおげさにではなく、しらみつぶしに、一人づつを、そうやって非難、罵倒してゆくのです。

 

 そして、そういう子にとっては「理想の顔」というのもあって、雑誌をみていて、

 

「見て見てーーーー!!この子チョーーー可愛くなーい?完璧な顔なんだけどー!!あたし、こういう顔に整形したい。こんな完璧な顔が世の中にあるんだーー!!」

 

と、いった調子。

 

 そしてその完璧な顔とやらを「どれどれ…」と見せてもらうと、さっきまで「ブスだ。」と強烈にこき下ろしていた顔と大して代わり映えしない顔なのです。ほら、男女ともに「美しさ」には時代時代の流行り廃りがあり、流行している化粧品、メイクアップ法、髪型などにしないと、時代遅れだの今の流行りじゃないなどという評価を受ける(場合もある)わけですから、同時代の人達が同じような顔貌になるのは当然と言えば、当然なわけです。だから、雑誌のモデルさんたちの顔も必然的に似てたのよ。

 ですが、醜形コンプレクスの彼女からしてみれば、最高にキレイな顔と、自殺しなきゃいけないくらい醜い顔の2つに別れるようで、しかも何故か彼女は自分自身の顔を「自殺しなきゃいけないほどではないけど、かなりひどい顔」という括りに入れているようなのです。しかも、本人は、それをかなり客観的な評価だと思い込んでいるようなのです。

 

独特の感性を持っているのでしょうね。

 

 私の周囲でも、一重がコンプレクスとか、片目は一重でもう片方の目は二重なのがコンプレクスなどと言った理由で、整形をし、とても性格が明るくなった人もいます。ですが、醜形恐怖症の子達の話を聞いていると、実際に自分が醜いかどうかということは、さほど重要なことではないように感じられました。

 自分が醜形であるから「愛されない」「大切にされない」と感じてしまっているということに問題があるというのが私自身の心象です。やはり、家庭環境かと。。

 むしろ、私が家族に大切にされない、あるいは同級生にイジメられるのは「顔のせい」であり、私自身の「人格」「性格」のせいではない、と言い訳をするために「容姿」を持ち出しているようにさえ思えました。

 

 ですから、私もKちゃんの家庭環境の愚痴を聞くためにお話がしたくて、その後、友達と二人がかりで、頻繁に「あそぼうよ」メールを送っているのですが、「太ったから人に会いたくない。」と出てきてくれません。醜形恐怖症は醜い自分を見られるのがいやだからと外出恐怖症になる人もいるそうで。。

 

 実はKちゃんは、すでに何院も美容整形外科を回っていて、美容整形外科の何人かの医師に「君の場合は顔の問題じゃない、心の問題だ、精神科に行け!」ともうすでに、直接言われてる子なんですよね。

 本人が、そのように証言していました。すでに複数の美容整形外科に相手にされなくなっているので、整形をしてくれるクリニックを探すのが大変だと。

 

 私も、「それだけ、精神科に行け、精神科に行け、って美容整形外科で言われて、精神科に行ってみようとは思わなかったの?」と聞いてみたのですが、「私は本当に醜いから、整形で顔を治したいし、精神科には偏見があるから行きたくない。」とのこと。

 

 ですが、お世辞でも何でもなく、彼女は本当に美しい顔立ちなので、「え、でも、Kちゃんは世間一般からみたら、めっちゃ美人な顔だよ。」と伝えてみました。すると、ものすごい剣幕で「あああああああ、もおおおおおおおおおおおおお、ほんとうにそういうのやめて!!いい!いい!ほんと、そういうのいいから!!」と(お世辞を言うなと)怒り始めるというか、パニックになっちゃうんですよね、顔をほめると。ほんとに美人だからそう言っただけなんですけどね。

 

 私個人としては、彼女にはカウンセリングで家族の問題を癒やしてほしいし、たまたま関わった私や私の友人とお茶でもして、わいわいいいながら、気晴らしでもしてほしいなーって思ってるんですけどね。まずは、外に出てきてもらわないことには会えないからねー。彼女どうしてるかなー。

 

飯島愛さんへのオマージュ

2015年6月に書いたものに少し加筆しました。

無理でした…

 このブログ、もっとマイルドな「精神病やひきこもりを理解してね-☆」みたいな、 無難な「大人の女性」的なきどったブログにする予定だったんです。 「日常のきれいなとこだけ」を切り貼りした写真や文章でね。 無難すぎて、面白くなくて飽きるられちゃうのは分かってたけど メンタルが弱いんで、クレームのこないようなブログにしたかったんです。 でも、もう無理。隠しきれない心の闇と、毒と、戦闘能力の高さがもれちゃうんですね(笑) このブログ、完全に路線ブレブレじゃネ?的なこと思っている人への言い訳です。でも、無難な記事もたまには書くよ。的なブログになりそうなんですけどね。 何もかも中途半端な感じですみません。ほんとに。人間が中途半端なもんでね。

飯島愛さんがのりうつってきてる的な?

 「私的(わたしてき)には~」という言葉ってね、飯島愛さんが生んだ言葉なんですけど 私、最近これを多用するんですね。なので、もう死ぬのかと… いや、それは冗談なんですが(まだ死なないと思ってるので大丈夫。) ご存命でいらしたら、50歳代? 生きていてくれたら 世の中がもっといい方向に向いたんじゃないか、と思えるくらいの人物でした。

 

 あまり、おつむの良くない女子高生や若い女子達が、悪いおじさん達に騙されて、悲しい思いをしても、おじさん達が牛耳っているマスコミ業界は若い女の子達にセカンドレイプを加える始末でした。「おじさんに、いいようにされるお前らが注意不足なのだ。」と。

 女子高生が、こうこうこういう流れでおじさんにひどいことをされたとTV番組で訴えて涙ぐんでいると、愛さんはとても優しく共感し励ましていました。ですが、おじさんタレント達が「そうはいってもお前らは自分の性に高い価値があるって知ってるだろ!こどもじゃあるまいし!」的なことを言ってくるの。飯島愛さんは、そういうおじさんたちに、「そういう娘ばっかりじゃないのよ。」「本当に、おじさんの言うことを信じちゃう純粋な子もいるのよ。」と粘り強く説得や説明をしていました。

 それでも、しつこく若い子の自己責任を問い、子どもたちをセカンドレイプし追い詰める男性タレント達には「うるせー、お前はちょっと黙ってろっ!」とキレて叫んでいました。ああいう時の愛さんは本当にかっこよかった。

 センセーショナルに物事を扱う番組には多少の演出が加えられていたかもしれないと割引を加えたとしても、当時の女子高生が性的な意味合いで搾取されたり、差別されたりしていた状況をあぶり出すには、ああいった番組も必要だったと思う。

 

 ある時期には(いや今でもか)まだ、援助交際と性被害の区別のつかない人達がたくさんいましたし、「女子高生は、まだ子供だ。」という認識のない大人達も今より多かったかもわかりません。体に凹凸が出てきて女性らしい肉体になったら、急に内面も大人になると思い込んでいる人達が未だにいるようですからね。情報が流通しにくく、性に関わる教育が進んでいなかったあの時代には色んなことを思い、色んなことを言う人達がいて当然だったでしょう。

 テレビ番組では(わざわざ)女子高生が調子にのってオジサン達をディスっている姿を(その部分だけ切り取って)顔出しで放映するくせに、(買春をしている)おじさん達が女子高生のことをディスるVTRは顔にモザイクがかけてありプライバシーが守られるという、ひどい状態でした。

 飯島愛さんはセンセーショナルに女子高生を扱う番組に出る時は必ず、そういった事柄を指摘し、「ほんと大人(の男)ってずるいよねー。」と、的確な指摘をしていました。本当に聡明で心のやさしい女性でした。

 

 飯島愛さんが死んだとき 「うわっ!これ他人事じゃないわ!」 私が死んだら、葬式代、遺品処分代、貯金がどこにいくのか?的なこと、どうするんだ? と思っちゃったわけです。 知人が孤独死した友人の葬儀で出したのね。孤独死の場合は役所が火葬しますし、役所で簡単な葬儀(市民葬)もできますが、友達の寄付が多少は必要なんですね。 やはり、人(葬儀屋)が動きますからね。 最低でも15万円程度は必要になってくるんです。

 

 いくら私が葬式はいらないと普段から言っていても、なんか友達が有志でやってくれそうな感があったんでね。遺品処分も、ワンルームでも最低ラインで10万円くらいは かかるんじゃないかな。大家さん、友達、税金のいずれかで私の遺品整理がまかなわれるんだろうなと思うとげんなりでした。というか、実際一人暮らししてた隣の隣がの部屋で「孤独死」が出て大家さんが遺品処理と掃除してました。そういえば…思い出した。死後どのくらいに発見されたのかはわかりませんが、時間がたっていたら、色んな液体や死臭が部屋についちゃうそうで、大変そう。安アパートって家賃も3万くらいで、大家さんもそんなに儲かってないから、業者に頼むわけにもいかなかったんでしょうね。

お金は誰に残す?

 私の父親は親戚一同から縁を切られてた上に、もう死んでましたから、 父方の親戚の連絡先とか知りませんし 母方の親戚も、会ったことがあるっていう程度で連絡先なんか知りません。 あ、ちなみに母親ももう死んでます。 そういう親戚たちに、私が「馬車馬のように働いて、ギスギスした生活を 我慢して貯めたお金」が、ちょっとでもいくのがいやだったんですね。 お世話になった友人たちに残したいと思ってたんです。 だから、お世話になった友達にお金がいくように遺言を書かなければと 思ってたんですが、心身ともにやんでいたので弁護士さんのところに 「遺言を作ってください。」って、なかなか連絡できなかったんです。

元気だと感謝の気持ちを忘れちゃうんだな的なこと

 そんなこんなしてるうちに、少し元気になってきちゃってね。ええ。 大切なことって忘れがちなんですよね。ちょっとでも健康だと。 座っていられる自分に感動、立っていられる自分に感動、 歩ける自分に感動、外に出られる自分に感動。 こういう気持ちは忘れちゃいけませんね。ええ。

 

追記:と思っていたら、癌がみつかっちゃいました。人生は本当に色んなことが起こりますねー。

骨折がずいぶん治ってきました

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手を骨折したのですが、

やっと、ギブスが取れて

簡易な固定器具に変わりました。

 

これでやっと、

まともにキーボードが打てると

ちょっと安心しました。

 

聞き手の左手を骨折したので

学校で授業のメモも取れず

とてつもなく

授業に遅れをとっています。

冬休みに、しっかり復習しないと

来年の課題がヤバイ…

 

私ね、足を5回ほど骨折してて、

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13針縫う、この怪我と

 

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9針縫う腓骨神経麻痺もやってるの。

 

階段で意識を失って落ちた時の傷が

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こんな感じで、

 

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これは何の傷跡だろう…30代になって膝下を強打した時の傷なんだけど、忘れちゃった。

 

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他にも、この程度の2~3センチの傷はちょいちょいあります。

いつ撮った写真なのか分かんないけど、パソコンの中に入っていたのでUPしてみた。

 

つーか、太ってんな、あたし。

 

 しかも歳とってる上に、美容に興味がないから肌がカッサカサだなぁと写真をみて思った。でも、乾燥肌を認識はするものの、だからといって、お肌のケアをするかと言えば、たぶん、しない。まあ、それが、キモくて金のないおばさんを自称している理由なんだけどね。身なりに構わないから、周囲からはさぞかし、得体のしれないおばさんに見えていることでしょう。

 

 まあ、昔、記憶力も怪しくなってきたアラフィフのおばちゃんの個人ブログに、ことごとく創作だの、嘘だの、盛ってる(誇張)だの言ってた人達がいたので、最近、証拠写真を出してみてます。そんな義理はないが、私、根に持つタイプなのでね-☆

 別段、私のことを嘘つき呼ばわりした人達に興味はないし、関わりたくもないけど、本当のことを書いたってことは証明したいじゃん。

 そういう、人を批判したり、誹謗中傷するのが好きな人達を好む人達もいるみたいで、中傷好きや批判好きな人の味方をしたがる人もいるみたいだから、事実を事実として書いただけだよーんて、こっちも言っておきたいのよね。

 何の証拠もなく、人の話を「珍しい」とか「信じられない」というだけの理由で、嘘呼ばわりするうっかり屋さん達は気をつけましょうね。言いたきゃ言えばいいけど、何の証拠もなく人を嘘つき呼ばわりする人だと思われて、損をするのは自分だと気づいた方が良いよ。周囲からそういう評価を受けるってことをね。

 確か私のブログに対してではなかったと思うけど、個人ブログに「証拠を見せろ」とか書いてる人もいたからね。あれには驚いたね。個人の日常日記を書いてるだけの人に、自分が勝手に目をつけておいて、書いてある内容が自分にとって信じられない内容だったら、自分が信じられるまで個人情報を出せとか正気の沙汰じゃないね。まずは自分が同等の個人情報を、魔のインターネットに出してから言えよって思ってしまった。

 まあ、人のやることが気になって気になってしょうがない人、人のやることにケチをつけたくてつけたくてしょうがない人ってのがネットでは目立ちますね。生い立ちなどからきている心理的問題か、発達障害の特性からくるものじゃないの?早めに精神科やカウンセリングに行って認知行動療法や、反復訓練で楽になってほしい思う。だけど、御本人が心理的に問題をかかえているとお気づきでない上に、精神医療に偏見のある人の場合は「カウンセリングを推薦」しても、攻撃を受けた、馬鹿にされたとお思いになるだけでしょうから、本当に打つ手がないですね。「精神科に行けなんて失礼だろ?」とか平気で言う人がいる世の中ですし、そういう人ほど精神科に行きたがらないですからね。風邪を引いた人に心配だから内科に行けと言っても失礼ではないのに、メンタル弱ってて行動がおかしくなってるから精神科に行けっていうのが失礼って、どういうこと?とは思うよね。

 人のやることがそんなに気になってしまったら、自分自身がつらかろうにと思う。うちの夫も人のやることが気になってしょうがないタイプなので、とてもつらそうよ。でも、カウンセリングに行ってほしいと何度も何度もお願いしたけど行ってくれないので、私に打てる手はもう何もないのよね。彼のことは嫌いじゃないけど、常に人のやることを気にして怒っている人と、一緒に暮すというのは難しいよね。だから今後は良き友人として関わりたいかな。夫と結婚してみて、「もう二度と誰とも結婚はしたくない」「やっぱり私は結婚に向かない」と、よく分かりました。独身時代に独身主義を公言していたのは正解だったなと。

 そういった意味では、例えウッカリミスであっても婚姻届を出してみて良かった思います。一旦婚姻届を出すと離婚しにくいのは何故なのかも学習することができたので、本当に良い勉強になりました。

 助け合って生きるなら夫婦で無くても良いじゃん。普通に外国みたいに、気を使わなくても良い女友達とルームシェアでもして余生を暮らすのが私の理想。どうしても人と一緒に暮らさなきゃならないなら、節度を持てる程度に距離のある相手(できれば女友達)とがいい。夫婦ってのは心理的距離が近すぎて無理、私には。

 甲状腺がんの入院も夏に決まり、色々と段取りが進んできました。体の不調をなんとかしないことには、やりたいこともできないのですが、健康管理も仕事と思って取り組んでます。

保育園騒音被害の重大さと健康被害と愚痴

のコメント欄で、めちゃくちゃトラウマが発動したので書かせてもらいます。

私はこの記事に対して、

「私は保育園騒音の被害者。米軍の騒音と保育園騒音は同じ騒音なのに、保育園騒音に抗議したら心が狭いの?何故騒音を無くそうではなく、我慢しろなの?騒音計を買い訴訟を考えた程に深刻だったのに」

と、コメントしました。

 

 

前提として必ずこの記事を読んでください

 この記事を読まれる方は、必ず上記の記事を読んでください!でないと、絶対話が分かりませんから。

 

私の事情

 当時私が住んでいたアパートは、家賃・立地ともに私には都合がよく絶対に離れたくないアパートでした。ですが目の前に保育園が建設され、保育園騒音で健康被害を受け、泣き寝入りして近くの別のアパートに引越しをせざるを得なくなりました。その状況を細かく書いていきたいと思います。

元々の私の居住環境

 私は低収入なので、もともとアパートの隣に電車が走っているような、立地の悪い安い賃貸に住んでいました。もちろん電車の音もしますし、電車が通れば家が揺れるくらいに騒々しい環境だったんですよね。ですけど、それは全く気になりませんでした。頻度が多くないのと、今思えば、子供の周波数の高いに比べれば神経に障らない程度の音だったからだったと思います。

 そのような立地も悪く安い作りの物件ですから、上記の保育園騒音被害者のように丈夫な家でもなく、二重サッシでもなく、壁も薄いので防音性なんてありません。安い賃貸の作りなんて粗末なものです。それで、目の前に保育園が建って、ウチは2階(これ重要)に住んでいて、もろにその騒音を受けたわけです。あの苦しみは体験した人にしか分かりません。

本当はあの部屋に住み続けたかった

 ウチは低収入なので家賃は4~5万円程度の物件を探すようにしていました。関東で5万円前後で二人が住める物件がいかに格安で粗末なものか、関東で賃貸暮らしをしたことのある人ならお判りでしょう。夫の通勤、私の通院、通勤の都合、破格の価格、全ての条件がそろっていたあの部屋を出ていきたくはなかった。でも、騒音に耐えられなくて引越しをせざるをえなかった、当然、引越費用の数十万は自腹です。

 引越代を節約するために、一部の荷物を自転車で往復して運べるほどには、そのアパートの近くに引越しをしたんですよ。保育園騒音が理由でね。そりゃ、怒りも沸きますよ。

 

保育園騒音の実情

 保育園騒音は、都会か田舎か、防音設備があるかないか等で世帯や個人によって健康被害の大きさが違います。また騒音対策をしている心ある保育園か、騒音を垂れ流しているタチの悪い保育園かで全く話が違います。だから、「ウチはこうだった。」という話は通用しません。さらに保育園の騒音の話なのに、幼稚園、小学校の騒音と比較して我慢が足りないという人が出てくる始末です。これでは被害者が怒って当然です。そこら辺のことを書いていきます。

学校、幼稚園、保育園の設備は違う

 (上記の増田は幼稚園の話なので違いますが)保育園騒音の話をすると、「ウチの前にも小学校があって…」「ウチも近くに幼稚園があって…」などと言い出す人がいます。ですが、田舎と都会の保育園では園庭の広さが、まず違います。面積に対する子供の密集度が全然違うんですよ。ブコメに幼稚園のグラウンドって書いてあったけど、グラウンドと言えるほどの広さの場所に数十人いる程度なら、私だって騒音で病んでないんですよ。都会の保育園にはグラウンドなんていう気の利いたものはない場合があるです。狭い園庭のみなんです。

 うちの前の保育園では「猫の額」ほどの超絶狭い敷地の遊具に、大量の子供が密集して奇声をあげながら遊んでたんですよ。散らばってないし、狭いは近いはで滅茶苦茶うるさかったんです。

小学校は防音設計だし広い

 小学校は、例えば、南側、東側は校舎で北側は体育館で西側にはブロック塀と防音林というように、グラウンドを囲んで音が遮られる構造に作られていることが多いように思います。さらに校庭が広く、子供がまばらなので、都会の敷地が狭く壁もない保育園よりはるかに静かです。しかも、子供の年齢層、声質や騒ぎ方が全く違いますので、保育園騒音とは全く別の話です。

防音設備は保育園によって違う

 うちの前の保育園は狭い上に防音設備が一切なし。塀もなく、かっすかすの金網ネット。しかも、こちら側も賃貸なので防音設備が一切なしだったんですよ。しかも道幅が狭く保育園に近かったの。しかもウチは2階で騒音が直撃だったんです。

 騒音元が遮音・防音の構造で設計されていない、遮音・防音壁がない、その上に自宅も安い作りで防音機能が全くない状態だと、本当に悲劇なんですよ。

 だから、健康被害が出ない程度の騒音被害の人は、保育園か自宅かのどちらかに多少の防音の性能があると思うんです。

具体的な騒音被害

 あの増田は運動会の騒音の話でしたが、狭い保育園、細い道、目の前の立地なら毎日、一定時間おきに騒音にさらされます。うちの前の保育園は順繰り、数十人ごとに交代で屋外の遊具で園児を遊ばせてたんです。

 で、小学校に上がる前の子供の声って周波数が高くて頭に響くんですよ。ちびっこを育てたことのある方ならお判りでしょうが、ちびっこって一人だけでも興奮して騒ぎつづけると、大人一人をノイローゼにできるくらいの威力じゃないですか。あの声が、遊具のところに密集して束になって襲ってくるんですよ。

 ようするに、チョークで黒板をひっかくような不快な高周波の声が束になっておそってくる感じなんです。少なくても私にはそう聞こえたんです。隣を走る電車の通過音はうるさいと思ったことはありませんが、大勢の子供のかな切り声は本当にしんどかった。

 さらに悪いことに、私の自宅の前の保育園は園児が帰った後に、スポーツ教室を開催していました。それを狭い園庭でやっていて、ホイッスルの音と男性コーチのがなり声がずーっと続いてたんですよ。この時、子供の声はほぼ聞こえませんでした。ですから、うるさいのは子供ではなくホイッスルと男性コーチの怒鳴り声のみです。

 サッカー鑑賞される方ははお判りでしょうけど、ホイッスルの音は、あの大きなサッカー場でも響き渡るほどの大きな音です。それおピーピー、ピーピーとずっと吹くんです。さらに、コーチのがなり声も相当なもので、耐えられなくなって、保育園にその件について相談しましたが相手にされませんでした。

 一日に数時間なら我慢しろとか、平日だけなら我慢しろとか無責任なことを言える人は、平日に毎日、会社や自宅の扉の前で数十人の保育園児に、一定時間おきに奇声を数時間ほど叫んでもらってください。数か月でノイローゼになれますよ。

 

保育園騒音の健康被害

 騒音での健康被害と言ったら、頭痛や嘔吐と思うかもしれませんが、個人的には精神的被害が一番深刻だと思います。理由は下記のとおりです。

騒音はキ〇ガイじいさんを産む

 昔ね、自分が保育園騒音被害の真っ最中にネットで保育園騒音被害について調べたんですよ。どうしたらいいのか、本当に深刻に悩んでいたんです。

 そしたら、心無い人たちが、保育園にキチ〇イじいさんが「うるさい!」って乗り込んできて迷惑だ、怖いとか書いていてビックリしたんですよ。いや、確かに急にそんなおじさんが乗り込んできたら怖いですよ。そりゃそうですよ。ですけど私からしてみれば、「いやいや、その老人をその精神状態に追い込んだのは保育園騒音じゃないの?」って思っっちゃたんですよ。「そのおじいさん、騒音のせい(?)で完全に(精神を)病んでる。その状態って、れっきとした健康被害じゃないんですかね?」って思ってしまいした。いや、認知症かもしれませんよ。でも、保育園騒音でノイローゼ気味になっている私には、そう見えたんですよ。

騒音だけが問題ではない

 根本的な問題は保育園から出る騒音なんですよ。だけどね、私からしてみれば保育園騒音で精神が病んでしまうのは、保育園に相談しても相手にされないし、どこに相談したらいいのかも分からなかったし、騒音を解決できそうな糸口が全くなかったからだったんですよ。我慢して、我慢して、相談しても相手にされず、でも引っ越したくないから、さらに我慢して、って2年(もっと?)くらいは我慢してたんですよ。

 結局、私は泣き寝入りして引越ししましたが、もう少し長い間、我慢していたら保育園に「うるさい!」って怒鳴り込んでいくキ〇ガイばあさんになっていたかもしれません。

 少なくとも、ネット社会では、保育園騒音に対する偏った許容と、精神被害に対する偏った偏見・無理解で、負のスパイラスになってたんですよ。それを見て私も「ああ、これは保育園騒音被害を理解してもらおうと思うのは無理だ。」と泣き寝入りを決意したんですけどね。

被害状況の違いによって被害者も分断されている

重度の被害者はごく少数だから泣き寝入り

「うちも幼稚園ではないけど似たような環境に陥ることがある。確かにうるさい。だが、そこでイライラしてたらそれこそ不健康で心が狭い。」

 という、ブコメがありました。

 この方の言ってる「似たような環境」てのが何のことか分かりませんが、「園庭の狭さ」「子供の密度」「保育園の防音性」「住居の防音性」「保育園との距離」の違いで、たとえ同じマンションであっても被害の大きさは違うんですよ。あと保育園は「開園時間の長さ」も、個別に違います。ですから「ウチはこうだから…」は、他の被害者とは全く関係のない話なんです。

  防音設備のない保育園が建ったとして、その目の前のマンションの2階の人と4階の人じゃ被害の大きさが違うんです。マンションなら、部屋の向きだけでも被害の大きさが違うと思うんですよ。

同じ近隣住人でも分かり合えない

 だから、4階の人は平気で2階の人に「それくらい我慢すればいいのに。」って思えちゃうんですよ。私からしてみれば「だったら、この部屋と交換しましょうよ。我慢できるんでしょ?心が広いんでしょ?」って話なんです。

 

で、要するに、ウチは

  • 道が狭い
  • 狭い園庭の遊具に子供が密集
  • その遊具がうちの目の前
  • 園庭に(子供が興奮しすぎる楽しい)遊具がある
  • 保育園に防音設備はない
  • 自宅にも防音設備がない
  • しかも2階で音が直撃

という、悪い条件が全てそろった部屋だったんですよ。で、そういう部屋や一戸建てって、近隣住人の中でも、ごくごく少数なんですよね。だから、近隣住人で結束して「(騒音元または被害者宅の)防音費用の交渉」をするにしても、重度の被害者以外は「面倒だから我慢する。」とか、持ち家の人は「面倒だから自力で自宅に防音設備をつける。」ってなるんじゃないんですかね?

  で、結局お金がなくて自宅に防音設備をつけられない人、賃貸だから防音設備を自宅につけられない人だけが騒音で病んでいくんじゃないですか?私なんかは賃貸だったからまだ引越しっていう逃げ道があったけど、持ち家で騒音の直撃をくらってるのに、諸事情で防音できないおうちってどうしてるんだろ?

同居家族でさえ分かり合えない 

 当時、私は週3~5日、1日3~8時間のアルバイトをしていて、朝~昼過ぎ、夕方~夜の勤務が多く、午前から夕方にかけての保育園の騒音の直撃をくらってたんです。その頃は、まだウツの状態が悪く医師に勤労をとめられたにも関わらず、押し切って働いていたので日々の休息が非常に大切だったの。その大切な中休みや、デイオフの時間を、ちびっこ達のキャーキャー言う声で脅かされて、ウツを悪化させてたの。

 だけど、夫は保育園が開園している時間は仕事をしているので、保育園の騒音がどの程度なのか知らないんですよね。だから「まあ、子供だからしょうがいないよ。」みたいな感じで、私が騒音でノイローゼになりそうだって訴えても、分かってもらえなかったの。それくら、保育園騒音被害は断絶があるんです。で、結局、誰も分かってくれない…ってノイローゼを悪化させていくんです。

保育園の建設を反対されないためには?

 もし私が一戸建てを買ったとして、目の前に防音対策皆無の保育園が建つとしたら絶対に反対します。じゃあ、保育園騒音の被害者の私が保育園建設に賛成できるようになるためには何をしてほしいかを書いてみます。

私が思う解決策

・保育園側の遮音・防音

 または

 騒音被害者側への遮音・防音設備の全額補助

・(賃貸なら)引っ越し費用の全額補助

などで絶対に騒音被害がないと分かれば建設に賛成します。

 要するに、公害レベルの騒音から逃れたいただそれだけなんですよ。元記事のブコメにウチも似たようなとか書いてありますけど、似てません。どうして言い切れるかというと、ブコメの人たちが受けた騒音被害は公害レベルではない様子だからです。恐らく、騒音元か住居(自宅)側に、ある程度の防音設備、防音性能、騒音対策、があるんですよ。気づいてないだけで。

 この体験から、保育園全体に遮音・防音設備を設置するとコストがかかりすぎるという話なら、(ピンポイントで絶大な被害を受けてる)被害者世帯のほうに防音を施せば、低コストで済むかもしれないとも思いました。

 

騒音問題の解決なしに建設反対は防げない

 これも結論から言うと、保育園騒音で健康被害が出てる人に対して「子供のためなんだから我慢しろ」っていう人がいるから、保育園建設の反対運動がなくならないと思います。

 「保育園を建設したいから、うるさいけど我慢して」ではなく、「騒音問題は起こしません。起ったとしても必ずすぐに対策しますし、対策出来なかったら賠償金を払います。」くらい言ってもらわないと、持ち家なら絶対に建設に反対する自信があります。

 この問題は情緒的な論争で解決できる問題ではありません。特にネットでは、子供の奇声からくる騒音問題について、情緒的に無条件に子供を優先し、騒音被害者側の被害を軽視する意見が目立ちます。子供の奇声の騒音被害について問題意識を持つ人が極端に少なく、子供の声なんだから我慢しろという精神論が並ぶのです。

 「ゴミ処理場は必要だから、臭くても我慢して」って言われて賛成しますか?「臭いを出しませんから建てさせてください。」って約束してもらわないとイヤじゃないですか?私は疑い深いので、それでも「本当に臭いは出ないのですね?臭いは絶対に出さないと書面で保証してくれたら考えます。」って言うと思います。保育園騒音は、被害経験のある私からしたら、それくらいの脅威なんですよ。 

 

結局あきらめるしかない現実

「うちの真向かいが幼稚園のグラウンド。自由時間に集団でテンションMAXになった子達の全力金切り声は中々の破壊力です。でもどうにもならないからなぁ。」

 というブコメもありました。

 ほらね、幼稚園の騒音でさえ、「どうにもならない」ってあきらめてるでしょ?本当は騒音元または被害者に遮音・防音設備を設置してもらって、騒音なく快適に過ごせるようにするのが人権なんじゃないんですか?(人権のことはよく分かんないけど。)

 「許容」「許す・許さない」「心が広い・狭い」「神経質」「過敏」とかって、被害者を責めてるうちは、絶対に保育園建設を反対する人が出ると思います。騒音被害者の心に寄り添ってくれないなら、子供を預ける側の心に寄りそう余裕なんて持てませんよ。

 騒音被害から自分を守るので精一杯になっちゃいますよ、そりゃ。実際に健康被害が出るんですから。

テレビで見た解決策

 ある保育園が騒音被害対策のために、子供が外に出る時は大声をあげさせないという訓練をしていて、あれくらいの配慮のある保育園なら近所にあってもいいと思いました。

 テレビで取り上げられた保育園では「忍者のポーズ」というものを考案し、それで子供の興奮を抑えるという手法をとっていました。具体的には、子供が興奮しそうになったら、すぐに先生が「ニンニン」と注意し、それを聞いた子供たちは、両手を忍者のように合わせて小声で「ニンニン」とささやき、大声を出さないという訓練です。子供たちはしっかりと訓練を身に着けており、先生に「ニンニン」と注意されたら、すぐにはしゃぐのをやめ、両手を合わせて「ニンニン」とささやくのです。

 だから、ああウチの目の前の保育園みたいにタチの悪い保育園ばかりではないんだとも思えました。

近隣に迷惑をかける保育園かどうかの判別ができない

 私だって、保育士に連れられて、普通の音量で話しながら散歩しているちびっこに腹を立てたことなんてありません。束になっておそってくる高周波の奇声で健康被害を受けてるわけです。だから、遮音・防音以外の方法だったとしても、ちゃんと対策をとってくれるなら文句はないんです。運動会やイベントの練習で、音楽、人の声をスピーカで大音量で流す行為が数日間続く程度の騒音なら我慢してましたよ、実際に。でもタチの悪い保育園は防音設備どころか、防音の努力をしますという姿勢すらないし、相談しても相手にしてくれないんだもん。

 で、上記の「子供嫌い」の人の記事内で「区と園が言ってた防音対策する約束なんてすぐに破られました。」って言うのを見ちゃうと、誰を信用したらいいの?ってなるんです。私自身が騒音元の保育園に相談しても、相手にされなかった経験があるので、信用できないんですよ。

 私は、低能すぎて、このような体験や愚痴を書くことしかできませんが、制度設計とか立法に詳しい人は、なんか考えてよーと思ってます。また、まとめ方が分からないので、急に終わります。参考になりそうなリンクを下に貼っておきました。 

おわり

◆ブコメに保育園騒音被害の体験談をいただいたので追記