女だから言えること

中高年のおばちゃんの脳内を日記がてら綴っております。

音読しないと理解できない脳743

togetter.com

 

私のブコメ

「私だぁああ。脳内で音読するだけでは理解できないので、何なら本当に声に出して読む。そうでもしないと脳が理解しない。小中高大の試験でも問題読むときにブツブツ言いながら読んでた。そうしないと理解できないのー」

 

最近、ブログを書く余裕がないので、メモのみにて失礼いたします。

 

この記事へのコメントのひどさに腹が立つ話743

b.hatena.ne.jp


 

 私はこの記事に対して、

 

「所詮みんな他人事。誰かの失敗を叩いて楽しむだけ。周囲にこ のような子がいても絶対に教育を授けないであろう人達の軽率で 無責任なブコメ群。

 

諸事情でしつけや教育を受ける機会がなかった又は理解力が低く苦労している人を袋叩きにするネット文化が本当に怖いし腹立たしい。この子が愚かなのは何故か?自分はこのような子に何ができるか?と何故考えないのか」

 

このような怒りのコメントを書いた。

 

 このブコメ群が、まさに、自分は恵まれた能力、家庭環境、教育環境を与えられた人間だという自覚のない人たち傲慢さだ。ネットを見ていると、このような方々には一度、精神病棟や、児童養護施設に修行に行ってほしいと思うことがある。そういった施設には、病名がつく程の人から、病名はつかないけど社会生活に支障をきたしている人まで、いろんな人たちがいる。知的、発達、精神、人格に問題があり上手く物事を理解/処理できない人たちがたくさんいるのだ。

 字を読むのが困難な人、物事を関連付けてとらえるのが不得意な人、(成人していても)親がいないと一人で外出できない人、自分の思い込みや(幻覚・幻聴なども由来する)妄想などで話を進めるため虚言の癖があると思われてしまう人などなど、難しい人たちがたくさんいる。彼らは身体障碍者のように見るからに障害者ではないし、症状が軽い人たちは障害者ですらない。一見すれば普通の人たちだ。だが日常生活に支障をきたして困っているのは事実だ。だから、その現実をみて、ああこの人たちには、この人たちに理解できる言いまわしでの説明と説得が必要だと思い知ってほしいと思う時がある。

 だけど、実際には、このブコメ群のような人たちがボランティアに来ても、独善的な正義感で事態を悪化させることも少なくない。要するに、それでなくても理解度が低かったり、常識がなかったりで、社会に恐怖心を持っていたり、反発心を持ってしまっている人たちに向かって、(無自覚な見下しから)頓珍漢な説教やアドバイスを始めたりして、相手の心をかたくなに閉じさせてしまったり、気に入った人のみかわいがって依存心を育てたりするのだ。

 挙げ句の果てには目の前で起こっている現実に耐えられず、自分の説明能力、コミュニケーション能力、ヒアリング能力の低さを顧みず、それらを高めようという努力すら放棄し、(施設にいるような人は)ろくなもんじゃないから自業自得だ、と自己責任論で逃げ切ろうとし始める。

 施設内を見たからこそ、施設にいるような人(子供含)は、虚言癖だ、人格破綻だ、頭が悪い、言い訳ばかりする、などと偏見を持ってしまう人たちすらいる。なので、そのような方たちの独善的な正義感でひっかきまわされたら迷惑なので、ボランティアを拒否して受け付けない施設もあるほどだ。

 

 だけど、精神医療や児童福祉、障害者福祉の分野ではそういう対処の難しい人たちに対してでも、我慢強く、粘り強く、適切な距離感で対処している職員たちがいる。

 病院や福祉施設は、色んな背景や心理、精神、発達に問題がある人が入所して来るわけだから、一般的な生活ができる人ほど色んなことが器用にできないし、もし虚言癖や人格破綻があるなら、そのケアの意味も含めて病院や施設に入っているわけだから、そこのスタッフやボランティアが「あの人は虚言癖だよね、サイテー。」「あの人は人格破綻だから関わりたくないんだよね。」なんて言ってたら、仕事にならないし、そんな考えの人が働いていたら大問題なわけです。だって、そういう人達のケアや治療をする施設なわけですから、少なくとも建前上はね。

 虚言癖や人格破綻や無知は自己責任だから攻撃しても良いという理屈がまかり通るなら、最悪、相模原障害者施設殺傷事件のように、精神疾患の患者は殺されても仕方ないというところまで過激化する可能性だってあるわけです。

 虚言癖や人格破綻や無知は、治療や教育でケアするべきだ、馬鹿にするべきではない、攻撃するべきではない、という考え方が広まらない限りは、そういった人達が生きにくさを感じ、苦しみ、社会を恨んで犯罪を起こす確率は高まるわけです。要するに、こういった症状の出ている人達になら攻撃を加えてもいい、何を言ってもいいと思っている人達は社会を恨む手助けをした共犯者ということです。

 

 各分野の福祉施設で高い志や強い信念を持って、悩みながらも忍耐強く現実(=入所者)に向き合っている職員さん達を見ているからこそ、なおさら、自分たちは社会的弱者のために何もしないくせに、そのような状況に陥っている人たちを見つけたら嬉々としてののしる人たちは、私は「人としての誇りがない人」だと評価します。こういう方々は物の分からない人達を「お前はバカだなー」とののしって楽しんでいるようにしか見えません。自分より下の人間がいて、そんなにうれしいですか?という風にしか見えません。

 自分の理解できないこと、手におえないことは、全て相手が悪いと思い込んだほうが自分が楽ですからね。人間は弱い生き物ですから楽な道に逃げたいものです。

 

 たまたま、自分が物を知らなくて悲しい思いをしたこと、自分が愚かであったことをさらけだして、次の犠牲者を出さないように人身御供になっている子に対してよくもまあ、バカ女だのアホだのくるくるパーだの言えますね?子供の頃に、人に向かってバカだといった人がバカだと教わりませんでしたか?しかも、丁寧な言葉を使って人を馬鹿にするズルい人たちもいて「売春婦」という言葉をののしる言葉として使っている人は、性を売る商売をしている人たちのこともさげすんでいるとにご自分でお気づきですか?そのご自分の差別と偏見にお気づきなのでしょうか?

 

 そもそも社会を構成する一員なら、物を知らなくて困っている人がいたら、助けなければ、教えてあげなければ、と思わないのですか?きっとこの子は、このままでは苦労するから、色々教えてあげなければ…と憐憫の気持ちになりませんか?

 

 少なくとも、私自身は若い頃にそのような考えを持つ大人たちに見つけてもらい、根気強く育ててもらいました。そして、今ではそういった大人達だけでなく、社会全体に感謝し、何かお返しをしたいと思う人間になりました。

(お返しできているかどうかは別の話よ。)

 

 たまたま、さげすまれずに済む能力(判断力・思考力)を持って生まれてきて、たまたまさげすまれずに済む教育を受けられる環境に生れ落ちて幸運でしたね。だからといって、能力の低い人/教育の低いをさげすんでいいということにはなりませんよ。

 一歩譲って、心の中で差別しさげすむ内心の自由には目をつむるにしても、その「侮辱」を言葉にして表明し、しかも相手にぶつける理由はなんですか?相手が傷つくということに少しも配慮しないのですか?

 それだったら、私も私の内心の自由で、こうった人たちは「良心のない人」「人としての誇りのない人」と評価し、表明します。侮辱も見下げることもしませんが、怖いので関わり合いになりたくないと思いますし、態度を改めてほしいと表明します。

 

 北風と太陽の物語をご存知でしょう?愚かな人間を馬鹿にすれば世を恨んで反社会的な行動を起こさせるだけですが、愚かな人間を忍耐強く育てれば、少なくとも世を恨んで犯罪を起こす人は減る可能性が高まります。あなたは、大人として、どちらの行動を選びますか?

 批判や非難しかしない人、人様の無知/勘違い/失敗を指摘しバカにして回るタイプの人達は、ご自身も何かしら生い立ちや人間関係に問題があって、そのような習性を身に着けたのかもしれないし、病院に行ってないだけで、何かしらの障害の傾向がある人かもしれない。

 だから、強くは言いたくない。けど、その振る舞いは周囲からの己の評価を低くするだけでなく、周囲に「人の事をとやかく言って喜ぶ人種」を引き寄せます。そして、自ら、自分の立場や環境を悪い方向に向かわせるだけです。

 人を批判したり、非難したり、さげすむのは、およしなさい。だれのためにもなりません。自分の気が済むからやりたいというのであれば、密室で気心の知れた人と話してください。それでもどうしても負の感情を表明せずにいられないのなら、せめて、個人(の記事やサイトを)攻撃するのでなく、こういう行動をとる種族が苦手だという程度にし、個人を特定せず、お茶を濁してください。私自身が心身の状態の悪い時に内心の怒りを、怒りに任せて書いて、何も伝わらなかった上に、その一面を見て、私を嫌いなり、何かにつけて攻撃を加えてきた人たちがいたので余計に忠告です。

 リアル社会は感情的になってやりあっても、誤解を解く機会が別にあったりして、のちに握手ということもありえますが、ネット社会は匿名ですからそれができない。だから、できるだけ感情的にならず、冷静に物事を判断できるに越したことはないというのが、私の感覚です。でも、嫌なことを書いてる人を見ると感情的になるんだけどね。

 

 H氏の件を思い出してほしい。「個人攻撃は人を追い詰める」ということを皆が忘れてしまったなら、H氏も報われないでしょう。

 

 ネットの一部には、互いに足を引っ張り合って、みんなで地獄に落ちたいの?と思えるくらい人の足を引っ張るコメントばかりする人たちがいる。下からは押し上げ、上からは引っ張り上げて、みんなで協力して助け合えば、社会全体の底上げができるだろうに…と思う時がある。

 

ちなみに

あるブコメでウィキペディアのこのページが紹介されていた。

ja.wikipedia.org

 

このページには

肉体関係は必須ではない

と書かれてしまっている。「ウィキペディアはネットの百科事典なので、正しい情報」と思っている人たちもいるので、このような言葉をうっかりした若者が信じてしまっても、おかしくはない。

 

はぁ(*´ο`*)=3

 

今日は腹が立っても、怒りを抑えて、

怒った口調で書かなかったよー

よくがんばった!あたし!

(*′∇`*)

 

あせて読んでほしい記事

 

天皇制についてネットで盛り上がっているので743

 元号が、平成から令和に変わったということで、世の中は大騒ぎみたいですけど、テレビも見なければ、新聞も読んでないほど、個人的なことに忙しくしている現在の私は、あんまり実感がないんですよね。

 商売をなさっている方々には、よいチャンスのようで、セールなども多く開催されているようで、私たち庶民にとっては楽しい限りですね。

 

 今、GAO!で「終戦のエンペラー」が無料配信されていて、なかなか面白いです。天皇制についてネットも少し盛り上がっているようなので、こういった視点も持ってみるとよいかもしれませんね。

 

gyao.yahoo.co.jp

 

 私自身は韓国人の方々と仲良くしていた時期もあり、彼らの「日本の戦争責任についての追及」に返答をするために、わりと真面目に戦争責任について考えた時期がありました。祖父は軍人、父も子供の頃、動員みたいなことで軍需産業に携わっていたみたいですし、戦争についての話は割と関心があってね。

 

 彼らが納得する説明をできるかどうかは置いておいても、「日本の戦争責任」については、対外的に自分の見解をきちんと(できれば英語でも)に話せるようにまとめておいたほうが良いとは思います。ので、いろんな視点の戦争に関する文献や、映画を見るのをおすすめしておきます。

 

今日の気になる記事743

twitter.com

 

 ツイッターのアカウントは持ってないし、使い方も分からないのですが、この風刺画に以下のように国名を入れた人がいたみたいで、興味深いのでお知らせ。私は以下の絵をみて「うふふ」と笑ってしまいました。

 

 ある人には国際関係がこのように見えているのだなぁと非常に興味深かったです。あなたなら、これらの立場をどの国に置き換えますか?

 

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まあ、ムキになって怒ったり、感情的になって私のコメント欄に暴言を入れたりしないでね。何事も、冷静に考えられるメンタルをきたえていきましょう。

 

我が家のホームパーティーのお料理743

 最近は、がんの手術も控えているということで、栄養管理や運動を強化しています。すると、自宅でホームパーティーを開ける程度の体力が戻ってきたので、5~6人の来客に対応したホームパーティくらいなら開催できるようになってきました。

 

 なんといっても、友人たちに自宅で手料理を振舞うのが大好きなので、ホームパーティーをするのが楽しくてしょうがない。ふだんから、友達が家に遊びにくれば、何かしらの食事は振舞うのだけど、普段の食事と変わらないものを出すので、やはり「ご飯」って感じになりがちなんですよねー。

 

 でも、パーティーは、普段より高価な食材で華やかな料理を作るよーって、張り切って作るので、めっちゃ楽しい。

 

 今回のパーティーは、完全に段取りを間違がえて、開始時間にテーブルセッティングが間に合わなかったどころか、料理すら間に合わないというひどい状態で始まりました。4番目の写真の左端にカラのカップが映り込んでいます。用意が全く間に合わなかった証拠です(^_^;)

 

 盛り付けも、ずっと飲食業勤務だった私としては、まったく納得がいかない感じになってしまったのですが、なにせホームパーティーですから、基準がゆるくて、こんな雑な盛り付けでも喜んでもらえました。

 

 でも、次からは完璧な盛り付けとテーブルセッティングにしたいので猛反省中です。そして、反省するだけではすぐに忘れてしまうので、次のパーティーのためのタイムスケジュールを頭の中で練りつつ、ノートにまとめているところです。

 

 次はもっといいパーティーにするぞー!

 

 ということで、お料理の一部をご紹介。これら以外にも大皿料理やデザートを作ったけど、普通の大皿料理で見栄えがしないので写真は撮ってません。

 

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 カクテルサラダです。いつもシーザードレッシングとイタリアンドレッシング添えて出してます。

 

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 こちらはカプレーゼサラダです。トマトとモッツァレラチーズ、バジルを重ねてバジルソースをかけてます。

 

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 こちらはチーズ盛り合わせ。今回は、カマンベール、パルミジャーノレッジャーノ、アジア―ゴ、ミモレット、ゴーダ(短期熟成)、スモークチーズを選びました。

 

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 カップ寿司です。お寿司は大皿に作って取り分けてもらうのが一般的なのかもしれませんが、取り皿が増えるがあまり好きじゃなくて、最近は何でもカップ料理にするようになってきました。

 そのほうが、取り分ける係も必要なくなるのでいいかなー?と思ってね。

 

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 こちらはレアチーズのカップケーキ。下のレアチーズケーキは全く同じものなんだけど、上のフルーツソースとフルーツを変えるだけで、彩がきれいになるのでお勧めです。

 

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 あとのお料理は枝豆、フレンチフライ、からあげ、コテージパイ、明太子スパゲティ、サーモンとアボカドのわさび醤油和えを大皿盛りにしました。

 デザートは、バナナと紅茶のパウンドケーキ、大人むけにほろ苦で洋酒を使った昔ながらの固い焼きプリン、マスカルポーネとカルーアでやはり大人風味に仕上げたティラミスも作りました。上の写真の左端にちらっとプリンが映ってますね。ちなみにデザートの一番人気は、ティラミスでした。

 

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 こちらがティラミスとパウンドですが、ティラミスはお皿の内側やふちについたココアパウダーをふき取るの忘れてる…さすが、うっかりやさんの私。

 

 参加者は6人でしたが、家庭菜園で収穫した野菜を持ってきてくれた人、めずらしい「さくらワイン」を持ってきてくれた人、花束を持ってきてくれた人と、気を使ってくれた人たちが何人かいて、本当にうれしかったです。

 ちなみにチーズの周りに置いてあるのが、いただいた花束です。せっかくいただいのたので、みんなに愛でていただこうと、テーブルの上に飾りました。

 

 次回は完璧なテーブルセッティングと盛り付けを目指します!

 

 私は人生は「苦しい」という初期設定だと思っている人間で、できるだけ、自分で楽しいことを作っていかないと、人生は苦しく、つまんないままだと感じてしまうほうです。ですから、とにかく楽しいことを作るようにしています。なんていうか、デフォルトの考え方が不幸設定なのって、いいんだか悪いんだか?って感じですよねー。

 

以上、我が家のホームパーティーのお料理でした。

 

甲状腺を半分切除することになりました。

 しばらく前に、甲状腺に悪性腫瘍が見つかったと書きました。甲状腺の腫瘍は、悪性であっても比較的に安全な場合もあると、別分野の医者である友人から聞いていたので、あまり深刻に考えていませんでした。ですが、現在通っている甲状腺専門病院の専門医の話だと、私の悪性腫瘍は小さくても切ったほうが良いよう思える悪性腫瘍なのだそう。

 で、7月の手術を控えているのですが、やはり甲状腺の半分を失うというのは怖いですね。だって、テレビや雑誌などのライトな健康情報でさえも、今どきは「自律神経」「自律神経」と大騒ぎなのに、その自律神経を司る器官を半分失うわけですから、後遺症がわりと気になってます。

 私が病院先生に聞いた話は、半分切除でも、一生甲状腺ホルモン剤の投与が必要になる人が一定数いると聞いたような気がするのですが、ネットで調べると甲状腺片葉切除だと、ホルモン剤投与が必要になる人は少ないとのこと。私はどっちになるんでしょうね。

 

 ホルモン剤投与が必要か、必要でないかも、一生のことでしょうから重要は重要ですが、何よりも甲状腺を半分失うことで、その後の体調にどう影響するかが怖くてしょうがない。

 

 お金を稼げなくなったらどうすんだよ?という不安しかないですね。夫が、私を養えるとは思えないし、私自身としても自分で自分を養えないのはいやだ。とか、色々考えちゃう。まあ、今までだって、医者がとめても這ってでも働きに出たりしてたので、これからもそうでありたいと思うが、そんな精神論すら通用しないほどに体力がなくなり、体調が悪くなったら…と思うと怖い。

 なんと言っても、18歳で全ての親族と縁を切ったので、何の後ろ盾もなく、一人で生きていかねばならなかった身です。「自分を守ってくれるのはお金しかない!資産を築かねば!」と、お金の心配ばかりしてきた人生でした。その後、親族から被害を受けることはあっても助けてもらえることは、ほとんどありませんでしたから、縁を切って正解だったんですけどね。

 元々体も丈夫ではなかったし、年を取ってきたしで、もういい加減にお金の心配をすることには疲れてきました。

 はてなをみるようになって、いざとなったら生活保護!と、生活保護受給に対する自分の中でのハードルは下がったけど、なんといっても人様が汗水たらして働いた税金なので、できるだけそこには頼りたくない。貯金だって、1000万あろうが、2000万あろうが、一年200万で暮らしたとして5~10年しかもたない。どうする!?あたし!?とは思うが、もういざとなったら別の病気で病死できるだろうと、気楽に考えようと思う。

 

 つらつら書いてると、私は生涯にわたる経済的な問題についてばかり心配していて、がんについては大して気にしてないことに気づいちゃった。まあ、死ねば経済的問題から逃れられるから、死ぬのは問題ないと思える程度には生きることに執着がないし、生きるのが苦しくてたまらない人です。

 ただ、肉体的に苦しいのと痛いのは嫌ですね。人生で何度か長時間に及ぶ激痛を体験しましたから、あれほどの痛みが続くなら死なせてくれとは思います。がん患者も最後のほうはすごく苦しむから、早く死なせてくれとは思いそうだな…

 それに、あれは見てるほうが辛いから、私が癌で確実に死ぬって分かったら、夫とは籍を抜いて、弱ってるとこ、苦しんでるとこを見せないようにしたいとか思っちゃいますね。そんなことを考えてるって、夫にばれたら「この偏屈が!」って、また怒られるので、言わないけどね。

 

 はーあ。生きるのだりぃー

 

 人生はままならないねー。

 

おわり

 

新規入会者5,000円プレゼント

見てね!

 親しい友人が関係しているドキュメンタリーで、なかなか好評のようです。私は路面電車の車掌をしていたこともあり、何か面白いエピソードを知らないか?と企画段階で聞かれたのですが、良いエピソードは思いつかず力にはなれませんでした。

 

 一回目のシリーズ放映が好評で再放送もしているそうですが、4月30日(火)に短編を50分にまとめた番組が放映されるそうなのでBSの設備のある方は是非御覧ください。

 

 ちなみに、私の家では見られません(T_T)

孤独について思うこと

 

 先日、50代の男性の友人と「孤独」について話した。私が彼に孤独を感じないかと聞くと、彼は仕事人間でわりと仕事の仲間に恵まれているので、あまり孤独を感じないと答えてくれた。

 だけど、私の孤独はそのたぐいの孤独ではないと、彼の返答を聞いて思った。私も、たぶん人間関係にはかなり恵まれているほうだと思う。苦しいことや悲しいことがあったら、すぐに相談できる友人は、それなりの数いるし、数十年来の友人たちは学生時代や職場で助け合った仲間なので、私がどういう人間か非常に良く把握してくれていて、非常に的確なアドバイスをくれる。

 私の心身とも状態が悪く働けなくなり、このまま働くことができず、貯金が尽きたら住む所は?生活費は?…と不安がっていた時期があった。その時に、職を与えようとしてくれた人、実家を一部屋私に開放しようとしてくれた人、経営するマンションの一室を貸してくれようとした人、現金を数万円ほど見舞金として置いていってくれた人、お金を振り込むから銀行口座を教えろと言ってくれた人、しばらくうちに来なよと居候をさせてくれた人、そんな人達が複数人いた。

 いくつかの申し出は(甘えたくないと)断り、いくつかの申し出には甘えた。このような点をとってみても、私は本当に友人知人には恵まれてきたし、新しく知り合った人たちも関わりのある時期は比較的に優しくしてくれるというか、かまってはくれるので幸せな方だと思う。

 まあ、私が「あなたのことが気に入ったからかまってよー。」と積極的に誘うからではあるんだけど、にしても中年のKKOと新しく知り合って遊んでくれる人たちがいるのは本当にありがたい。特に若い人たちは男女を問わず、中年のおばちゃんと遊んでくれるので、めちゃ優しいと思ってる。

 

 だから、私の孤独はかまってくれる人がいないという寂しさではないし、理解者がいないという寂しさでもないのよね。かまってくれる人や理解者はむしろ多いほうだと思う。だのに、なぜ、一人で部屋にこもって泣いてしまうのだろう…と思う。私は贅沢者なのだろうか?と。

 

 そんなようなことを上記の友人と話していて、理由もなく涙が出ることってない?と聞いてみた。自分でも何故かわからないけど一番近い言葉を見つけるとしたなら、「孤独」という言葉が近いかもしれない、と。

 すると、その友人は「俺は理由もないのに泣くことはないけど、理由もなく腹が立つことはあるよ。もしかしたら、泣くか怒るかだけの違いで、感じていることは一緒なのかもね。」みたいなことを教えてくれた。私は「あー、いるいる、悲しみを怒りで表現する人。男性に多い気がする。昔、ボーイフレンドにそういうタイプの人がいたわ。」と、妙に納得してしまった。

 

 なんというか、「孤独」という言葉が違うなら「もやもや」とでもいうのだろうか?涙や怒りを併発してしまうほどの強い「もやもや」。そういうものを感じた時は、いつもオアシスを聞いてしまう。ギャラガー兄弟は私にとっては「こっち側」の人たちなの。それも上手く言えないけど、同じものを持っているというか、同じ感じ方を持っているというか、表現手法や行動パターンが違うだけで、同じ行動原理で動いているのではないかと感じることがある。特に歌詞を聞くと余計にね。

 ああ、あとイーグルスの「デスペラード」の歌詞も、ああ「こっち側の人だ」と思わされる何かを感じる。これも上手く言えないけど、変なエネルギーを出す人って、根底に「渇望」みたいなものがあって、それを持っている人を、私は「こっち側の人」と認識するのかもしれない。

 でも、きっと、そんなものはないほうがいいのだと思う。人生はできるだけシンプルなほうがいい。学校に行って色んな人に出会って、シンプルに色んなものを切り捨てられる人たちのほうが、わざわざ人生を複雑にして、余計な感情や考えをズルズルと引きずりなから生きる人間より、はるかに賢明に見えた。

 でもシンプルな人たちには絶対にコンプリケイテッドな人たちの思いや考えは分からないわけだから、ないものねだりだし、隣の芝生は青いってことなのかもしれないけど、と思えたりもしてね。

 

 そして、何も分からない夫が暗い顔をしている私を励まそうとして、私に「ほおっておいて。」と排除されて、とぼとぼと自室に帰る。彼は私を助けたいと思ってくれるのだろうが、彼は「向こう側の人」なので、絶対に私の抱えているものを理解できない。

 私としては、むしろ同居する人だからこそ、私のことを全く理解できない人であってほしいので、非常に都合が良い。あまりにも、波長が合う人と同居したり、恋愛したりするのは自分を見透かされてしまいそうで、正直怖い。だから、物理的に近い人は私のことなんか何も分からない人であってほしい。

 夫も、昔は私と分かり合いたい、通じ合いたいと思い、私がひとりで自分の心の中に閉じこもっている時に、干渉してきたこともあった。けど、干渉すればするほど私の態度が硬化すると気づき、そっとしておいてくれるようになった。これもまた、ひとつの信頼関係の作り方だ。人が人を救えるわけがないのだから、放置でいいのだよ。

 どうしても助けあえる関係を作りたいなら別の女性と結婚したほうがいい、と忠告しても、私と一緒にいたがるのだから、彼も大概、変わり者だ。全てについて、これでいいのだろうか?と思えてしまう時がある。

 まあ、もういいさ、長くてもあと10年くらいしか生きないだろうから、そこまでに出来ることをやって死ぬだけさ。と、結局、早めに死ねることを願う、学習能力のない私なのよね。

 

◆追記◆

 ある方からこのようなコメントをいただきました。人生経験の豊富な方は表現力も豊かで的を射ていて興味深いです。

私は「渇望」というより「欠落」という感じがします。自分の中に埋めることの出来ない「穴」があいていて、その穴が寂しさの源泉みたいな・・・。一言で言えば、幼児体験、かな。

 

このコメントに対して私はこのような感想を持ちました。

「穴」という表現が非常に的確に思える。穴から寂しさが湧き出るというよりも、穴の空いた柄杓でいくら水をすくっても底の穴からこぼれて、いつまでたっても柄杓は満たされないままという感じが一番近い気がします。 

 

プライム・ビデオで「硝子の葦」を見始めました。

www.amazon.co.jp

 

 私はリアリティのある映画やドラマが好きです。ですが、何にリアリティを感じるかというのは、その人の生い立ちや体験に大きく依存すると、ずいぶん大人になって気がつきました。

 例えば、昭和の同じ時代を描いた作品で「三丁目の夕日」にリアリティを感じるか、「血と骨」にリアリティを感じるかということです。おそらく、中流の比較的にめぐまれた環境で育った人は「三丁目の夕日」にリアリティを感じるでしょうし、私のような幼少期や青春時代をすごした人間は「血と骨」に圧倒的なリアリティを感じるということです。

 硝子の葦を映像でみていると、虐待やDVの状況に関しては「ああ、あるある。」と思うことばかり。私自身もこのような体験をしたし、周囲で心が荒んでいる人、やさぐれている人は幼少期や思春期に似たような体験をしてますね。

 このドラマを見て、よくあることと思う人と、こんな世界があるなんて信じられないと思う人に分かれることでしょう。それは生きてきた世界が違うという、ただそれだけのことで、どちらの苦しみや悲しみが大きい小さいということではありません。

 私は幸せな家庭がどんなものか知らないし、中流以上の家庭の生活ぶりがどんなものなのかしらない。だけど、彼らが「幸せだ」という証言を嘘だと思わないし、彼らの「お金はあるが幸福ではない」という証言も嘘だとは思わない。ただ、「いや、そうは言っても金はあったほうがいいよ。」とは思うけどね。

 それと同様に、私たちが体験したDV、虐待、貧困について、言葉が足りないからといって、虚偽の証言だ、作り話だなどと言わないでほしい。そのようなことを言われると、自分が生きてきた人生そのものを否定された気持ちになって、耐えられないくらいに悲しい。私の生きた人生は、あってはならない人生だったのだろうか、否定されて当然の人生だったのだろうかと思うと情けなく、苦しい。

 親の家に無料で住み、親の家の冷蔵庫の食料を勝手に食べていいような生活をしてきた人たちには、明日住む家、明日食べるものの心配をする生活は分からなくて当然だ。だけど、私の人生を否定しないでくれ。それは、あまりにも残酷だ。それは、私に「死ね」と言っているも同然なのだ。

 

 

■プライム・ビデオに登録すれば無料で「硝子の葦」を見ることができます。

 なお、1ヶ月間の無料体験期間はアマゾン・プライムで配信される全ての映像を無料でみることができます。

 

年上の女性が私にプレゼントしてくれた曲

 はてなの女性陣の文章を見ると、ああ、やっぱり女の私にとっては女性の書く記事やコメントのほうが心に響くなぁとしみじみしてしまうことがあります。

 物理的に距離が離れてしまって、なかなかお話ができていない10歳だか20歳だか年上の、割と尊敬している女性の友達がいるのですが、シャーリーンの「愛はかげろうのように」という曲を聞くと、いつも彼女のことを思い出してしまいます。

 

 彼女は、ある飲食店の経営側にいて、正確には彼女のパートナーである男性と飲食店の経営をしているという状況でした。彼女も、彼女のパートナーも老年に入り始めていて、特にパートナーの男性は沢山お酒を飲む人だったので体を心配していたのですが、やはり60代後半にして、彼女を置いて、さっさと死んでしまいました。

 彼らは「婚姻」をしていなかったにもかかわらず、数十年に渡ってパートナーシップを続けていて、私はそういったタイプの関係性を結構な数、見てきたので、余計に婚姻の必要性を感じず、独身主義を貫いていたわけですが、今回はそのことを書きたいわけではないので省略。

 

 彼女と知り合ったきっかけは、彼女の経営する飲食店に私が通い始めたことでした。彼女は私が酒を飲んではしゃいだり、店内で男性といちゃついている姿を見て、最初は軽薄な女だと思っていたのかもしれません。

 最初は、私と彼女がおしゃべりをしている時に、なじみでないお客さんが「ふたりは友達なの?」と聞いてきて、彼女が「友達じゃないよ。(お客さんだよ)」と返答をする程度の仲だったんだけど、だんだん色々と話をするようになって、最終的には「二人は友達なの?」と聞かれたら「友達だよ。」と即答してくれる仲になることができました。

 私は彼女のことが大好きだったので、「(まだ)友達じゃない。」と目の前で言われたことは割とショックでしたし、当たり前のように公に「友達だよ。」と言ってくれるようになった時は飛び上がるほど嬉しかったです。だって彼女は本当に人気者で、私ごときに時間をさいてほしいなんて、なかなか言い出しにくいほどに素敵な女性だったから。

 

 それでね、ある時、私が暗い顔をして、彼女のお店のカウンターに座っていて、彼女が「なにかあったの?」って聞いてくれたんだけど、私は上手く自分の気持を話せる気がしなくて、「ああ、うん…」みたいな、生返事をして、また肘をついて暗い顔をしたんだと思う。

 そうすると、彼女がシャーリーンの「愛はかげろうのように」をかけてくれて、なんか、彼女のそういう心配りに泣きそうになったのを覚えてる。なんていうか「テルマ・アンド・ルイーズ」の映画じゃないけど、女同士の無言の助け合いというか、かばい合いっていうのもいいもんだなって。

 

 「愛はかげろうのように」は少し過激な言葉を使う歌詞で、youtubeなんかの和訳を見ると、かなりマイルドに意訳してあります。ですが、私はもう少し英語の歌詞に近い日本語訳のほうがしっくりきます。多少、強い言葉が使われるからこそ、この歌詞の意味が相手に伝わるような気がしてね。

 女性の方たちは、同じ女性にこの歌を贈られれたらどう思うんだろうって、少し気になったりもします。

 

music.lalamiamor.net