女だから言えること

中高年のおばちゃんの脳内を日記がてら綴っております。

自立とはどれだけ多くの人に心を開けるか?ということなのかもしれない

 私は、小さいころから親にご飯も食べさせてもらわなかったし、父親の暴力から逃れるために、神社や公園で一人で寝なきゃいけなくなったこともありました。最終的には親の奴隷にされることを恐れて、色んな人の助けを借りて、大学進学という形で家を逃げ出しました。そして、親と縁を切りました。

 今となっては、この「進学」こそが父親への復讐となり、父親はその直後、包丁で自分の喉を突くという抗議行動にでました。その連絡が入った時、私だって血の通った人間ですから少しは心が痛みました。ですが、自分が生き残ることで精一杯だった私は、「私は生きるんだ。まともな人生を手に入れるんだ!溺れ死にすることが分かっている人(父親)に手を差しのべる余裕なんか、私にはない!」と、振りきりました。それが18歳の時。

 その頃に、(心理的に)助けてくれたのは1番が学校の先生、2番目が友達。少しばかりのお金を出してくれたので、(離別した)母親も入れておこう。ただし、母親には、心理的には足を引っ張られていて、距離を取らざるを得なくなったので、プラスマイナスゼロの愛着しかないとも書いておく。なので、葬式の時もほぼ悲しくなかった。関わりのない人間に愛着がわくはずもない。

 人間は結局、血がつながっていようがいまいが、自分の気持ちに寄り添ってくれた人に愛着を持つものなのだと、自分自身の体験から感じている。だからこそ、自分の気持に寄り添ってくれない血縁なんぞとは、とっとと縁を切って、自分を大切にしてくれる他人と深い絆を作れ仲間を作れと、知人達には言うが、強い人間関係を作るには時間がかかるし、共依存の人らにはとどくはずもない…。まあ、むつかしいよね。

 

 私は、親族全員と18歳で縁を切らざるを得なかったので、頼るとしたら、他人しかいなかったんですよね。それで、助けてくれたのは、後々友人として数十年の付き合いとなる会社の社長/上司/同僚/後輩、学友達、バーの遊び仲間達だったの。

 夜通し、話を聞いてくれたり、うつで上手く働けなくなった私に「ウチで(正社員として)働く?」とか声をかけてくれたりしてね。本当にありがたいことばかり。私の都合で辞めたのに、私の生活を心配して、また呼び戻そうとしてくれたり、イベントに出店するからとか、自社パーティーの給仕の人間が足りないから時給1000円で手伝ってくれない?とか、単発のバイトに呼んでくれたりもしました。

 実際に、呼び戻してくれた会社もあり、2回、出戻りした会社もあります。社長のご厚意だけでなく、元同僚が「高円寺さんは身寄りがないから、働けないと生活が出来なくて困っているはず。再雇用してあげてくたさい!」と、懇願してくれて実現した話だと、のちのち知りました。

 

 大怪我をして、大きな手術を受ける時に、血縁には誰も頼れる人がいないのに、家族に術前説明をしないと手術はできないと言われてしまった。体が弱っている時でさえも、親族のことで煩わしい思いをしなければならないのかと、心底悲しかった。正直、病院のベッドで一人で泣きました。「私には家族も、血縁もいないから、手術すらさせてもらえないのか?」と。 

 「どうしても親や親族じゃないとだめですか?友人じゃだめですか?」たずねてみたけど、親族じゃないとだめって言われちゃいまいした。「親は何をしてるんだ!」「家族は何をしてるんだ!」 医師は私に怒りました。(どう考えても、大怪我をして弱っている患者に言う言葉じゃないですよね。この医師はとても、無神経で世間知らずな人だったんだろうな、と、その時は思っていました。)

  私は、 「父親はもう死んでますし、母親は生きてはいますが、連絡をとっていません。自分が大怪我をしているのに、母親のメンタルの面倒までみれないんです!」と 涙ぐみながら言いました。

 その医師は、家族に恵まれた人だったのでしょう。私の言っている意味を理解していないようで、不服そうでした。私が涙ぐんでいるのを見て「え!?なんで!??」みたいな驚いた表情もしていました。世の中には絶縁している家族だっているのに、なぜ、病院は「家族」でないとダメだというのか、家族がいない人間は死ねというのか、手術も受けるなというのか、と、悔しくて悔しくてたまらなかった。

 若い頃に、(若い女である私が)一人で何かをしようとすると(特に病院や公的機関は)「親は何をしてるの?」「家族は何をしてるの?」と怒られた。君みたいな物を知らない子供に説明するは面倒くさいから、大人を連れて来いという意味だったのかもしれないし、「で?費用はどうすんの?」という意味だったのかもしれない。

 もしかしたら彼らは善意で言っていたのかもしれないと、大人になったら考えるようにもなった。私に怒っていたわけではなく、私が大怪我をしているのに見舞いにすら来ない家族に怒っていたのかもと、大人になれば想像も及ぶ。

 だけど、その時の私はまだ若く、そこまでの想像力はなかった。それに、神経麻痺という大怪我で車椅子の状態で「治らないかもしれない」と言われ、働けなくなったら生活ができないとパニック状態だったのよね。身体障害者向けの求人って、どうやって探すんだ?とか、もう不安しかなかったの。

 それに、子供や若い子は物が分からない、親なら(長く生きている分)物が分かるはず、と思える種類の人達は幸せな人達だと思う。私の父は統合失調症て物がわからなくなっていたし、母は(地域の人達に守られて特に困ってもいなかったし、病院に行ってもないし、当時は発達障害の概念がなかったしで)障害名はついていなかったが、おそらく学習障害だと推測され、簡単な契約書すら読むことがてきなかった。まず、難しい漢字が読めないし、文章の意味を読み取ることも出来ないので、母の引っ越しや病院の手続き等は私か叔父が出向いていって代わりに書類を読み、母に内容を噛み砕いて説明する必要があった。うちは、親が生きていたとしても頼れる人間じゃなかった。

 

 とは言え、「手術」つまりは、命に関わる同意書にサインさせるわけだから、親族じゃない人間がサインしても意味ないだろ?という医師(=病院)側の言い分も分かる。親族からのクレームを恐れてサインさせるわけなんだろうから。だとしても、私には身寄りがないのだから、私の手術が失敗してもクレームを言う人なんていませんがなと思ったりもしてました。

 

 何にしても、手術しないと治らないわけだから、元勤めてい会社の女社長に電話して、 「あなたしか、頼れる人がいない。」と、術前説明を私と一緒に聞いてくれるようお願いしました。寝る時間を捻出するのも大変なくらいに忙しい人なのに、私の術前説明を聞くためだけに、わざわざ遠方から車でかけつけて来てくれました。

 そして、「この人は家族同然の人なので、この人で勘弁してください。」とお願いして、何とかしました。

 

 私は「人に頼るのが上手。」だった、と、今となっては思います。

 

 人が人に「100の迷惑」をかけないと生きていけないのだとしたら、 私は、60+18+9+5+3+2+1+1+1=100 みたいな感じで、複数の人に「迷惑」を分散して生きていたのだと思います。それでも迷惑は迷惑なんでしょうが、私に頼れる人がいないことを知って、ほおっておけるほど、人間って冷たくないんでしょうね。

 

 そして、結婚すれば幸せになれると思っていなかったことも 大きかったかも。男性との結婚で幸せになれると思いたかった時期もあったのかもしれないけど、そうじゃないんだろなーと、なんとなく思ってたんでしょうね。

 

 ささやかな恩返しとして、私は過去に助けてくれた人たちの話を全力で聞きます。 どんなことでも、丁寧に聞きます。それくらいのことしかできないけど。 それで、みんなホッとしてくれるから、それでいいのかな?と 思っていたりします。お金がないんでねー。それくらいしかできない(笑)

 

 ただ、一番うまくいかないやり方は、1人の人に100%頼ろうとすること。 これを、やろうとするのは自由だけど、 親子でも夫婦でも、友達でも恋人でも、100%頼られた側は逃げ出すか、つぶれると思う。

 特に、恋愛や結婚をした時に、人は相手に対して過剰な期待を抱きやすいので要注意。相手も人間なので「100%、自分の都合のいいように動いてくれ。」と望まれたところで、出来るわけがないのだから。

 人様に、そんな無謀な要求を、何の躊躇もなく出来るってことは、よほど、親に何でもしてもらえたか、よほど親に何もしてもらえなかったか、の、どちらかなんだろうと思えたりもする。幼少期に不足したあれこれを大人になって取り返すのは難しいが、色んな方法をためしてみるしか道はない。

 そして、子どもたちは親の依存を拒んでください。全力で逃げてください。親に情けをかけたがために、子が死ぬ、または子が人生を棒に振る姿は本当に見ていられない。子供が大人の犠牲になるなんて、間違っている、絶対に。親からの「もらいうつ」になる人を結構な人数みかけましたし、もらいうつで自殺した子もいました。まずは、自分を守ることが先決だと思うの。

 

 人様への「迷惑」もリスク分散して、 ついでに、芸術や仕事や趣味にも心のよりどころを見つけ、人間に頼る割合を減らすのがベストなのだと思います。ほどほどにね。もしかしたら、それを、心理的な「自立」と呼ぶのかもしれません。

 

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