女だから言えること

中高年のおばさんが趣味で書いている個人の体験メモ&日記です。

どこまで便利にしても良いのだろうか?と悩むお話

 

 何度も書いているが、私はネット音痴で機械音痴なので、スマホも去年買ったくらいに必要性を感じていなかった。私は古い時代の人間だから、不便なら不便なままでも大丈夫だし、元々不便だった時代に、不便な家庭で育っているので、便利なものを利用した経験自体が少ないから、必要性を分かってないっぽいです

 実際、スマホを買ってすぐは使い方が全く分からず、たいして便利でもないと思ってしまったくらいには機械音痴。でも、あれから1年が過ぎようとしていて、少しスマホを使いこなせるようになって、「おおおおおお!こんなことができるのか!」と、分かってくると便利でしょうがない。こりゃ手放せなくなるわ…というくらいのことは思うようになりました。

 でも、若い頃や、子育てをしている人達は何よりも「時間」が大切なので、便利なのはいいことだけど、私みたいに子供もいなくて、しかも歳を取っている人間からすると、そんなに便利にしちゃったら脳が衰えそうで怖い…という気持ちがあります。

 

 たとえば、私は黒電話の時代の人間で子供のころはまだ、プッシュホンでもありませんでした。ですから電話機に番号を記憶させることなんてできなくて、連絡先の手帳に電話番号を書いておき、頻繁に掛ける人の電話番号は覚えていました。

 ワープロやパソコンが普及する前は、勉強も仕事も、論文ですらも手書きですから、難しい漢字も書けていました。ですが、やはりキーボード入力を始めると、どの漢字が正しいのかは選択できますが、ペンで書けと言われたら書けない状態になってしまいました。だから、便利さって、いいのか悪いのか分かんないんですよね。

 ついでに言うと、日本人の器用さは箸を使うからだっていう説もあるし、昔の人の足腰がしっかりしていたのは和式便所でしゃがんでいたからという説もあって、便利になればなるほど、日常での脳や体の反復訓練ができなくなっているような気もします。

 で、しばらく前に、お皿を洗ったり、洗濯ばさみで洗濯物を留めるような「握力を使う作業」の多い主婦が、週に1~2回ジムに行っている夫より血管?血液の数値?かなにかが良かったというようなテレビの健康番組をみて、やっぱり日常の細かい作業と運動って健康に関与してるんだなーって思ってしまったんですよね。

 でも10歳以上年下の夫と暮らしていると、彼は便利な生活、小奇麗な生活がデフォルトで不便で小汚い賃貸とかだとストレスを感じちゃうのを見て、生活水準の高い時代に水準の高い地域の、水準の高いおうちに生まれ育つと生活の質を落とせなくなって大変ねーって、複雑な気持ちになります。

 言い方は悪いかもしれないけど、かわいそうっていうか生きづらそうっていうか…。だって、快適な家や家具や家電を買うには、それだけ稼げなきゃいけないわけでしょ?自分に稼ぐ能力がないのに、質の高い生活に慣れてしまっていたら、色々そろわなくて、そりゃストレスだろうなーと、見てるほうがつらくなります。

 そう考えると、貧乏な家で育ったことの全てが良かったとは言えませんが、衣服も隠すところが隠せりゃもらいものでいいし、テーブルもダンボールでいいってくらいまでには、生活の質を落とせる私は、心の余裕を得やすいんだろうなって、そういう意味では幸運だなって思えたりもします。

 さてさて、生活をどこまで便利にしていくか、悩むところです。