孤独について思うこと

 

 先日、50代の男性の友人と「孤独」について話した。私が彼に孤独を感じないかと聞くと、彼は仕事人間でわりと仕事の仲間に恵まれているので、あまり孤独を感じないと答えてくれた。

 だけど、私の孤独はそのたぐいの孤独ではないと、彼の返答を聞いて思った。私も、たぶん人間関係にはかなり恵まれているほうだと思う。苦しいことや悲しいことがあったら、すぐに相談できる友人は、それなりの数いるし、数十年来の友人たちは学生時代や職場で助け合った仲間なので、私がどういう人間か非常に良く把握してくれていて、非常に的確なアドバイスをくれる。

 私の心身とも状態が悪く働けなくなり、このまま働くことができず、貯金が尽きたら住む所は?生活費は?…と不安がっていた時期があった。その時に、職を与えようとしてくれた人、実家を一部屋私に開放しようとしてくれた人、経営するマンションの一室を貸してくれようとした人、現金を数万円ほど見舞金として置いていってくれた人、お金を振り込むから銀行口座を教えろと言ってくれた人、しばらくうちに来なよと居候をさせてくれた人、そんな人達が複数人いた。

 いくつかの申し出は(甘えたくないと)断り、いくつかの申し出には甘えた。このような点をとってみても、私は本当に友人知人には恵まれてきたし、新しく知り合った人たちも関わりのある時期は比較的に優しくしてくれるというか、かまってはくれるので幸せな方だと思う。

 まあ、私が「あなたのことが気に入ったからかまってよー。」と積極的に誘うからではあるんだけど、にしても中年のKKOと新しく知り合って遊んでくれる人たちがいるのは本当にありがたい。特に若い人たちは男女を問わず、中年のおばちゃんと遊んでくれるので、めちゃ優しいと思ってる。

 

 だから、私の孤独はかまってくれる人がいないという寂しさではないし、理解者がいないという寂しさでもないのよね。かまってくれる人や理解者はむしろ多いほうだと思う。だのに、なぜ、一人で部屋にこもって泣いてしまうのだろう…と思う。私は贅沢者なのだろうか?と。

 

 そんなようなことを上記の友人と話していて、理由もなく涙が出ることってない?と聞いてみた。自分でも何故かわからないけど一番近い言葉を見つけるとしたなら、「孤独」という言葉が近いかもしれない、と。

 すると、その友人は「俺は理由もないのに泣くことはないけど、理由もなく腹が立つことはあるよ。もしかしたら、泣くか怒るかだけの違いで、感じていることは一緒なのかもね。」みたいなことを教えてくれた。私は「あー、いるいる、悲しみを怒りで表現する人。男性に多い気がする。昔、ボーイフレンドにそういうタイプの人がいたわ。」と、妙に納得してしまった。

 

 なんというか、「孤独」という言葉が違うなら「もやもや」とでもいうのだろうか?涙や怒りを併発してしまうほどの強い「もやもや」。そういうものを感じた時は、いつもオアシスを聞いてしまう。ギャラガー兄弟は私にとっては「こっち側」の人たちなの。それも上手く言えないけど、同じものを持っているというか、同じ感じ方を持っているというか、表現手法や行動パターンが違うだけで、同じ行動原理で動いているのではないかと感じることがある。特に歌詞を聞くと余計にね。

 ああ、あとイーグルスの「デスペラード」の歌詞も、ああ「こっち側の人だ」と思わされる何かを感じる。これも上手く言えないけど、変なエネルギーを出す人って、根底に「渇望」みたいなものがあって、それを持っている人を、私は「こっち側の人」と認識するのかもしれない。

 でも、きっと、そんなものはないほうがいいのだと思う。人生はできるだけシンプルなほうがいい。学校に行って色んな人に出会って、シンプルに色んなものを切り捨てられる人たちのほうが、わざわざ人生を複雑にして、余計な感情や考えをズルズルと引きずりなから生きる人間より、はるかに賢明に見えた。

 でもシンプルな人たちには絶対にコンプリケイテッドな人たちの思いや考えは分からないわけだから、ないものねだりだし、隣の芝生は青いってことなのかもしれないけど、と思えたりもしてね。

 

 そして、何も分からない夫が暗い顔をしている私を励まそうとして、私に「ほおっておいて。」と排除されて、とぼとぼと自室に帰る。彼は私を助けたいと思ってくれるのだろうが、彼は「向こう側の人」なので、絶対に私の抱えているものを理解できない。

 私としては、むしろ同居する人だからこそ、私のことを全く理解できない人であってほしいので、非常に都合が良い。あまりにも、波長が合う人と同居したり、恋愛したりするのは自分を見透かされてしまいそうで、正直怖い。だから、物理的に近い人は私のことなんか何も分からない人であってほしい。

 夫も、昔は私と分かり合いたい、通じ合いたいと思い、私がひとりで自分の心の中に閉じこもっている時に、干渉してきたこともあった。けど、干渉すればするほど私の態度が硬化すると気づき、そっとしておいてくれるようになった。これもまた、ひとつの信頼関係の作り方だ。人が人を救えるわけがないのだから、放置でいいのだよ。

 どうしても助けあえる関係を作りたいなら別の女性と結婚したほうがいい、と忠告しても、私と一緒にいたがるのだから、彼も大概、変わり者だ。全てについて、これでいいのだろうか?と思えてしまう時がある。

 まあ、もういいさ、長くてもあと10年くらいしか生きないだろうから、そこまでに出来ることをやって死ぬだけさ。と、結局、早めに死ねることを願う、学習能力のない私なのよね。