女だから言えること

日記&遺言

子供に何歳から料理をさせるか問題

 私の家は育児放棄の虐待家庭だったので、自分のことは自分でやらないと生きていけない環境でした。物心ついた頃にはすでに自分の食べる食材は自分で買いに行かなければ、食べ物が無いことも多かったですし、自分で調理をしないと誰も食事など作ってくれない環境でした。

 ですから、私は何歳かは分かりませんが、かなり小さい頃から料理をしていました。この話を友達にしたら、料理の仕方はどこで教わったの?と聞かれました。よく思い出して見ると、料理法は3分クッキングやNHKの今日の料理などの料理番組で知ったと思います。あとは、本屋での立ち読み。

 

 さらに、遠足の時のお弁当ですが、これも育児放棄なので同居している父、祖母は弁当など作ってくれません。ですから、一ヶ月に2回しか休みのない母が同僚に休みを変わってもらって、ストーカの父に見つからないように、こっそり学校に弁当を持って来てくれていました。

 ですが、母も父に見つかる危険、休みを交代してもらうことへの罪悪感から、早く遠足弁当をやめたかったのでしょう。私が小学3年生になると、「ららさんはもう3年生になったのだから、遠足の弁当は自分で作りなさい。」と3000円を渡されるようになりました。この時から、学校の遠足の弁当は自分で作るようになったのでした。ちなみに、母に兄の分の弁当も作るように言われたで、兄の分の弁当も作って渡していました。

 ここでジェンダーの話にして申し訳ないのですが、兄のほうが当然歳上なわけで、歳が上のお兄ちゃんが妹のために弁当を作ってあげなさい、という話にならなかったのは、やはり母が古いジェンダー感だったからかな?と思ったりします。

 あるいは、兄は頼りなさげな性格で、私は気が強くしっかりしていると思われやすかったことが関係しているのかもしれません。いずれにせよ、私は小学校3年生から遠足の弁当を作らなければならなくなったのです。

 

 元々、普段の食事も自分で作っていましたから、料理自体はできたのですが、遠足弁当となると少し華やかさが必要ということで、当時の私としてかなり高級に見えた、冷凍の肉団子などを買ってきて油で揚げて入れたりしていました。他には卵焼き、ウインナー、煮物などを入れていたと思います。

 

 友人たちに小学校三年生の頃には、もう自分の食事は自分で作っていた記憶があると話すと、驚かれることが多いのですが、それはいくらなんでも子供の能力をナメすぎだろ?と思ってしまいます。やらせればできますがな…と自分の体験から思ってしまうのです。(障害のある子は程度にもよるかな。)

 子供に包丁をもたせたり、火を扱わせるのは危険と思う大人もいることでしょう。ですが、大人になってから調理を始めたとしても包丁で指を切る人もいれば、油がはねてやけどをする人もいると考えると、多少の怪我をして、何をすると危険かを学ぶという点では、子供でも大人でも同じだと私は自分自身の体験から感じています。当然、私も調理を始めた子供時代には多少の怪我もあったでしょうが、それを体験することで何をどのようにすると危険なのかを学習できた気もしています。

 ガンダムの作者である富野氏が、ガンダムを書いた理由は「大人は子供をナメていると思ったから」と言っているのを見たことがあります。悪いやつとイイヤツがロボットに乗って、意味不明に戦うアニメなんて、子供を馬鹿にしてると思ったから、もっとちゃんとした子供向けアニメを作りたかったとおっしゃっていました。

 子供だからまだ分からないだろう、子供だからまだ出来ないだろうと、何もやらせないことは、子供の可能性を潰しているようにも思えます。私自身が食事は自分で食材を買いに行き自分で作らなければ食べられないということを、小学校低学年で学べたことは、良くも悪くも非常に大きな学習体験と思います。ついでに、洗濯も掃除も自分でやらないと誰もやってくれないということも無意識に学んでいたので、結果として、自分のことは自分でやらないと何も前には進まないと体験的に学習できてしまったのです。良くも悪くもね(^_^;)

 

 さて、話を元に戻しますが、ではなぜ母は「3年生=調理ができる年齢」と判断したのでしょうか?現代の親なら「3年生なんてまだ料理は無理」と判断してもおかしくありません。ですが母は3年生になったら調理くらいすべきと思っていたのです。

 これは、なんとなくですが家庭環境と時代の違いというのが理由な気がします。母の時代はわかりませんが、祖母の時代はまだ児童がでっち奉公などで労働していた時代で、子供も大人と同じ職場で働いていた時代です。ですから、祖母は子供でも十分な労働力になるということを知っていたのでしょう。それで児童が労働に駆り出されて教育がおろそかになるということで、子供が就労してはならない法律になったわけだろうから、それが良いとか悪いとかはまた別の話なんだけどね。なおかつ、祖母は教師でしたから、子供の能力・可能性についてもよく知っていたのでしょう。

 母方の祖父は、母が小さい時に亡くなったので母方は母子家庭でした。たまたま祖母が教師だったので暮らしてはゆけたようですが、戦時中は大変だったようです。何といっても母子家庭で祖母が働きに出ているわけですから、家事までなかなか手がまわりません。

 ということで、祖母は母に小さい頃から家事を教え、家の中のことは母に任せるように教育したのです。母方の兄弟は母以外は男兄弟で、母は「母さんは女だから学校が終わったらすぐに家に帰って食事の準備をしなければいけなかった。でも、男兄弟は外で遊んでいて、みんなは遊べるのに、なぜ私だけ遊べないの?と悲しかった。」と言っていました。

 母もまた、年上の兄弟がいるにもかかわらず、女だからという理由で全ての家事を押し付けられた人でした。そして、また自分の娘である私に「あなたは女の子なんだから、お兄ちゃんの分の家事・炊事もやりなさい。」と教えるのでした。環境は遺伝するというのはこういうことを言うのでしょうね。

 また、つらつらと思ったことを書いているので、脈絡がなくなっていますが、母はおそらく祖母に、「あなたはもう小学3年生になったのだから、家事・炊事はあなたがやりなさい。」と言われたのではないかと思います。だから私に対しても「小学3年生になったのだから遠足の弁当くらい自分で作りなさい。」と何の躊躇もなく言えたのだと思います。

 母に弁当を作ってもらえるというのは子供らしい甘え心としては、とても嬉しいことでしたし、もう遠足で母の弁当を食べられないというのは、とてもさみしいことで、ガッカリしたのも事実です。ですが、あんなに働きづめの母に迷惑をかけてはいけない、母の手を煩わせてはいけないという気持ちが勝ち、自分の甘えた心は押し殺しました。母が少しでも楽になるなら私が頑張らねば!と思うのが小さな子供というものです。

 それに、大人になった今、生活の基盤である調理が出来ない、あるいは面倒臭がる人をみると、私は子供の頃に「生きるためには調理をするのが当たり前」という感覚を身につけるとこができて、本当に良かったと思えます。

 小学生の頃には、すでに、野菜や加工品の底値が頭に入っていて、この豆腐は高いから買わないという程度の家計管理能力は身につけることができていたのです。

 

 樹木希林さんの娘の也哉子さんが、あるTV番組で子供時代の体験談を話していたことがあります。樹木希林さんは「自分のことは自分でやらせる。」という教育方針だったようで、也哉子さんは「母は本当に何もしてくれなかった。」という趣旨のことを話していました。

 体験談として、風をひいても保険証を渡されて病院に行ってきなさいと言われるだけで、何もしてくれなかったので、一人で病院に行って一人で診察を受けなければならなかったとおっしゃっていました。そして、「その当時は寂しかったけど、母のあの方針があったおかげで、今の自分は自分の生活をきちんと管理できるようになったのかもしれない。」といった趣旨のこともおっしゃっていました。

 何かを得れば何かを失うというのは、私が持っている基本的な考えで、親が手をださない寂しさと引き換えに子供が自立できる能力を身につける、か、親が手を出して子供の甘えたい気持ちを満たしてあげる代わりに子供の自立能力を阻害するか、ということになりやすいのかもしれません。

 もちろん、能力が高い親なら、それらを両立することも可能かもしれませんが、やはり時間・金銭的な余裕がないと、子供に家事を懇切丁寧に教え、なおかつ危険回避のためにつきっきりで見守り、危機的状況になったらとめるといった指導をほどこすことは、なかなか難しいことなのかもしれませんね。

 

 また、思ったことをつらつらと書いたので、おかしな流れになりましたが、やはり富野氏のいうとおり、現代社会では「大人は子供をナメている」という傾向が強いように感じます。

 それをうまく表現しているのが「あかんたれ」という古いテレビドラマなのですが、あれは現代だと差別表現とされる言葉が多用されていて、復刻されることはないのかもしれません。本当に残念です。

 また、〆かたがわからないので急におわります。またねー。

 

おわり