女だから言えること

中高年のおばちゃんの脳内を日記がてら綴っております。

生きることに前向きになれない時期

 全くのつぶやきで、非常に暗い内容なので心理状態の良くない人は読まないでね。

 

 

  最近はあまりおっしゃらなくなったが以前、日本での安楽死の合法化を強く主張していらっしゃるはてなーさんがいた。私はその気持が分からなくもない。私はどんなに精神疾患がひどい時でも積極的に死にたいと思ったことはない。

 ただ、身体や心理的に激痛があった時には、永遠に意識を失えば(=実質、死を意味してしまうが)永遠にこの苦しみから逃れられるのだろうか?と、思ったことはある。実際に、現在も生きるのが苦しいので、消極的な死の選択として、がんの手術をしない選択も考慮中。ただ、癌の末期は心身ともに非常に苦しい状態になるので、それが怖い。そこら辺の苦しみをモルヒネなどで軽減してもらえるなら、このまま癌の手術をせずに死ねるというのもいいな…とは思ってる。ただ、患者が苦しんでいるのを見せられる家族も苦しむので、手術をしない選択をするなら夫とは離婚と別居をしたほうが良いとは思ってる。

 

 上記の記事を見て、そう言えば過食嘔吐の女性が、過食嘔吐を治したくて色々調べていたら過食嘔吐は「難病」の一種だと知ったと言う話を思い出した。真偽のほどはわからないが、私も摂食障害の過食がひどく、挙げ句の果てには夢遊病で過食してしまうので、無意識に食べて肥満体になるのが非常に苦しくて困っている。過食嘔吐の人は私より多く食べてもスリム体型を維持しているので、それを真似て吐こうと頑張った時期もあったが、上手く吐くことができず諦めた。色んな方法や薬を試してはみたが、現代の医療では私の過食症の症状を抑えることはできなさそうだ。そういったことも、私にとってはかなりの苦しみとなっている。過食症が治らず泣いたことなど数知れない。

 

 ついでに、祖母、父の、死ぬ前に周囲に散々に迷惑をかけ散らかした死に方を見てしまったので、あんなふうな死に方をするくらいなら、まだ元気で金に困ってないうちに、さっさと死んで周囲に迷惑をかけたくないと思ってしまう。

 

 犬も老化でかなり身体が傷んできた。癌の可能性も出てきている。愛犬だけが私の癒やしなので、彼がいなくなるなんて受け入れられない。一緒に死にたいとさえ思う。だから、余計に自分の癌の手術をしないでおこうかと考えてしまう。それくらいに愛犬の存在に依存しているし救われている。

 実際に7月中旬だった手術はキャンセルにした。半年も待った手術の空きを自らキャンセルするとか、バカバカしい話だ。ちなみに、私が手術をキャンセルしても、たくさんいるキャンセル待ちの人達のうちの一人の手術が前倒しになるだけだから、病院には何の損失もない。ので、何の躊躇もなくキャンセルできた。

 医師は気持ちが落ち着けば、手術したいと言うだろうと考えているようだ。私が消極的な自殺を考えているとは露程も考えていない。医師の元を訪れる患者はほとんど全ての人が病気を根治させたいと思って来るのだろうから当然のことだろう。

 

 ただ、私は関東に来てから医師の横柄な態度にも辟易しているので、関東の医師と話をするのが嫌になってきてもいる。はなから、患者のお前には知識がないのだから、余計な質問するな、とか、質問内容が気に入らないと、これだから患者は…と見下し、バカにした態度を取る医師も少なくない。挙句の果てには、過食で肥満体になっている私に対して「相撲取りにでもなるの?」と言い、せせら笑った女医さえいる。医師と患者という圧倒的な力関係の中でそのような態度を取る医師は私は絶対に許さない。

 関東に来てから、とにかく患者を見下す医師たちに多く出会ったので、怖くて病院にいきたくなくなってる。がん治療の病院でも横柄な医師がいたので、あんな医師を野放しにしてる病院はヤダと思ってしまい、「〇〇という名前の医師の態度はひどいものだった。あの医師とは二度と話したくないし、あのような医師を放置しているこの病院では手術をしない。」と伝えた。

 

 関東は地方に比べて人口が異常に多いので、医師が短時間で患者を回さないといけないのだろう。患者の母数も多いので、対応しなければならないモンスターペイシェントの数も多いのだろうとは思う。けど、下手に出てる相手に対して、明らかに面倒臭そうに対応することないだろ?と思ってしまった。そういった医師に対する抗議としても手術をしないという選択もあるなと思ってしまった。命をかけての抗議みたいな感じでね。

 

 関東に来てから信用できると思った医師も何人かいるし、信用できると思った病院も何件かある。そういった病院は患者に知識がないことは前提としていて、患者のために勉強会を開いてくれたりしてている。そういう意識の高い病院はやはり信用できる。「自らの病気に対して、高い医療知識を得るのは、一般市民にとっては難しいことだ」という理解と思いやりがあるからこそ、勉強会を開くという発想になるのだと思う。

 あるいは、診察時に個別に詳細な医療知識を根掘り葉掘り質問をされてしまうと、診察時間が長くなってしまうので、詳細を知りたがる患者については、一気に集めて説明してしまったほうが早いという考えなのかもしれない。いずれにせよ、非常に合理的で賢く、親切な方法だと思う。

 ただ、彼らの患者や患者家族に対する啓蒙/教育活動はボランティアで行われているので、会社員で例えるならサービス残業にあたる。だから、それが労働環境として好ましいかは厳しいところだ。だからこそ、患者の私としては非常にありがたく、手土産の一つや二つは持っていくようにしている。

 

 自分の癌、犬の癌、体調不良などのせいで、どうも前向きに物事を考えられない。友人たちが体のことを心配してくれている。「ららちゃんを必要としてる人はたくさんいるから、死んでもいいなんて言わないで。」とも言われた。でも、やはり、私は生きるのが苦しいのがデフォルトなので、死んで無に帰るもいいなって、思ってしまう。

 生きるのが苦しくない人にはわからないだろうから、そっとしておいてほしい。生きてほしいという励ましの言葉は、私にとっては「地獄で業火に焼かれる苦しみに耐えろ」と言われているも同然なのだから。