女だから言えること

日記&遺言

性的なことについても話し合いの機会があるべきだと考えます

 

 この記事を見て気になったのだが、父親が自分の家で自慰をしていることの何が悪いんだ?というのが、まず最初に受けた印象。リビングでAVを鑑賞していたり、自室での自慰行為について音漏れしていることについても、なぜか悪意に取る人たちがいて、虐待ではないか?というブコメすらあって驚いた。

 なんで、父親が子に対して、故意に自慰を見せつけているようなテイの被害者意識の強い意見があるのか謎ではある。なぜ、それほどに悪意を前提に語る人がいるのかと。が、しかし、実際に父親に自慰行為を見るよう強制されたり、肉体関係を強制される子もいるわけだから、そのような実際の被害者の感想であれば、真摯に受け止めようとは思う。

 

 私ははて子さんが好きなので、別段噛み付く意図はないが、この意見を主軸に話しをしたほうが分かりやすいであろうから、このコメントを軸に、私の考えを書いてみたいと思う。はて子さんは興味深い考えを持っている面もあるのだが、男女の話、性的な話になると急にエキセントリックに保守的な意見を放つ人だという認識です。これは、わりと日本人女性や、信心深いキリスト教徒の方々の行動パターンとして多いので、はて子さんてもしかして、キリスト教徒?という気もしています。

 

kutabirehateko 毎日うんこする家族がいることと、うんこタイムの痕跡をそこら中に残して実況さながらに臨場感だしてくることとは違う。性嫌悪ではなく配慮のなさが問題。アラフィフの兄がリビングでAV見てると嘆く友人を思い出す

 

はて子さんはこのような興味深い意見を出してくれています。

 

 まず、現代の世の中の一つの現象として、「うんこ=汚い/臭い」と認識する人たちがいます。それについてはウンコはにおいが強いし様々な菌が入っていて体に悪い影響があるので、適切な処理/処分が必要である、という事実が、まず前提としてあります。

 で、ウンコタイムの臨場感が感じられるということについて、私は特に不快感を感じないタイプなので、不潔であることが問題であるということは分かりますが、臨場感があることの何が問題なのかがよくわかりません。

 いや、これははて子さんを責めているわけではなく、本当にうんこしてる時の臨場感の何が不快なのかが本当にわからないので教えてほしいと言う率直な意味です。私自身は他人がうんこししている姿を見たとしても、何の嫌悪感も持たないタイプなのでそれの何がいけないのかが、さっぱりわからないのです。アラフィフの兄がリビングでAVを見ていることを、なぜ妹が嘆く必要があるのかもさっぱりわからないので、本気で教えてほしいのです。

 むしろ、それになぜ嫌悪感を感じるのかを教えてもらえれば「そうか!そういう意味合いで嫌なのか!それならやらないほうがいいわー」と納得できるので、ぜひ知りたいと思っています。

 発達障害を引き合いに出して申し訳ないのですが、私の発達障害の特性上、説明、理由、因果関係がはっきりしないことが極端に苦手なんですよね。で、私自身の感覚としては「あら、お楽しみのところを見つけちゃってごめんね❤」という程度の感想しか持たないので、この2つの感覚の違いについて具体的な説明ができるほどに「説明の上手い人」がいるのであれば、ぜひ説明をしてもらって納得したいと思っています。

 臨場感については、そのような感覚ですが、ウンコの臭いについては、やはり他人のウンコについては多少の不快感があります。食べたものの違いなのか、体調の問題なのか、同じ人のウンコであってもひどく臭いがつよい時などもあって、あれは確かに不快です。

 ですが、相手を不快にさせるためにわざわざウンコの臭いを強くしたり、臨場感をだしたりする人って居るのでしょうか?一部のサディストにはいるかもしれませんが、大方の人間は、自分のウンコの臭いが強くなっている、とか、気張ってしまって思いのほか排便に臨場感が出てしまっているってことに気づいて無いのでは?と推測するほうが妥当なような気がします。

 

 となると?

 

相手に「臭いが強いよ」とか「気張ってる声が聞こえて臨場感が出てるよ」と、事実を認識.してもらった上で、「申し訳ないのだがウンコをしたあとは消臭スプレーを噴射してもらえないだろうか?」とか「うなり声が聞こえるとうんこの臨場感が出てしまって、それが苦手なので声を出さないよう意識してもらえないだろうか?」と、交渉することが問題解決への近道だと思うの。

 

 これと同様に、この増田の記事も、なぜ原因を究明して、相手に伝え、問題解決のための行動を提案しないのか?という疑問しか無い。

 

 はて子さんは一方的に父親に配慮がないと言い切っているが、配慮がないのは父だけか?と思う。

 父が自慰をしていると知っているなら、ピンポンを鳴らして家に入るなり、帰宅10分前に父(に伝わるよう)に帰宅時間に連絡することで、自慰行為に遭遇することは避けられるのに、その配慮を子供側はしているのか?と。

 リビングでAVを見ていることを一方的に責めているが、じゃあなぜ、彼らはリビングでAVを見ているのか?見ざるを得ないのか?ということに対する配慮も感じられない。もしかしたら、AVを見られる機器(テレビやモニター)がリビングにしかないのかもしれないし、増田の父親の年代だとネットでAVを見ることができると知らないかもしれない。知っていても操作方法がわからないかもしれない。

 それならネットでもAVは見られるのでパソコンを買って自室で見てほしい提案もできるし、その操作方法ほうがわからないのであれば教えますよ、という提案もできる。増田は子供だから仕方なくもあるが、このような配慮をしたという記述はないので、配慮がないのはお互い様ではなかろうか?と思うよ。どのとこについては譲歩できて、どのことについては譲歩できないと、互いにヒアリングして話し合わないことには何も始まらんだろ?と。

 部屋からの自慰行為の音漏れについても、壁が薄いから聞こえてしまうわけだから、壁に防音/吸音剤を貼るなどの措置で問題は解決するし、父の声が漏れているのでなく、AVの音が漏れているのであればイアホンやヘッドホンで見てもらえば、問題は解決する。

 

 この記事の増田は子供なので、問題解決よりも自分の嫌悪感を全面に押していることは、大人から見れば明らかだ。「親が子に配慮すべきであって、子が親に配慮する必要はない、特に性的な面に関しては」という子供の傲慢さが見て取れる。子供が物を知らずに傲慢であることは、ごくごく自然なことなので、それをどうこういうつもりはない。

 だが、親と関係なく子が一つの人格であるのと同様に、親も子とは関係なく一つの人格だ。だからプライベートな性的行動について、子であるからといってしのごの言われる筋合いはない。と大人である私は思う。父親に配慮を求めるなら、子も父の性衝動に配慮すべきではないか?と思うよ。ひとりの人間としてね。

 

 それに父親側が異常だという意見もあって、私自身は性的衝動がどの程度になると、心配したほうが良いくらい病的な領域に入るのかは知らない。だが、もし自慰行為を毎日しているのが母親であったら?、或いは、自慰行為ではなく夫婦が毎日のように家の中のあちこちで肉体関係を持っていた場合だったとしたら、異常だと認識するのだろうか?という疑問もある。

 単純に仲が良く、性欲の強い夫婦が我慢しきれずリビングで素っ裸で始めてしまったところに子が帰ってきたら、毎日行われる夫婦の性行為の音が子のいる部屋に漏れていたとしたら、それが頻繁にあったからと言って異常だという話になるのだろうか?

 「中高年」「働いていない」「男性」「自慰行為」「父親」というキーワードから、偏った意見に傾いてないか?と感じる。「中高年」を「若い」に変えたり「男性」を「女性」に変えたら、印象が変わるのでは?と思うよ。もう、ハッキリ言っちゃうと、男性差別では?という印象も拭えない。

 

 この父親は意図的に配慮していないわけではく、子に見られていると気づいていなと推測するほうが妥当ではなかろうか?子が外出している時間帯を狙って自慰行為をしているようだし、子がいる時間帯には自室で鍵をかけてしているようなので、見つからないように配慮していると増田の文章から読み取れる。

 父親は配慮して居るつもりだが、子が早く帰ってきてしまったり、思いのほか壁が薄くて音が外に漏れているということことに気づいていないというふうに読み取れる。父親が思いつく範囲の配慮は十分にしているというふうに私には読み取れる。

 だけど、父親は自分の自慰行為を隠せていると思い込んでいる以上、「いや、隠しきれてないよ。」と伝える人は必要で、「隠しきれていないから、このことに配慮してほしい。」と説明/交渉する必要がある。と、私は考えます。

 

 配慮がないというのであれば、どのような配慮をすべきか相手に伝えなければ、伝わらないよ?と思う。「配慮がない人、配慮ができない人」であるなら、なおさら言葉を尽くして説明しないと、相手だって何をどう配慮したらいいのか分からんだろ?と思います。

 こちらから、どのように配慮してほしいかも伝えずに、相手に対して「配慮が足りない」と責めるのであれば、そのような人はネットで言うところの「察してちゃん」に見えてしまいます。そういった意味では、そのような人たちも「相手に自分の要望を伝える」という配慮を怠っているにもかかわらず、察して欲しがる「配慮のない人」に見えます。なぜ、具体的にどうしてほしいと伝えないのかと。

 この増田のケースに関しては父親がうっかり屋さんで配慮の詰めが甘いタイプだから、子供もそのように配慮の詰めの甘い子に育ったのだろうと推測できますね。子は親の行動パターンから多くを学びますから。

 

 世の中には問題を解決する気はなく、相手を責めたいだけの心理的状態の人達もいますから、そのようなタイプの人はそれが好きでやっているのだからしょうがないとしても、そうでないなら、問題を解決するのが最優先です。ですから、親の問題解決能力が低いなら、子のほうから提案していくしかないよ?と思います。

 

 ですが、今日の日本では、性の話は「はずかしい」「けがらわしい」「口に出すべきではない」という流れが強すぎて、そのような性に関する必要な交渉すらできない状態です。わたしはこのように性に関わることについて、全く話し合いができない状態が良い状態だとは思いません。個人としても社会としてもね。

 そもそも、子作りに性的な接触は不可欠なのに「はずかしい」「けがらわしい」と捉えること自体に私は無理があると思う。このような思想が流布された経緯としては、旧来は社会保障という概念がなかった、あるいは体制が整っていなかったために、宗教などで「子は男女一対一で作れ!」と洗脳したほうが、感情的なもつれが起きず、社会が混乱せずに、領土を管理する側が管理しやすいという流れではなかっただろうか?と推測しています。政治的な思惑が強かったのだろうと。

 子供全てを満足に育てられさえすれば、1対1の婚姻でなくとも良いという個人福祉の発想のイスラム教やモルモン教もあるのだから、やはり、子作りや独占欲の絡みで一部の宗教では1対1の婚姻こそ正義という教義になったのだろうと思える。もちろん、その当時の時代背景や科学技術を考慮に入れれば妥当な教義であっただろう。だが、バースコントロールがかなりの精度でできるようになった今、そこまで性に関する情報を隠し、話し合いをしない必要があるのか?と思う。

 宗教の良くないところは「信じる」ということに重点を置くため、時代に合わせた教義の改変が非常に困難という部分だと思っている。時代に合わせてコロコロ教義が変わると変化をきらう保守的な信者からの反発が起こり得るからできないのだろうと推測している。法律も時代の流れに合わせて整備するのが随分遅れるが、宗教に至ってはもっと遅れるからね。

 

 説明、交渉をしてもなお、行動を変える気がないというのであれば「配慮する気のない人」とは言えますが、説明、話合い、交渉をしたという記述はないので、子が一方的に断罪してい傷ついたと主張しているとも推測できます。

 思春期の若者が他人を断罪したがるというのはおうおうにしてあることなので、それについてもどうこう言うつもりはありません、よくあることですから。ですが、学生で子供のくくりのうちはそれですみますが、大人になってまで自分の都合で相手を断罪するような態度を続ければ、自分と都合の合う人達としか関わりがなくなり、視野が狭小になってしまう危険性があります。それも、あまり良いことだとは思えません。

 

 また、思ったことをツラツラ書くので、脈絡がなくなってきてしまっているが、今回の件で問題を解決する気があるのなら、まずは父に「あなたの自慰行為を見るのが不快だ。だから私に隠れてやってほしい。今でも隠れてやっているつもりかもしれないが、私は数回も見つけてしまっている。私が、あなたの自慰行為を目撃しないで済むように、〇〇、〇〇、(例:自室にテレビを持ち込んでほしい、イアホンで見てほしい、壁を厚くしてほしい。)という施策をしてほしい」と交渉するべきだと思う。

 自分自身で交渉するのがはばかられるなら、母親や、親族、父の友人など、誰かしら父にとって身近な人に頼めば良いと思う。

 

 私自身も「性的な話をちょっとでもされるのは不快なので、そのような話を私の前ではしないでほしい」というタイプの人の前で性的な話はしません。正直、私の大好きな親友がそのようなタイプなので、その生態は多少は知っているつもりです。

 ですが、自分が性的な話を他人とできない以上は、性的活動で起こる問題について、解決策を相手と探るということは不可能であるということは覚えておいてほしい。性的ないざこざは「性癖」が密接に関わっていることなので、そこらへんの具体的なヒアリングなしに(特に複雑な問題については)立場のすり合わせができないということです。

 性的な問題について具体的な話し合いも交渉もしないのに、自分側の主張を丸呑みにして、自分の倫理観、道徳観どおりに行動してほしいという考えは、自己中心的であるということには気づいてほしいとは思います。

 世の中にはポリアモニーやFREE SEXの考えの人もいるわけですから、それらを否定するのであれば、貞操信仰も否定されることになりますよ。どちらも思想のひとつにすぎませんからどちらが正しいということはありませんし、仲裁者が公平な判断をするのであれば、両方とも等しく否定、か、等しく肯定するしかないわけですから。

 

 引き合いに出して申し訳なかったが、はて子さんと同様の道徳観、倫理観の人たちが多いのも知っているし、それが日本の文化として一般的なのも知っています。ですが、相手との考え、行動、感覚の違いを正確にとらえて、理解し合えないことを理解し、お互いの不快さを最小限におさえる努力を怠ってはいけないと思います。

 主義主張が違っても、互いに少しずつ折れて、互いの不快さを減らすというのは大切なことだと思うのです。どちらも折れないという姿勢をつらぬけば、戦争になってしまうから。

 

追記

上記の増田が、父親を偶像崇拝していたのに生身の人間であるという現実をつきつけられ、裏切られたと感じているのに対して

 

 こちらの増田は、父親も人間であり、男、もっと言えばオスであると、冷静に客観的に認識している。これらの増田が創作でないという確証はないが、創作であったとしても、この2つのストーリーが提示されたということは、自分の頭で考えろという意味なのだろから、しっかり自分の考えをまとめると良いと思う。まあ、種類は違うが、両方ともファザコンが根底にあるように見えるので、それもまた興味深い。

 

 ついでにいうと、こういった認識の違いは、家庭環境からくるものなのか、外部の情報からくるのか、本人の思考力からくるのかも、誰か考察できる人いたら、考察してほしいとも思う。