女だから言えること

中高年のおばちゃんの脳内を日記がてら綴っております。

関係性によって行動を変える人々*親しき中にも礼儀ありの意味

 世の中には借金は絶対に良くないという人達がいます。私もどちらかというとそちらのタイプです。ですが、私自身は公的機関や銀行からの借金ならOKと考えます。それでも、銀行からの借金もしたくないという人もいるので、そこらへんは好みということなのだと思います。

 私自身は銀行は貸付の際に信用調査をしているだろうし、想定外に借主が借金を返せない場合は債権の回収方法も設定してあると考えるので、銀行からは借りてもよいと考えます。

 ですが、リスクを極端に嫌う人は、もし返せなかった時に信用を失うから、後始末が大変だから、という理由で借金を嫌ったりします。このように、借金そのものに対する考え方や、どこに借金をするかという考え方は人によってとらえ方が色々です。

 

 少し話が変わりますが、今の世の中では「殺人は絶対にいけない」ということになっています。

 

ですから

他人=殺してはいけない

友人=殺してはいけない

配偶者=殺してはいけない

親=殺してはいけない

 

という道徳観ですし、法規制です。

 

 余談ですが、昔の日本には「尊属殺(血縁を殺すこと)」だと、血縁でない人を殺すより重罪になるという制度があり、これが非常に物議をかもして、多分廃止されたんじゃなかったかな?と思います。

 

 そして、この話を「借金」の話に置き換えます。上記の例で行くと

 

パターンA 

他人=借金してはいけない

友人=借金してはいけない

配偶者=借金してはいけない

親=借金してはいけない

 

 と、なりますよね。仮にこれをパターンAとしましょう。私個人は、このパターンAのタイプです。個人間の借金は心理的なトラブルが起こりやすいので、リスクを極端に嫌う私は、全ての個人から借金をしないというスタイルになります。

 

 ですが、人によっては、借金をするかしないかを、関係性によって変える人たちがいます。

 

 パターンB 

他人=借金してはいけない

友人=借金してはいけない

配偶者=借金してはいけない

親=借金してもよい

 パターンC

他人=借金してはいけない

友人=借金してはいけない

配偶者=借金してもよい

親=借金してもよい

パターンD 

他人=借金してはいけない

友人=借金してもよい

配偶者=借金してもよい

親=借金してもよい

 パターンE

他人=借金してもよい

友人=借金してもよい

配偶者=借金してもよい

親=借金してもよい

 など、自分の中で関係性が深いと思っている相手の順に、分水嶺が分かれる人達がいるのです。

 ちなみに私はアパートの隣のおじいさんと一言二言言葉をかわしたら、借金を申し込まれてしまいました。おそらく彼の中では一言でも口をきいたら無意識に「友達」の枠に格上げにしていたのだと思います。心理的に友達とまでは思っていなくても「知り合い」くらいには格上げになっていた可能性が高いと思います。

 

また、下記のように順序自体も前後したりします。

 

1位:親 2位:配偶者 3位:友達 4位:他人

1位:配偶者 2位:親 3位:友達 4位:他人

1位:友達 2位:配偶者 3位:親 4位:他人

 

などなど、組み合わせは多種多様です。

 これらに、知人、おじいちゃん、おばあちゃん、叔父、おば、兄弟、配偶者の親/親族などを含めていくと、心情的なことも絡み合って、借金を申し込む基準は個別に変わってきます。

 

 

 私は発達障害で私なりの一貫性を好むので、若い頃に「借金は絶対にいけない!」と言っている人がいたら、この人は誰にも借金をしない人なのだろうと認識していました。ですが、そんな人があっさり人に借金していて、私には一貫性がないように見えて、あれ?考え方が変わったのかな?と不思議に思い、

 「へ?なんで?借金はいけないんじゃなかったの?」

と聞くと、

「いやいや親に借りるのは普通でしょ?」

と、返事が返ってくるのです。

 

正直、なぜ、親なら借りてもいいのかは私にはわからなかったのですが、

「ふーん、そういうものなのかー…」と

不思議な感覚でした。

 

 ですが、大人になって「(その人の中での)関係性の序列によりOKになったり、NGになったりする人達」というのが存在すると理解でき、その謎が解けたわけです。

 

 ですから、DV(ドメスティックバイオレンス)はドメスティック(内政的、家庭内)という言葉を含むように、甘えてもいいという序列の中で上位にいる配偶者、子供、親に対して、たかったり殴ったり、罵倒したりしやすいということなのだと、ある時期に気づいたのです。親を殴る(何歳であっても)子供もまた、その人の中の序列を基準に行動しているのだと思います。家庭内でも(縦関係しか作れない家族に)ナメられたら終わりってことですね。

 

 私自身の好みとして、誰に対しても(問題がない状態なら)「態度」や「(借金などの利害が関わることの)基準」は同じにしたいというのがあるので、序列で態度を変えないように意識はしているつもりですが、無意識にやっているかもしれないなーとは思っています。

 

 私の母方は母が何かしらの障害を持っていそうな人で、あまり物がわからなかったので、母だけダントツに貧乏でした。母の男兄弟二人は、財閥系に勤め、一人は自分達用と子供用の2軒の家をたてたりする程度には中流でした。

 家族仲の良いおうち出身だと、「風呂もない、雨漏りを時々なおしてもらわないといけないような家に住んでいる妹がいるなら、一緒に住んであげればいいのに」と思うかもしれません。あるいは「少しくらいお金を援助してあげればいいのに」と思うかもしれません。

 それに、一般的には、母のような立場だと「兄ちゃんちはお金があるし、家も広いんだから、一部屋貸してよ!」とか「少しぐらい援助してよ!」という考えを持ってもおかしくありません。

 ですが、母と叔父が会っている時に私が同席したことがあって、ジュース一本買うのであっても、おごらない。母がジュースを買うのに財布を忘れて「兄ちゃんちょっと貸しといて」と言ったら必ず返す、というふうで、それに対して、母は何の疑問も感じていませんでした。「ジュース一本くらいおごってくれてもいいじゃない?」なんて、つゆほども考えないのです。

 私自身も年老いてきて、もし私が母のように収入も年金も10万円を切っている生活だったとしたら、どう思ったのだろうと考えることがあります。なぜ、彼女には少しも人にタカる習性がないのだろうかと。

 おそらく、これは祖母の教育だったのだと思います。叔父の話だと、母は色々物が分からないぶん、わがままな行動が多かったらしく、祖母と頻繁に喧嘩をしていたのだそうです。その頃から「人にタカるな」と教えていたのではないかと思います。

 母のようなタイプだと、一旦、人に甘え始めると、何を甘えていいか、何を甘えてはいけないかが分からなくなり、際限なく甘えはじめるタイプではなかろうかと、私は推測しますし、祖母もそのように感じていたのではなかろうかと思います。

 そして、母が父と離婚した後も、祖母は母と一緒に暮らしませんでしたし、叔父たちにも母と一緒に暮らしてあげなさいとは言わなかったのだと思います。母ほど物のわからない人でも面倒を見てくれる(働かせてくれる)知人を探して、そこに娘である母を託し、自分は一切、経済的には手を出さなかったのです。

 私が祖母だったら「この子は一人で働くことなんて不可能だろう」と判断したかもしれないと時々思うことがあります。祖母はよくあの人(=母)を外で働かせようと思ったな…と感心してしまいました。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という言葉がありますが、まさにそれです。

 祖母は大正生まれで教師といういわゆる職業婦人でハイカラな人でしたから、教師の体験からもしかしたイケるかも?と踏んだのかもしれないと思います。にしても、いちかばちかの賭けだったとも思います。

 読み書きも計算も満足にできず説明・交渉能力もない。さらに40歳まで外で働いたこともない。そんな母を(40歳から)自分で働かせて一人暮らしさせるなんて…と、祖母の愛に少し泣きそうになったりします。きっと「自分は先に死ぬのだから、子供の生きる力を信じよう」と覚悟を決めたのでしょう。心配で心配で仕方なかったでしょうに…

 私も自立しなければ!と強く思いすぎて生きてきた人間なので、祖母の思想信条に由来する行動を思い出しては「先を読む力がすげーな…」と思ってしまいます。

 

 このようなことをつらつらと考えていると、私自身も家柄がそういう家ではなく、親子でわりと気軽にお金の貸し借りをするような家であったら、「いやいや、親からかりるのは普通でしょ?」となっていたのかと、感慨深く思ってしまいました。

 

補足

 母は戦時中を体験していますから、あの頃よりはゆたかという感覚があったのかもしれません。また、父にひどいDVを受けていましたから、あの頃よりは安心という感覚もあったかもしれません。なんにせよ、昔より今が豊かで安心できると感じていたことが、自分以外の他人(親族含む)に経済的に頼らなかったことに大きく影響していたかもしれません。過去との比較でどう感じるか?という意味です。

 2019年現在の、昔のほうが豊かだった、昔のほうが安心だったと思わなければいけないことは、とてもつらいことでしょう…

 

おわり