女だから言えること

日記&遺言

時代や土地柄に合わない好みと、こだわりと…

 さて、私は「こだわりが強い人」を見かけると、とりあえずASD(旧アスペルガー)だと想定して、「ASDとの関わり方」みたいな書籍で指示してある関わり方で関わります。そうすると、(家族でなく)他人であれば小さな問題はちょいちょい起こりますが、大きな問題は起こりにくくなります。

 こだわりが強い人の中には、社会から「善とみなされるこだわり」を持つタイプと、社会から「悪と見なされるこだわり」を持つタイプがいます。

 

 ここでいくつかの例えを挿みます。

  • 詳細が全て事実というわけではありません
  • こだわりの強い人がASDだと決めつけているわけではありません
  • 「これがASDの症状だ」という意味ではありません
  • この状態はASDに似ているだけでなく、境界性人格障害にも似ていると感じる

という前提を元に、私の体験を実例として分かりやすく説明してみます。

 

Aさんの特性

 Aさん(35歳)はこだわりが強いタイプで、視覚的にこれでないとダメというこだわりがあります。もっと深く話してみると、依存したいというこだわりが主軸で、それ以外にも細かいこだわりがあることが分かりました。病院に行ったことはないので診断名はついていませんが、私はAさんをASDと仮定し、「ASDと診断されている人」に接する要領で接しています。そうすると、比較的にコミュニケーションがとりやすいタイプの人です。

 

エピソードA

 Aさんは、子供時代に学校の卒業式に親に来てほしくありませんでした。なぜなら、その視覚的なこだわりから、親がみすぼらしいと感じていたからです。遅くにできた子なので、頭は白髪、顔にはしわがある、田舎なのでテレビで見るようなおしゃれな恰好はしていない。要するに親が自分の好みの容貌ではないので、卒業式には来てほしくないのです。

 ですが、親はかわいい我が子の卒業式なので行きたいと思い、強引に卒業式に行ってしまいました。Aさんは激怒し「なんで、卒業式に来たの!来ないでっていったでしょ!」と親をどなったそうです。

 Aさんが嫌がっているにも関わらず、親が強引に卒業式に来てしまったことを「親は私の気持ちに寄り添ってくれなかった」と、35歳になった今でも、ひどく嘆くのです。

 

エピソードB

 Aさんは高校時代に塾に行っていました。バスが一時間に1本あるかないかという程度の田舎で、街灯は一定の時刻になったら消え、真っ暗になる地域だそうです。ですから、母親が心配をして歩いて塾まで迎えにいっていたそうなのです。

 Aさんはみすぼらしい(と感じている)母親と一緒に歩くのが嫌でしょうがない、さらに高校生にもなって親が迎えにきていると思われたくないので来てほしくないのです。そして「なんで、迎えに来たの!来ないでって言ったでしょ!」と怒鳴って抗議したのだそうです。

「車で迎えに来てくれるなら乗れるからいいけど、歩いて迎えにくるとかありえない!」と、35歳になった今でも、それがトラウマになっていると、私にその思い出を話すのです。

 

こだわりがかなわないことに由来する自傷行為

 Aさんにはこまごまとしたこだわりがあり、それがかなわないと、ひどいストレスを感じ、親を怒鳴りつけ、体のあちこちを傷つけてしまう習性がついてしまいました。それはそれは生きづらい人生です。

 

 これだけ見ると、依存心がないように見えますが、自分の好みの容貌ではない親と一緒にいるところを見られたくないから来てほしくないだけなので、一緒にいる所を人に見られなければ、親に対して非常に依存心の強いタイプになります。

 まずは、甘えたいという強い「こだわり」があるので、何でも親にやってほしいのが基本です。休みの日に街に遊びに行くために車で駅まで送ってほしい、家にいる時に好きなジュースを買ってきてほしい等の要望を親に伝えます。それらを親が断ると、怒鳴ったり刃物で体を切りつけたりするので、親は好きなジュースを買ってくるしかありません。子供に怒鳴られるのは我慢できても、死なれてしまうことは我慢できないわけですから。

 ほしいジュースの名前は親に告げてはあるものの、買ってくるタイミングは親は測れません。ですがAさんはこだわりが強いので「私は古いジュースは飲みたくないので、前日か当日に買ったものしか飲みたくない!それなのに親が安いからといって、まとめ買いしてくるからキレた。」と言います。

  私が

「自分のタイミングで飲みたいなら、自分で買いにいくというのはどう?そのほうがあなた自身の不満が少なくなって、あなた自身が楽になれるんじゃないの?」

と質問と提案をしてみると

「いや、バイトで忙しいから」

というので

「バイトは何時から何時まで?」

と聞くと

「10時から1時まで(3時間)」

と答えます。

「週に何回?」と聞くと「週に3回」

と答えます。

「バイトの時間以外で買うことを考えてみたら?」

と聞くと、

「それ以外の時間も忙しいので買いに行けない」

と言います。

 

その他のヒアリングを進めていくと、どうもAさんの中には

  • 親に買ってきてほしい
  • 古いジュースを飲みたくない(=自分の飲みたいタイミングで買ってきてほしい)

という2つのこだわりがあり、それをかなえるために、あらゆる理屈を駆使するのです。

 

認識のゆがみ*多数派と認識の仕方が違う人達

 一般人から見れば行ける時間はあるのでは?と思える状況ですが、Aさんの認識としては「行く時間はない、捻出できない」という認識なのです。本人がそう認識している以上はAさんにとっては行く時間はない、つまりは存在していないのです。

 目の前にりんごが置いてあっても、本人が「ない=見えない」と思い込んでいたら、そのりんごはその人の中では「ない=存在しない」物なのです。その人以外の全員にりんごが見えていたとしても、本人が見えないと感じている以上は「ない=存在しない」ということなのです。このような感覚で、Aさんの中ではジュースを買いに行く時間は「存在していない」のです。そう考えると「人間の認識力」というものは案外に性能が良くないものだなぁと思ったりします。

 その認識に対して周囲の人達が「いやいや、買いに行けるでしょ?」などと言ってしまうと、「なんでわかってくれないの!」「理解してもらえない!」「自分の気持ちに寄り添ってもらえない!」「自分の考えを押し付けるな!」と感じてしまい、あまりにもその気持ちが積み重なるとリストカットなどの自傷行為をしてしまうわけです。

 その部分に関する認識のずれとは別に、「こだわり」の視点から見ると、どーしても親に買ってきてほしいという「こだわり」があるのです。親が自分のために何か行動をしてくれること、さらにその行動が自分のこだわりにマッチしているということがとても重要で、もしかしたらその手順を踏まないと親の愛情を感じることができないタイプなのかもしれません。ですから、それがかなわないとストレスで怒鳴ったり自傷行為をしてしまうのです。 

 

Aさんと数年にわたって関わっていると

  • 様々なことに対する、多数派との認識のずれ
  • 自分のこだわり方で物事が進まないと非常に強い不快感を感じる
  • 「一定の手順を踏んだ依存」を強く求める

という特性が、Aさんを苦しめているのではなかろうか?と考えるようになったのです。

 

これらはわがままなのか?

 そんなのは「わがままだ」とか「親の育て方が悪いんだ」というのは簡単です。ですが、私は問題を解決することや、問題を紐解いていくことのほうが好きなタイプで断罪を好みません。こういったケースの場合、断罪することは問題をこじらせていってしまうので、周囲が「甘え」だと決めつけることを私は好ましく思いません。

 私は「問題を解決する」ことを好むので、断罪してしまったら、断罪した側の個人の心情は解決し(気が済み)ますが、断罪された側は苦しんでしまいます。私の中では、双方が不快感を最小限に抑えた状態が「問題が解決した状態」なので、全く解決にならないのです。

  余談ですが、この「(自分の基準で)断罪したい側=いじめっ子気質」なのではないかと感じることがあります。そして、どーしても人を断罪したい側もまた、何かしらの障害の気質があるのではなかろうか?と想定しています。多数派の感覚であれば、自分が不快だと感じる相手とは「関わりを断つ」又は「最小限に減らす」はずです。断罪しなければならないほど不快な相手に「関わり続ける」あるいは「相手が距離を取っても、追いかけてまで断罪する」、といった特性を持つ人達は、やはり何かしらの障害の可能性を想定して関わるようにしています。

 

 

Aさんがわがままだと指摘された場合

 Aさんは、すでに「わがままだ」とか、「親は何をやってたんだ」何度も言われていたとしましょう。 

 

そういった場合には、

  • 「自分の思い通りのこだわり方で依存したい」という根本的な欲求が満たされないストレス
  • 自分の欲求が社会的には「わがまま=悪いこと」とみなされ、断罪される二次的なストレス

で、Aさんはうつになってしまうのです。

 

Aさんの要望が

  • 親に卒業式に来てほしいという、多数派の要望だったら?
  • 夜は暗いから母親に迎えにきてほしいという、多数派の要望だったら?
  • どうしても依存したいという社会的に「負」のイメージのあるこだわりでなく、どうしても自立したいという良いイメージのこだわりだったら…

 と、置き換えてみると、現代の社会で「好ましくない」とされているこだわりを持つ人たちは大変だなぁと感じてしまいます。 

社会に許容されない嗜癖

 深い本音を聞いた時に、人を支配できるなら人を支配したい、殴っていいなら殴りたい、殺していいなら殺したいという嗜癖(好み)の人たちは結構います。そしてその中には、そうでないとダメ!それができないと腹が立つ、それができないとストレスで死にたくなるという人たちもいます。

 誰も、その人物が「嗜癖が叶わないストレスで自殺した」と気づかなかっただけで、もしかしたら、そういった人達の何割かはすでに自殺してお亡くなりになっているのかもしれません。

 幼児にしか性的欲望を感じられない人が、「私は一生、愛する人と性行為を行うことができないんだ。愛することすら許されないのか?…」と自殺したケースがあってもおかしくないということです。当然、日本で大人が幼児に性的行為を行うことは、社会的に「悪」とされていることです。ですから、当事者はその悩みを誰かに相談することすらできず、誰も理由が分からない状態で自殺するということが想定されます。そういった人の親は、なぜ自分の息子が自殺したのかを知ることができないわけですから、つらいでしょうね… ちなみに、昔はLGBTの方々がそういった理由や事情で自殺していました。※1

 

 社会的に「悪」とされる嗜癖、性癖については書籍・映像で処理することで我慢してくれている人たちがたくさんいます。幼児性愛者で画像、映像などの創作物でしのいでいる人も、幼児性愛の事件があると「絶対に生身の子に手をだしちゃだめ!」と怒っていたりします。その言葉には「自分は小児性愛を(画像・映像などの)創作物で処理できるのに、なんでお前はできなかったんだ!」という思いが入っているのかもしれません。あるいは「自分はどんなに幼児と結ばれたくても、我慢して、我慢して創作物で耐えているのに、なぜおお前は耐えられなかったんだ!」という怒りかもしれません。

 スーパーマーケットで、ただただ牛乳パックの向きをそろえている「方向がそろってないとどうしてもだめな人」、何時間も交差点で交通誘導(の真似)をしている「交通誘導をしないと気が済まない人」等と同様に、どうしても人を殺さないと気が済まない人とかいたら、どうしたらいいんだろ?と思う時があります。人や社会に害のないこだわりと、害のあるこだわりの違いは、これほどまでに大きいのです。

 メディアが発達した社会なら、書籍・映像で ある程度までは制御できそうですが、それを見たことで刺激されてしまいタガがはずれる人もいそうで怖くはあります。

 

その地域の道徳/倫理感と自らの嗜癖の相性

  • 自立こそ正義という時代や地域で依存心が強い性質
  • 一夫一婦制の時代や地域で複数の人を愛さずにはいられない性質
  • 幼児性愛者で幼児にしか性的興奮を感じることができない性質なのに、幼児と肉体関係を持ってはいけない地域在住の場合

などなど、の

その土地、その時代に合わない好みを持ち、それをどうしても実行したいと苦しんでしまう人達に、私はどう対処できるのかと考えてしまう時があります。

 

最後に

 これらの分析は、私の勝手な分析なので当たっているか、ハズレているかはわかりません。分析好きの人はご自分の分析を組み立てて楽しんでくださいませ。

 

※1:性的先進国ではLGBTQという概念が生まれたそうです。Qとは対物性愛/幼児性愛なども包括し、性的マイノリティとして許容しようという流れではないかと推測しているのですが、まだ調べてはいないので、ご興味のある方は調べてみるとよいと思います。