シンプルさと複雑さ

最近、ダイゴさんの動画を

頻繁に見るのですが、

若くて血気盛んで

いいなぁと思いながら見ています。

 

この方は若干

知的能力が低い感じの行動を取る方々

発達障害のぽい行動を取る方々について

馬○鹿

頭が悪い

などといった表現を使う傾向があります。

 

ダイゴさんは

テレビにも出演したことが

おありの方ですし

インターネットでこのような

配信活動をなさっている方ですから、

公的な場で選ぶべき言葉は

ご存じだろうと仮定しています 。

 

ですから、 ネット民を

刺激する、つまりは

ネットスラングでいうところの

「煽る」ために、わざわざ

このような言い回しを

選んでいるようにも見えます。

 

自分の伝えたいことを

伝えるために、

乱暴な言葉を選んで

伝えるというのは

割と男性が選びやすい選択肢なので

特に不思議な感じはありません。

 

真意はご本人しか

ご存じないでしょうし

もしかしたら、

ご自身でご自身の真意は

つかめていないかもしれません。

 

それはさておき、

ダイゴさんのおっしゃっている

頭の悪い人というのは

「シンプルな人」達でもあります。

 

物事を複雑化せずに

シンプルに行動する種族です。

高度成長期の頃には

このような人々こそ必要で、

このように育つように

学校教育がなされていました。

 

当時はまだ、

ロボット技術が発達しておらず

モノ作りは人間が手作業で

行なっていました。

 

職人技が科学技術の発展で

必要とされなくなり

ベルトコンベアで大量生産が

始まっていた時期でした。

 

ベルトコンベアの前で

作業するのはロボットではなく

人間です。

 

逆に言えば、

人間をロボットのように

単純作業をこなせる人間に

育てたかったのが実情でしょう。

命令すれば、即座に

その通りに動くような人間を

作りたかったのでしょう。

 

 

少なくとも

自らの所属している社会に

適合する教育、

言い換えれば

望まれた役割を果たす教育

家庭でも学校でも

行われていたと言えます。

 

それは

戦争のためにであったり

大量生産のためであったり

目的は移り変わりました。

 

ロボットのような人間

という言葉が強すぎるなら

「シンプルに考える人間」を

製造するのが

家庭であり、学校であったのです。

 

それだけでなく、

その当時は、

世の中自体がシンプルで

仕事の内容もシンプルでした。

 

私の若い頃に

私の居住区では

まずキーボードで文字入力が

できる人自体が少なく、

パソコンが分かるなんて人は

尊敬されていました。

 

東京と地方では

時間の流れ方や

人材の質そのものが

全く違っていたと考えられます。

 

社会の構造が

シンプルだったために

人間の行動や思考が

シンプルであっても、問題や衝突が

起こりにくい時代と言う

側面もありました。

 

そもそも

インターネットどころか

携帯電話すら普及していませんから

人と人が簡単に繋がれませんでした。

 

尾崎豊氏が

盗んだバイクで走り出したあたりから

画一的な教育を嫌った人達が

型を破りはじめました。

 

逆に言えば、型があったから

破ることができたのです。

現代は多様化が進み、

「型」をやぶる必要がなくなったどころか

「型」の選択肢も増えましたから

自分を「型」に当てはめることができずに

迷う人達が増え始めているように感じます。

 

型破りな人達がどんどん反発を始め、

物質的にも文化的にも思想的にも

複雑化が進んだために

ダイゴ氏のような社会の複雑さを

説明する人達が出現し始めました。

 

世の中では

シンプルを好む派閥と

複雑を好む派閥が

対立しているというのが

現状と言うところでしょうか。

 

保守と革新が反発し合うように

シンプル派と複雑派

伝統/伝承を重んじる派と

アップロードを重んじる派は

永遠に折り合うことはありません。

 

別の生き物として

認識することが大切です。

 

人によって

ある部分は伝統を重んじ

ある部分は革新を求めたりもします。

 

離婚や異性愛を認めない

伝統的なカトリック所属だが

離婚は認めたい

LGBTは認めたい

といったような人々です。

 

こういった人達は

カトリック信者という役割を

果たさなければならないのに

それに反した心情を持っているので

苦しみます。

 

離婚は認めない!

LGBTは認めない!と

シンプルに教義を受け入れる人のみが

救われるシステムなのです。

 

カトリックが

天動説を放棄し、

地動説を承認したのは、

1992年と最近です。

 

米国キリスト教の主流派の中の一部に

「人間を作ったのは

 創造主である神である。

 ダーウィンの進化論を

 子供が習ってしまうと

 問題が起こる。

 なので、

 宗教上の理由で

 子供を学校にいかぜず

 自宅学習させる。」

という

ある種の過激な信者がいるという

話を耳にしたことがあります。

 

宗教は伝統と格式を重んじるので

仕組みとしては、それほどに

アップロードが

困難ということです。

 

ダイゴ氏は

重い責任を持ちたくないので

インターネットでの動画配信という

収入の獲得方法も取り入れていると

自らの動画で話していらっしゃったので

どちらの方向に転ぶか

非常に興味深いです。

 

私としては

責任を持ちたくないと発言し

責任に対するリスク管理をしつつ

案外自分の人生に責任を持って

生きるタイプの人だろうと

捉えています。