女だから言えること

「差別意識」は発達障害/機能不全家族/虐待/ジェンダーと密接につながっている

自分に限界を作らない

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 私は、デブでイカれたおばはんな上に変人ですが、自分には何歳になっても若者のような夢を持ち続けることができるという特技があると信じています。パトリス・ルコント監督の「髪結いの亭主」という映画をご覧になったことがおありでしょうか?

 

私は、その冒頭で流される

「願えば何でも叶う。叶わないのは、その願い方が小さいからだ。」

というセリフが大好きなんですね。

 

 私自身の家は昭和のドドド・ド貧乏な家だった上に、中途半端な田舎の家なものだから「女が4年制大学に行くなんて生意気な女になって、嫁のもらい手がいなくなるからダメ!」みたいな常識がまかり通っている家系でした。

 時代的にも、まだそういう時代背景でした。何よりも「ウチは貧乏なんだから中卒で就職して、親を養え!」といった趣旨のことを、中学生の時に父親に言われましたから、「私をATMに育てる気か!?」と反発するのは当然でした。そして、家族を愛せないのも当たり前でした。もう両親とも死んだから「愛す」も「愛さないも」ないのですけどね。

 それでも、親に内緒で大学を受験して、引越し先の住所や連絡先を一切教えずに引っ越して、(親から一銭ももらわず)自力で働きながら大学に行ったくらい、やりたいことがあったから、完全ごり押しで、力任せにぶっちぎってタイプの人間なんです。わたくしは。

 

 そりゃー、18、19のアホ真っ盛りの私が常識なんか知るはずもなく、親と縁を切っちゃったから親に教えてもらえるわけでもありません。それどころか親に社会常識がなかったから教わりようもありませんでした。

 

 私は働きながら大学に行っていて、そんな学生は少ない時代だったから「勤労学生」ということで控除も受けていたし(今もあるはず)、何よりも周囲の学友や大人が(あまりにも物を知らない)私のことをかわいそうがって、色々教えてくれたんですよね。

 もちろん、私も分からないことは積極的に質問していましたが、やはり「私みたいなお馬鹿さんにでも分かる説明」ができる優秀な学友や大人が周囲にいたことは非常に運が良かったと思います。そこらへんから、私の人生がものすごい角度で方向転換しはじめました。当時、教育学に強かった広島大学に入れたことが強運だったなぁとしみじみしていまします。

 また、私みたいな馬鹿を、「馬鹿だなー」と嘲笑し、自分には関係のないこととするタイプの人と、「こりゃいかん、色々教えてあげなきゃ…」と思ってくれる人の違いも知ることができました。私は自分が馬鹿だったおかげで、後者にしか関わってもらえなかったことも、運が良かったと思います。賢い人達は、前者に馬鹿にされないので、前者ともお付き合いしなきゃいけないのかと思うと、大変そう。

 18,19の頃に右も左も分からない、礼儀作法社会常識も何も知らなかった私に、それらを教えるなんて、サルに算数を教えるくらい大変だったと思います。

 

だけど、

自分自身を知りたい!とか

自分自身を変えたい!とか

自分自身を高めたい!とか

知的好奇心を満たしたい!なんていう、

 

そういう欲望が尋常ではなかった私は、周囲を巻き込みながら、周囲に迷惑をかけながら、それを口先では申し訳ないといいながら、自分のわがままを通し、やりたいことをやってしまい、やらせてもらって生きてきました。

 実は私は、40歳くらいの時に「管理栄養士」を目指すべく、短大を受験して合格していました。(さすがに4年制の大学に行くお金はないので、栄養士→実務経験→管理栄養士をめざしていました。)ですが、 合格した直後に同居人が失業した&病んでしまって、同居人を養わざるを得なくなり辞退しました。 

  それからアラフィフになるまでの間に同居人が夫に変わったり、甲状腺がんで甲状腺を失ったり、もう夫が面倒だからと家を飛び出して一人暮らしを始めたりと、色々ありました(笑)

 

でも、がっかりしている暇はありません。

 

 何回も書いていますが、人生はよくしても体をてきぱき動かせるのは80歳くらいまで。50歳のおばはんに「たいしたことができるものか!」と感じるか、「まだまだ50歳なのだから、できることもあるはず!」と感じるかで、 その人の人生が明るいものになるかどうかが決まるような気がします。


 人間には叶う夢もあるし、叶わない夢もある。夢と言ったら大げさだから目標といっておきましょうか。人間というものはわがままなもので、目標が達成されてしまったら虚無感に襲われてしまうのです。いわゆる、燃え尽き症候群です。あれほど努力をして、あれほ血反吐を吐く思いをして達成して、あれほどうれしかったのに…至福の幸せの時間とはほんの一瞬なのです。喜びの時間は一瞬で去り、叶った夢は現実に変わって、毎日の作業へと変わっていったりするのです。そんな倦怠の中でも、心を躍らせて生きるには次の夢を見つけて行動することが大切なのだと思います。

 目標を達成しようと死に物狂いで努力したのに、どうにもこうにもならないくらいに挫折したとしても、次の夢を見つけて邁進する、それが夢や希望にあふれて幸せに暮らす方法だと私は信じています。

 そして、死に物狂いに行動して良い結果や面白い結果が出たこと、死に物狂いに頑張ったけど自分の思っていたような結果が出せなくて死にたいくらい悲しく、悔しい思いをしたこと、その両方の体験を持っている人ほど、心が強く、豊かに、優しくなるような気がするのです。

 「夢」というのは私にとっては現実可能なことがです。大学に進学するのだって夢だったし、外国で働くのだって夢だった。インターネット上に活字を書くのだって夢だった。だけど、それらは全て実現できた。そう、私の夢は身の丈に合った夢だったのです。

 勉強嫌いを批判や非難しているわけではありません。「夢」のたずさえ方、つまり目標設定が間違っているのでは?ということを言いたのです。本当にその事柄に興味があって自然と勉強してしまう。そんなような事柄を探すことが大切だと思うの。

  たとえば美容関係が好きで、ヘアアレンジについては何時間でもネットで勉強してしまう、みたいなことね。そして、理美容の資格取得を視野に入れるみたいなこと。学問が好きではないのに大学に行くというような間違った目標設定をすると、それはそれで一つの経験にはなるとしても、遠回りっていうこと。

 どの分野の勉強が好きかは、自分が一番分かっているはずだし、分からなければ、あなたをよく知っている人に聞いてみるのもよいかもしれません。

  そういう私も、合格した短大になんとか通えなかと、未練がましく入学許可証を手元に持っていた時期もありました。でも私一人で二人分の生活費を稼ぐとなると、時間的にも経済的にも無理で、はやり入学は辞退せざるをえませでした。

 ですけど、お料理が好きでそれを楽しみながら生きていく道は色々あるんだろうなって、また違うことも考えてもいます。そして、協力するといってくれる友人たちがいるのもありがたいことです。

 

 夢なんて、50歳でも60歳でもかなえようと思ったらかなえられるはず。実現可能な目標設定をすれば叶うと、人生の先輩たちが教えてくれた。これまでの地獄は下積みで修行だっただけで、これから自分の人生を生きる智慧を天から与えられたのかも?と思う時すらある。あれだけの苦しみがなければ、こんなにも長く学び続けなかっただろうから。毎日コツコツ健康や能力維持に努め、コツコツと学び、目標に向かって努力することで、老いても達成できることってあると思うのですよね。

 正直、若い頃は能力向上のために努力し、壮年期は能力維持のために努力し、老年期は能力劣化のスピードを可能な限り遅くすることに一番労力を割くことになります。私も老年ですから、今まで10分でできていたことが20分かかるようになったり、物忘れがひどくなったり、老眼が来たり、耳がすこし遠くなったりしてきてます。

 「50代なんてまだまだ若いよ!」なんていう言葉はただの励ましの言葉なので、真に受けて30代40代と同じ働きができるなんて思わない方がよいですよ。自分の能力の劣化を意識して、やはりそれも自分の体力/能力の劣化度合いに合った努力をするのが、新しい夢(目標)をかなえるために一番合理的な道筋だと思います。

 ただ、経験値だけは若い人たちより高いわけですから、若者たちと協力しあって物事を進めていけば、成し遂げられることがあると信じて疑っていません。次の世代に知識を残していく役割もあるような気もしてます。

 また、なにを言っているか分からなくなってきましたが、老年には老年の夢のかなえかたがあるということです。謙虚な姿勢で感謝の気持ちを持ち続ければ「戦う君の歌」に合唱してくれる人達もいるということです。特に若者の支えはありがたい。老人になればなるほど謙虚な姿勢は大切だなぁとしみじみします。