女だから言えること

老いとともに。

自分の顔について省みる

 私は若い頃から自分の顔や体型に自信がなくて、それでも「ほんとうにきれいな顔だね」としみじみと言われたりすることもあったので、私の劣等感と顔をほめてくれる人たちの感覚の違いに少し戸惑いながら生きてきました。

 自らの顔かたちに劣等感があるものだから、あまり、自分の写真を撮らずに生きてきたので、自分の顔がどんなものなのか、よく知らずに生きてきました。不思議なもので、他人の顔というのはおのずと視界に入ってくるのでよく覚えているのですが、「自分の顔」というのは、鏡を見たり写真を撮影したりのアクションを起こさなければ見ることができないので、あまり正確に覚えていなかったりするんですよね。少なくとも私の場合は「自分の顔」っていうものがいまいちピンとこないんですよね。

 インターネットでSNSが普及し始めると、ちょっとバーで仲良くなった、っていうくらいの知人達をふと思い返したり探したりして、ゆるくつながろかなと思いついてSNSに登録をしてみました。旧友たちの連絡先は当然知っているものの、バーで頻繁に話をしていた仲間はお店に行けばいつでも会えるので連絡先を交換していない人もいたのでした。SNSで友達申請をする際に、先方は私の顔は覚えているだろうけど、名前までは覚えていないだろうということが想定されました。

 ですから、バーなどで知り合ったライトな知人と再びネットでつながるために、いくつか自撮りというものをしてみました。

 

 SNS用に一番最初に自撮りしたのは、この写真。

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たぶん2005年頃に撮影したものではないかと思います。

 普段、あまり自分の顔を意識していなかった私としては、自撮りをすると、私ってこんな顔なんだーっていう不思議さでいっぱいになってしまいました。

 そして、

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2020年に入院中に退屈で自撮りした写真がこれ。

 加齢で目が垂れてきて、昔よりも童顔になっている?という印象を自分自身では持ってしまいました。

 正直、このすっぴんの顔のままで人に接すると舐められる可能性が高いというか、外出先で舐められたかも?と感じることが増えたので、最近はあまり好きではない「化粧」で化けて外出するようになっています。

 で、その外出するときの貫禄の「化粧顔」が、これ。

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2020年、アラフィフで激太りしたおばちゃんが、無理くり化粧をして貫禄を出そうとするとこんな感じになってしまうという仕上がりになっています。この画像はZOOMの画像をスクショしたものです。

 昔、作家さんか誰かが、年をとったら「自分の顔には責任を持て!」みたいなことを言ったり、他にも「人柄は人相に出る」とか、色んなことを言う人があるけど、私は自分の顔っていうものが、どんな感じなのか、じっくりと見るのが怖くて、正直、自分の「顔」っていうものに、真剣に向き合ったことがないんですよね。例えば、化粧一つにしても真剣に取り組んだことがないんですよね。だから、未だに化粧の仕方をよく分かっていません。自分の顔のことを、美しいとも醜いとも思いたくなくて逃げ回っていたのかもしれません。

 昔、行きつけのバーの遊び仲間と撮影した数少ない記念写真を、そのバーコミュニティのSNSなどにUPすると、「いいね」のマークが沢山ついたりして、意外とみんな私の「顔」を覚えてくれているのんだなぁと感心したりします。それと同時に、私の人格も言動も、私の「顔」とひもづけられていて、私の「顔」を見ると、彼らの私に対する記憶や思い出が呼び起こされて、コメントが入ってくるという感じが、すごく、くすぐったい感じに感じられたりしてね。

 SNSが普及して、自分を指し示す「看板」のようなものが、「顔」でしかないという不思議さを感じていて、何が言いたいのか分からなくなってきたけど、そういった、ライトな社交場では、「名前」よりも「顔」のほうが名刺なんだなぁという不思議さを感じています。

 こうやって自分の顔写真を客観的に見てみると、15年の間に太ったりやせたり、皮膚がたるんだり、目が垂れたり、顔つきが変わると同時に、私の人格に対する印象というのも、他者から見れば変わってきたのかなぁ?という不思議さもあります。

 もし、70歳、80歳まで生きられるとしたら、私も老いてしわしわになって、おじいちゃんかおばあちゃんか分からなくなるような中性的な印象になっていくのかしら?という面白さを感じつつ、そうはいっても、私は女であることをエンジョイしてきたので、女ぽさ、というか、女という印象を捨てたくないなぁと、名残惜しい感じも感じています。

 アラフィフというのは、中年と老年の境目みたいな年齢で、何についても「若さ」への郷愁を感じてしまう年齢なのかもしれないと思います。

 円熟、老成といった言葉は魅力的であり、興味深いし、そんなふうな自分になれるかもしれないと思えることは、わくわくすることでもあるけど、「若さを失っていく」という恐怖心というか、名残惜しさも共存する不思議な心持にさせられたりします。

 女は、特に容姿で印象を操作されやすいのではなかろうかという思いが、おばちゃんになった最近は強くなってきました。年をとると目が垂れることによって貫禄がなくなり弱弱しく見えてしまう人、年をとったことによってしわなどが刻まれ貫禄が出てくる人、色々なんだろうけど、私は年を追うごとにすっぴんだと舐められるようになったと感じるので、今は意識的に化粧をしています。太ったことが舐められるようになった原因なのかもしれないけど、それも定かではありません。

 ただ、ドラッグストアの安物の化粧品と、数千円だけど気取って見える服と、1000円程度の安物の大きめのアクセサリーをつけておけば、50歳でもそれなりの貫禄が出ると学び、今はそれを実践しています。

 人間の「顔」が与える社会的な印象というのを、私は軽視しすぎて生きてきてしまったのかもしれないと、最近、少し、反省しています。

 

dot.asahi.com

 タイムリーにも、このような記事を見つけました。この相談者のパトリシアさんは、しわしわになることが怖いのか、自活できなくなることが怖いのか分かりませんが、こういった悩みは、男性より女性がの方が強く感じやすいのではないかと思えました。

 女性は若い頃から容姿を他人から評価されやすく、ずっと容姿を気にしながら生きることになってしまいますから、加齢からくる「老け」というのは恐怖でもありえると思えます。また、人の面倒をみる側として育てられやすいので自分が面倒をみてもらうことをすんなり受け入れがたいのかもと思うと、女性っぽい悩みなのかなぁと思えたりしてね。

 私も女でなければこんな記事は書いていなかったのかもしれないと思うと、少しばかり、この記事と関連性があるのかもしれないと思ってしまったしだいです。