女だから言えること

老いとともに。

「ボディ・ポジティブ」「ボディ・ポジティビティ」とは

 現在、世界的な潮流としては「多様性」を認めあおうという流れになっているように感じられます。LGBTQの流れもしかり、ボディ・ポジティブの流れもしかりです。

 

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 アメーバのような単細胞生物はその子孫の残し方もシンプルで、細胞分裂をして自分のクローンを残し、今の自分と全く等しい形と遺伝子の個体を子孫として残していく。だから、全く同じ姿かたちをした個体を残していきます。

 それと比較すると、ヒト類は遺伝子の配列を様々に変えて、多様な個体を生み出すことで、世界の環境がどう変化しても、どれかの個体が生き残るように采配された生き物のように思えます。

 人間が単細胞動物のようにクローンを生み出すのでない以上、人間の遺伝子配列は様々で、もちろん様々な体系、肌の色、髪の色の人達が生まれてくる。当然のことです。ですが、一部には他人の体型に不快感を示す人達もいます。

 私個人の話で言うと、私は摂食障害(過食症)であるため、太っていることが多いのだけど、私の体型に不快感を示す人は少なくありません。「太っていると健康に悪いよ」「やせたらかわいいのに…」「やせたらきれいなのに…」「ららちゃんはデブなのにモテるよねー」などなど、直接的な悪口ではないものの、大柄であることに対する自らの不快感を遠まわしに伝えてくる人達は少なくはありませんでした。

 また、オーストラリアに住んでいる頃には、痩せていると言われすぎた白人の友達の男の子が、あまりにも痩せていると言われすぎてひどいコンプレクスを持っている有様でした。欧米では男性は筋肉隆々の恰幅のよい体型がかっこいい体型だと好まれるため、男性がスリムであると言われることは誉め言葉ではなく、けなし言葉に近いニュアンスを持つのです。

 人間の遺伝子配列や、生い立ちが均一でない以上、痩せた体型、太った体型、背が低い、背が高い、肌の色が白い、黒い、さまざまな容貌がいるのは当然のことなのです。

 日本ではファッション誌をはじめとする、ファッション、美容業界が長らく、痩せていることこそが「美」であると提示してきました。ですが、それは世界的に見ると時代遅れになりつつあります。

 先進国では、身体能力、身体のサイズ、肌の色、瞳の色、髪の色などの外観に関係なく、自分の身体の特徴をポジティブ(肯定的)にとらえようではないか、という流れが生まれつつあります。それが「ボディ・ポジティブ」、「ボディ・ポジティビティ」と呼ばれている社会運動です。インターネットのタグなどでは「bo-po」などと略されて、浸透してきているようです。

 ファッション誌に掲載されるようなスリムなモデルのサイズこそが美しいという「画一的で視野狭小な美意識」を打ち砕き、あらゆる体型は各々にその美しさを持つと考えるのが、ボディ・ポジティブだと言えるかもしれません。直訳すれば、「自分の肉体を肯定的に捉える」という意味ですが、もっと突き詰めれば「私が生きていること自体が美しい」という捉え方もできます。私自身はそれこそが、真の自己肯定というものであり、真の人としての誇りではないかとも思えます。

 痩せている人、あるいは太っている人に向かって「やせているね」「太っているね」「体に悪いよ」「心配だ」などと言う人は、一種のパッシブ・アグレッシブ(受動的攻撃性)を示しているように見えます。ようは内心では、相手が太っている、痩せていることが気に入らないから「健康に良くないよ」などと心配しているような体裁で、相手を攻撃しているのです。

 実はこのような攻撃をする人たちにもすでに名前がついています。ボディ・シェイマ―、ファット・シェイマ―という名前です。shameとは英語で「恥」のことを指します。つまり、「ボディ・シェイマ―」は「人の体型をはずかめる(品性のない)人」、「ファット・シェイマ―」は「ふくよかな人をはずかしめる(品性のない)人」として、逆に非難される流れも生まれてきているのです。

 「ボディ・シェイミング」「ファット・シェイミング」という言葉も同時に生まれており、人の体型を辱める行為、ふくよかであることを辱める行為、と訳すことができるでしょう。

 最初に述べた通り、持って生まれた個性、生まれ育った環境、病歴などによって、人の体型は様々なのに、ファッション業界、美容業界、美容整形業界などが中心に半ば強制的に画一的な美のイメージを広告で一般市民に刷り込んできた歴史があります。

 その歴史のために、ゆがんだセルフイメージを持ち過食症や拒食症になる女性達をたくさん見てきました。ファッション業界や美容業界、ダイエット業界が提案する「画一的な美」に当てはまらないという無茶苦茶な理由で、本来生まれ持った自分のすがたかたちを否定しなければならないなんて、精神衛生上良いはずがありません。

 なぜ、私たちは一部の業界の利益のために、自分本来の体型を否定的に捉え、自己肯定の感覚を失わなければならないのでしょうか?私たちは業界の広告に踊らされすぎていないか考え始めなければならない時期に来ていると思います。

 また、業界自体も早いところは、この「ボディ・ポジティブ」の流れを取り入れ始め、プラスサイズモデル(ふくよかなサイズのモデル)を起用しはじめています。そして、プラスサイズの洋服も販売し始めています。

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 日本でも、ピーチ・ジョンが、女芸人のバービーさんをプラスサイズモデルとして広告に起用しました。

 余裕のある服飾会社は「リアルサイズモデル」といって、各種サイズのモデルを起用していたりと、ファッション業界でも、ボディ・ポジティブの流れと同時に様々な体系に対する配慮がなされる流れも生まれてきているようです。

 

www.huffingtonpost.jp

 

 なぜ、人は自分の体型にコンプレクスを持つようになるのか?それは誰かが画一的な美を押し付けてくるからです。他人に決められた「美」ではなく、自分は自分のままで美しいと思えることが「自己肯定」なのだ、という趣旨のことを米国歌手のリゾは常に発信しつづけています。

 自分の好みの体型こそが正義で、自分の好みの体型でない人のことを平気ではずかしめることのできるボディ・シェイマ―。あなたは他人に対して、自分自身に対して、ボディ・シェイマ―になっていませんか?他人を、自分自身をはずかしめていませんか?今一度、自分自身の中の「体型差別」「容姿差別」の心を顧みてみてはいかがでしょうか?

 人生は一度しかない。そして、思ったよりも短い。心無い他人の言葉に自分を否定的に捉え、わざわざ自らの人生を苦しいものにするのか、自分を信じ自分を肯定的に捉え、自分の人生を豊かなものにしていくのか、私たちは自分自身で選ぶことができる。そのことを、忘れてはならないと、老いを肯定的に受け入れようとしている老人の私は思うのでした。

おわり