女だから言えること

「旧:高円寺ららぁ」は「せとちよ」に改名いたしました。

夫は英一郎君になっていたのかもしれない

  私がこういった記事を読むたびに、「社会に適応できない人」を自分に関係のないこととして、きれいごとで断罪できる人々は気楽でいいよな、と思う。実際には社会不適合者が、無意識に、あるいは意識的に同族である「社会不適合者」を攻撃している場面も少なくない。

 私自身は偶然に父や夫という「社会不適合者」の面倒を見る羽目になり、下記のような体験をした。かくいう私も、ある面を切り取れば社会不適合者だ。社会不適合者同士で励まし合い、助け合った記録として、ここにこの体験を書き残しておこうと思う。この記事の内容は社会不適合者同士で足を引っ張り合うのは不毛ではないか?という「問いかけ」でもあるということも書き添えておく。

育てやすい子供と育てにくい子供

 私は、時々、夫や夫家族と過ごした10年間のことをタイムラインのような形で思い返して泣いてしまうことがある。何に泣いてしまうかと言えば、夫の頑張りと、義母の頑張りだ。

 世の中を見渡すと、分かりやすくも分かりにくくも、親にとっては「育てやすい子」「育てにくい子」に分かれることがある。ある家庭の子供は育てやすい物分りの良い子供であっても、ある家庭の子は育てにくい粗暴で理解力の低い子であったりすることもある。しかし、同じ家庭に同じ両親の子供として生まれてきても、育てやすい子と育てにくい子がいたりもする。それは、ざっくりした言葉でくくってしまえば「特性」と言えるものだと思う。

 夫は少なくとも、親にとっては大変に育てにくい子だっただろうと思う。夫のご両親は小さい頃から男の子特有の粗暴な行動を見せる我が子(夫)を何とか落ち着かせようと、ピアノを習わせたり、バレエのような踊りのような習い事に行かせたりした。そのような芸術的な習い事をさせれば、夫に繊細な振る舞いや感覚が身につくのではないかと、とにかく知恵を絞った。賢い親ならではの発想だ。子どもたちの能力で取り組むことのできそうな範囲や分野を選び高い教育を受けさせた。

 義父が優秀とはいえ、子供達の教育資金を捻出するためには主に義母が経済的に非常に我慢していたと考えられる。義父の証言によるとそのように推察できる。昔の女性はどんなに気が強そうに見えても、夫や子供のために自分の幸せを我慢するべきという考えが刷り込まれていた。それが良いとか悪いとかの話ではなく、そういう時代だった。

母親が持て余す男の子の攻撃性・凶暴性

 夫が大きくなるにつれ、夫の粗暴さは増し、義母の処理能力を遥かに超えて来ていたと思う。夫が証言するに義母は頻繁にヒステリーを起こし泣き叫んでいて、それが嫌で嫌で仕方が無かったという。だが、他人の私から見れば、夫の粗暴さは昭和の古風な女性にとってはパニックになっても仕方の無いほどの水準であっただろうと推察できる。

 私は一応、夫の配偶者的な立ち位置を10年やったの人間なので、彼の攻撃性、暴力性の高さは知っている。それも、迷惑だからやめてほしいと交渉はしてはいたものの、他者からの説得、交渉、あるいは本人のセルフコントロールで、いつしか制御できるようになるであろうとは思えなかった。

 夫の攻撃性は「動物的な本能=戦闘本能」として、遺伝子に組み込まれている可能性もありうるので、攻撃性の強い人が、「攻撃性」「残虐性」「暴力性」を制御できるかは、もう個体差によるとしか思えない程度には諦め始めている。

親子で異なる過去の証言

 夫には夫の言い分があり、義母には義母の言い分があり、同じ出来事について話を聞いても言い分が全く違う。これは親子や夫婦にはよくある話で、同じ物を見て、同じ出来事を体験しても捉え方が全く違っている、ただそれだけの話だ。だが、親子や夫婦というのは「私は親なのだから、子供なのだから、配偶者なのだから、相手の気持ちくらい分かる。(分かってくれるはず)」というおごりが手伝って、誤解が生じやすい。無意識に親子は一心同体、夫婦は一心同体だと思っており、親子とはいえ別人格、夫婦とはいえ別人格であることを忘れてしまいがちなのだ。

 これが職場の同僚なら、「他人」という認識で適切な距離感で接することができ、話し合い、立場や快/不快のすり合わせも提案もしやすい。だが、家族だと甘えが出てしまいやすく、感情的になってしまう。なぜ、私の虚像(=理想)の家族像を演じてくれないのだ!と不愉快に思ってしまうというシンプルな話なのだが、みなその本質から目をそらし、色んな枝葉の理由を考えて「自分こそ正しい」のだから「相手が変わるべき」という方向につじつまを合わせようとする。どの家庭の構成員もだいたいそれで揉めている。

実の親子の愛憎

 もう、夫は義母に怒りしか無く、何なら憎しみはじめていて、義母は義母で我が子のことが「可愛くて可愛くて仕方ない。好きで好きで仕方がない。」にも関わらず、やはり子供から受けた精神的被害がトラウマになっており、怒りや憎しみを小出しにあらわにしている調子だった。(無意識下の)恨みからチクチクと息子に嫌味を言ってしまい、息子の前で「私は子育てに失敗してしまった…」と言ってしまう程度には、追い詰められていたし、自分の子育ての至らなさを責めてしまってもいた。

 もう、この二人が同居するなんて不健全だと思った。夫が私に嫌気がさして実家に逃げ帰ろうとした時も

「私に嫌気がさすのは良いが、本当に実家に帰って良いのか?自分自身でこのまま実家に逃げ帰ってしまったら、そのままニートで人生が終わると思わないか?それで良いのか?いや、自分自身がその人生で納得できるならそれでいいと思うが、あなたは変わりたいと言っていたのではないか?私が嫌なら一人暮らしをすればよいのでは?」

という趣旨の問いかけをしていたつもりだ。かなり乱暴な手法を使ったが、あの時は彼が凶暴だったので致し方がなかった。

 夫のご両親にも、

「これは親の覚悟の問題だ。息子が家に逃げ帰って来たからといって家に入れてしまったら、働かずゲームばかりして親を怒鳴り散らす生活に戻る可能性が高まる。あなた達は彼の親で、ほぼ30年間も彼を育ててきたのだから、家に帰ることを許したら、どうなるか想像できるのでは?」

という趣旨の問いかけをした。君ら家族の問題だから君らが決めればいい。私は最終的には他人だから関係ないと、なんとなく傍観者な意識の自分もいた。たまたま同居しているだけで婚姻届を出したわけでもないのだから、戸籍上は確実に他人だ。

自分の人生を変えようとした二人

 ただまあ、ご両親がもう息子を実家には住まわせないと決めて、夫が親にどれだけ愛されていたか分かった後の、もう、夫と義母の自分を変えたいという努力はすさまじいものだった。要するに親離れ、子離れの努力がすごかったのだ。

 夫はまず、正社員として働きたいという夢を持っていて、それに向かって必死に頑張った。夫の言動は芸能人に例えると狩野英孝氏のようなタイプだ。人から誤解を受けやすい部分は似ているが、狩野英孝氏ほどは外向きに温厚な態度を取れるタイプではない。狩野英孝氏を攻撃的にしたようなタイプだ。だから、一旦彼の攻撃性が向けられたら、その相手は決死の覚悟で戦わねばならなくなる。それは私も義母も一緒だったと思う。

夫の母と妻が手を取り合う時

 夫の「正社員として働く」という夢を応援するために義母と私は夫には内密に、長いメールのやりとりをしていた。私が夫に対する愚痴を義母にメールで送信すると、最初は息子を馬鹿にされたと勘違いし、攻撃的な反論を返信をしてきたこともあった。のちのち義母に「我が子のいたらなさを他人に指摘されると、それが本当のことであっても、悪口を言われたみたいに感じて頭に血が登ってしまうものなのよ。」と話してくれた。

 だけど、私は息子さんについて批判や避難しているわけでなく、息子さんと向き合う事がつらく苦しく感じるときがある、あなたは同じ女性だし、彼の母親だから、彼の性格や言動をよくご存知だろう。どうか、知恵を貸してほしいという交渉をした。

 そうすると義母も人間だ。私に共感し、励まし、私が愚痴を言うと「うちの子が至らなくてすみません」と本気で謝ってくれた、「私の育て方が至らなかかったのだろうか?私は不出来な親だ。」と嘆き、気が強いと思われやすい彼女が普段は隠している弱さを見せてくれもした。

 「そんなことはない、お母様は人としても立派だし、妻としても労働者としても立派に勤めあげた。母親という仕事に関しては誰だって、生まれて始めてやる仕事だから、だれも完璧になんてできるわけがない。完璧な子育てができる親なんていないと思う。そもそも、ご両親は自分たちが本気で不出来な親だったと思っているかもしれないが、一般的に見れば良く出来た親だ。私の親と比べれば経済力、能力、精神力ともに雲泥の差だ。」

と励ました。義母は、夫と私が喧嘩したらいつも私の側についてくれて、今でも私に絶大な信頼を寄せてくれている。

 そんな彼女はポエムを書くのが好きで頻繁にポエムを私に送ってきた。正直、私は反応のしようがないので、ブログを開設しブログでポエムを公開することを勧め、お手伝いした。「私がいないと子供たちは生きていけない。」と主婦と母の役割に依存し、そこに承認欲求を集中させていた義母は、どんどん趣味に集中し、そこで人間関係を作り始め、新しい世界を切り開いた。義母の活躍の場が「家庭」から「趣味での人間関係」に移ったことが、子離れが大きく進んだ要因のひとつでもある。

ただの同居人だった二人

 母の愛というものに驚愕した一つの思い出として、忘れられない義母の一言がある。私は独身主義者だったので、夫と婚姻契約を結んだのが非常に遅かった。ので、この頃、私と夫は、ただの同居人、ただの同居している男女だ。前提として書いておく。

同居人にキレた瞬間

 ある時。私が彼の凶暴性を止めるために刃物を持ち出したことがある。数年にもわたる長い説得の期間を経ても、夫は(母)親や私から精神的に経済的に搾取しようとする行動を改めようとしなかった。思い通りにならないと相手を怒鳴りつけ、相手を萎縮させて金銭を奪い、精神的に支配しようとする態度取っていた。彼が怒鳴り散らすのに対して、私は何度も何度も怒鳴らないでほしいと物静かに冷静にお願いし、説得を続けたつもりだ。だが、彼は怒鳴るのをやめようとしなかった。だから私は、とうとうキレた。

「お前、ほんとに怒鳴るのやめないと殺すよ。何年怒鳴るのやめろって注意してんだよ!そもそもお前、男には怒鳴らないじゃないか!怒鳴るのは私とお母さんだけじゃないか!結局、お前は弱いとみなした相手にだけ、甘えていいとみなした相手にだけ怒鳴るんだ!そして、何年やめろといってもやめない!そういうの弱い者いじめって言うんだよ!卑怯者って言うんだよ!私は卑怯者が大嫌いだ、どなるならヤクザを怒鳴れ!できないだろ!」

 

と罵った。

 

 さらに、「お前が私を怒鳴るのやめなければ、私はお前を殺す。」と台所にいって包丁を手にとった。もちろん3m程度は離れていて、どうっやったって彼を刺せる距離ではなかったし、それ以上に彼に近づくつもりもなかった。当然、これはただの威嚇行為なので、夫が掴みかかってきても刺しはしない。

 私は暴力にさらされることに慣れた人間だ。殴られたら殴り返すし、一本骨を折られたら、相手にも一本骨の折れるのに相応な攻撃を加えるだけ。目には目を、歯には歯をで、同じ痛みを体験させないと分からない輩もいるのが人間社会だ。戦争は不条理な暴力を振るう相手への威嚇、報復、反撃行為から始まると考えれば、簡単な理屈だ。だが、そこに至るまでには、互いにある程度の被害は許容し忍耐し、さらには外交交渉も何年にも渡って行われていたという背景があることは忘れてはならない。要するに粘り強い外交交渉も決裂した状態で、戦争は起こるという意味だ。

 彼は良心的で善良なご両親としか暮らしたことがないので、自分の悪質な攻撃に対して妥当な反撃を受けたことがなかったのだろう。私が包丁を持ち出したことで彼は怖気づいた。なので「怒鳴るのをやめろ、さもなければお前がとりあえずこの家を出ていけ。この部屋を借りる資金も家賃も生活費も私が出してるのに、私ばかり追い出されてネカフェで寝るのはおかしい。今度はお前がでていけ!」と夫を追い出した。

 ありがたいことに、言葉で交渉しても怒鳴るのもやめず、出ていってもくれなかった夫が、刃物を見せた途端に家から出ていってくれた。暴力(をチラつかせる事)の威力は偉大だ。

警察は冷静に話せば公平に見てくる

 そして、しばらくすると警察がやってきて「刃物で刺そうとした人がいるという通報があったので、一応様子を見に来ましたよ。」と言われた。父がちょくちょく警察の人に捕まっていたので、警察官は話せば分かる人達だと知っていた私は、「そうか、あいつ、私を悪者したのか…」と思いはした。が、自分を正当化するなんて誰でもやることだし、ま、いいかと、とりあえず警察に説明をした。

 私は彼氏の生活費全般を支払っているが、彼は私に頻繁に数十万の金の無心をし、出さないと出すまで怒鳴る、生活費を差し引いても贅沢品、享楽費捻出のために、私としては納得のいかないお金を暴力的に巻き上げられたと感じている。だから今回は金を死守したところこうなった、と、事情を話した。さらに私は冷静で3m以上の距離があったし、あれは威嚇射撃のようなもので刺すつもりなどさらさらなかったと説明すると、警察官は当然いろんなケースを知っていて、私の冷静な態度や説明の内容から、「金(カネ)か…」とつぶやいて悲しそうにした。私はそういう時の警察官の方々の寂しそうな悲しそうな態度が切なくてしょうがない。

 沢山の人間の心の闇を見続けても、受け入れがたい現実を見続けても、感情を麻痺させないほどの強靭な精神をお持ちの警察官にお目にかかると、強く心優しい人の苦しみは大きいのだろうと思えてしまう。精神科医にも同じことを感じることがある。心を鈍感にさせ、見たくないものは見ず、他人を責めれば、自分の心は安全だ。そちらに避難するのも一つの解決策だ。だが、そうできない人々もいる。警察官以外に(精神)医療、福祉、教育に携わる人々にも同じことを感じる時がある。

 そして警察官は「まあ、よくあるケースだけど、刃物は出しちゃだめよ。」と言ってくれて、「はい、すみませんでした。お騒がせしました。」という感じで、ことは終わった。そして、夫は一旦実家に逃げ帰ったものの、私との同居を再開すると決断し私の元に戻って来た。

 ただし、だ。その際に義母と義父が同伴することになり、私は入籍していなかったので家族ではなかったが家族会議のような事をするという話になっていた。私は夫のご両親にどれほど攻撃や批判をされるのだろかと思ったし、どんなに強く批判されても甘んじて受けようとは覚悟をしていたつもりだった。でも、やはり自分に100%否があることについて、全力で批判されるのかと思うと怖かった。

 

結婚してないのに家族会議

 そして、ついに夫、私、義理の両親との話し合いの場がもたれた。家族会議的な場で私の目の前で、義父は夫に「どんな事があっても人様に暴言や暴力はいけない。」と注意してくれた。義母は私の目の前で夫に「とにかく人様にお金で迷惑をかけちゃいけない。」と注意してくれた。

 だた義母は、女だから母親だからという理由で息子に弱い者いじめされ続けた恨みつらみがつのりすぎて、息子に向かって愚痴や嫌味をチクチク言いがちだった。だから、やはりその話し合いの場でも多少の親子喧嘩は起こった。夫は激高して義母に怒鳴ってティッシュの箱を投げつけた。私は「人に向かって物を投げつけるんじゃない!しかも心配てくれてる母親だぞ!」と叱った。

 ご両親は非常に賢い方たちで、私に息子を預けるからには、私の機嫌をとっておかねば危険だと思ったのかもしれない。私が刃物を持ちだしたことを批判も非難もしなかった彼のご両親に、ただただ驚いた。こんなことがあるのかと…。もうこの息子はこの得体の知れない女に預けるしかないという覚悟を決めておいでのご様子だった。ご両親も、子育てに疲労困憊していらしたのかもしれない。なにせ30歳近くまで思春期のような反抗期のような状態が続いていたのだから。しかも夫には、他にも手ごわい兄弟がいたのだから。

母の愛とは「覚悟」なのかもしれない

 そして、彼が激高してお母様にティッシュの箱を投げつけたにも関わらす、義母は帰り際の、最後の最後で「おねがいですから、(息子の)命だけはとらないでやって下さいね。」「後生ですから…」と、私に言った。やはり、私が刃物を持ちだしたことは気にしていらしたのだ。当然だ、我が子が殺されたら困る。だが、我が子を殺すかもしれないと思える私に、我が子を預けねばならなかった母親の緊急度と覚悟に私は、再び驚いた。

 そんな不安な相手ところに、普通の親なら絶対に息子を戻らせないでしょう。だが、息子が信じるという女を、母である私も信じようと決断し、殺されるかもとまで思いながらも、覚悟を決めて預けてくれた。これが家族愛、親の愛なのかと、私はその時に思った。親の覚悟というのはこういうことなのかと、義母のこの言葉を思い出して、涙が出てしまうことがある。そして、私はこの義母の信頼に答えねばと変な責任感を感じてしまった。なんとなく、彼女に対しては友情のような戦友のような感覚を持ってしまっている。私が一方的にそう感じているだけだが。

100か0の人、両極端に触れやすいタイプの人

 彼は、私の夫となり、一般人と同様に比較的に温厚に振る舞えるようになった。彼はとても根が優しく生真面目な人間だ。だが生真面目な人間というのは、得てしてギアでいうところの遊びがない。100か0かで物を考えやすく、100%相手を信じるのでなければ0だ(=敵だ)となりやすい。なぜ77%信じるということができないのかと聞いたところで、できないし、そんな中途半端なことはしたくもないという返答がかえってくれば、それまでの話だ。だが、彼はいつも、それでつまづく。

 彼の中には中途半端に相手を信じるなんて失礼だ、信じるなら100%信じなければ相手に対して失礼だという感覚がありそうだ。彼は「善100%」の人間と「悪100%」の人間しかいない、分かりやすい世界がほしいのだ。だが、人間は多面的で、社会は複雑怪奇なので、悲しいことに彼の望みはかなわない

 「真面目」という特性は「融通が利かない」という特性に言いかえることもできる。一つの答えを欲しがり、その答え通りの行動をしたがる。だが、世の中には答えのないことや、答えが複数あることのほうが多い。だから「真面目」な人々は苦しむのだ。答えを一つにしてくれ!やり方を一つにしてくれ!と苦しみ、自分の思っているのでない答えを突き付けられることにも苦しむのだ。これもまた、認知行動療法でその時代時代の社会で「生きやすい考え方」に変えられる人もいるし、変えられない人もいるので、やはり個体差だと諦めている。

 私は時々「この人は私の父親に似ている。」と思うようになっていた。実際には父親がどういう人なのか、話したことがないのでわからないが、何事に対しても生真面目、潔癖なところが父に似ている気がするのだ。短所は長所、長所は短所という当たり前の話ではあるが、難しい話だ。

夫婦とは?親子とは?

 約10年の彼ら家族との付き合いの中で、母の愛とはなんと重く苦しく、そしてなんと偉大なのだろうとしばしば感じた。そして、私は夫に対して義母ほどの愛情は与えられないだろう。私は彼の母親ではないのだという、当然至極の事を思い知り、義母が子離れしたように、私も夫から子離れするべきときが来たのかもしれないと思い、別居した時期もあった。

 夫には、とても申し訳をないことをしたのかもしれないと思う時がある。私のようなイカれた人間と出会わなければ苦しまなかっただろうかと。だが、残念ながら起こってしまったことは消せない。許せないなら忘れてもらうしかない。さみしいが、それが現実だ、その時はそう思っていた。

 別々に暮らしたことで、夫は生活面でも自立し、食事の準備や掃除洗濯を自分のこととしてとらえることができるようになった。また、家事の大変さをしり、私の追いつかない家事を責めなくなった。夫が心理面でも、生活面でも自立できるようになったことで、私は別居を解消し同居することを選んだ。

 事務次官の事件で思ったことは、当時の夫の水準の人格障害だと仮定すると…

 まずは血のつながった家族と引き離す、付きっ切りで認知行動療法+生活技能訓練を施す。ダメなことはダメだとその場でやめさせ、少しでも今までやらなかったことができたらその場でほめる。

 暴力にはこちらも同等の暴力をふるうことができるということを知らしめる(けど可能な限り暴力は振るわない)、これらの全てができないと矯正は不可能だと感じている。ヘレンケラーを育てる時のサリバン先生も、つかみ合いで矯正したとよく描かれてる。これは、あくまで私自身が個人的に夫家族/友人知人の家庭に介入したときの手法にすぎないので、このやり方が正しいと言っているわけではない。

 そして、これらすべてをやったからといって、必ず人格矯正ができるとも思わないし、そんなことをする必要があるのかもわからない。ただ、少しでも助けを求められたら、少しくらいはおせっかいをする。ただそれだけのことなのだ。

 

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