人生メモ

「差別意識」は発達障害/機能不全家族/虐待/ジェンダーと密接につながっている

咳をしても一人*咳差別のお話

 がんで甲状腺を失う前から体調が悪すぎて電車の中で倒れそうになったりするので、ヘルプマークをバッグに着けています。

 

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 地方都市に住んでいる時もスーパーや道で倒れて、頻繁に救急車で運ばれていました。そして、知らない人達には健康そうに見えているようですが、甲状腺を失った今、薬を飲まなければ、飲むことができなければ、健常な方々と同等な生活は送れない人間になりました。優生思想の人達に選ばせれば、私は死ぬべき存在なのでしょう。

 親族がいませんし、今はなんとか這ってでも働いていますが、働けなくなり、貯金もなくなれば生活保護を受給するしかない身ですから。もし、働けなくなり働かないでネットで書き物をしてるだけになり、貴族はしんでくださいと言われたら、しななければならない身なのです。

 関東の電車は地獄だと頻繁に思います。コロナウィルスの影響で「咳喘息」の持病を持つ私は、うかつに電車にも乗れない世界観になってしまっています。

 先日も仕事の帰りに電車に乗っていて、せき喘息のせきが止まらなくなってしまいました。甲状腺がんを切った直後だったので、傷口の関係上、のどが刺激されてしまいせきが出やすくなっているのです。すると、隣に座っていた女性が咳をするたびに、私をにらみつけてくるのです。マスクをしていますし、可能な限り控えめにせきをしたつもりですが、隣に座った女性はひどく苛立っていました。

 隣に座っている女性は私のせきが出るたびに、ゆっくりと何度も私のほうをにらみつけるのです。3回目までは「きっとこの女性は発達障碍や脅迫神経症(精神疾患)なのかもしれないから許そう。」、4回目は「もしかしたらこの人も、せきをするたびににらみつけられた悲しい過去を持つ女性かもしれないないから許そう。」と思いましたが、5回目ににらみつけてきたので、私の我慢も限界にきました。にらみつけてきた、その目をしかと見つめ返して、「すみませんねぇ。私、せき喘息なんです。」とその女性の目をしっかりと見据えて、堂々とお伝えいたしました。

 そうすると、彼女はムスッと不機嫌そうにそっぽをむきました。そのまま、私は姿勢を正し堂々と正面を向いて座っていました。そして心の中で般若心経を唱えていました。次に咳がでて、次に隣の女性が私をにらみつけたら、今度は私もにらみ返して「私は甲状腺がんの手術をしたばかりです。」と癌の傷口を隠しているタートルネックを引き下げて傷口をお見せして、ヘルプマークというものをご存知ですが?と得々と説教をするつもりでした。

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 ですが、私が降りる駅に到着したので私が下車しました。

 関東の電車には、知的障碍者も精神障害者も差別者も痴漢も全部乗っているのです。だから本当に地獄。だからこそ念仏を唱えながら乗らないといけないのです。それも含めて、私は関東で電車に乗るのが非常に苦手です。

 人間は胆力がないと生きていけない、だけど、医療が発達した豊かな社会では胆力さえあれば生きていける。薬を買うことができれば甲状腺がなくてもしんどいながらも、それなりに生きてはいける。それがいいのか悪いのか、私にはわからない。体はほかにも問題があるので、それに関連してか精神バランスも崩しやすい。精神が崩壊して自殺した友人達のほうが幸せなのではないかと思う時すらある。極楽や天国という発想はそういったことに由来するのかもしれない。

 さて、明日、私は生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。自称ニートの友達に「そうまでして生きていたいですか?」と質問されたので、「会いたい友人たちが生きている間は、私も生きていたい。」と答えました。

 もしからした、還暦を迎えたら、喜寿をむかえたら体も心も今以上に弱って「死にたい」と思うのかもしれない。だけど、先日お目にかかった60代の貧困女性ブロガーさんも「70歳までは生きてみようと思う。」とおっしゃっていたので、私も還暦までは生きてみようかな?とは思っています。そもそも、それまで生きていられるかもわからないし…

 まあ、心身ともに病んでいても働かなければいけない女の人生なんてこんなもんよ。男性も似たようなものでしょう。持っていない物を数えていては生きていけませんから、持っているものを数えて生きていくしかないのです。嫌がらせをしてくる人のことは可能な限り忘れて、親切にしてくれた人のことを覚えて生きていくしかないのです。恨みや憎しみや嫉妬で相手を攻撃し始めたら、「私に嫌がらせをした人と同じになってしまう」と思うから、それがいやなのです。そして過食がはかどります。もう脳が糖分をほしがって大暴れですよ。一人で部屋で泣くのにも慣れすぎました。なにせ半世紀もこの生き方で生きてきたのだから慣れるはずですよね。

 事情を話せば言い訳だと責められ、権利を主張すればわがままだと言われるのが私の存在なのかもしれない。

  私は「弱者様」なのでしょうか?私は「プロ弱者」なのでしょうか?それでも「基本的人権」が日本国憲法に制定されている以上は、私は生きることを課せられているのです。健常な人達にお前らのために(福祉のために)金を使いたくないと言われるのなら、おとなしくガス室に送られて死ななければならないのか?という残酷な問いかけをを、若者、健常な方々にし続けるやっかいな存在として生き続けるしかないのです。それでもなお、明るく気丈なおばちゃんを演じて生きていくのが私の人生の物語なのです。今のところはね。

 

◆コメントをいただいたのでご紹介

身につまされるはずなのだが、自分より手がかかりそうな人間に対して疎ましく思う自分もいる。けれど、自分で死ぬことだけは反対だ、自分も人も。生きる権利が最後の砦、どんなに疎まれようとも堂々と生きる。

というコメントを頂いたので、

学生時代に日本国憲法にある「基本的人権」を学んでいなければ、未だに「生きる資格」を自分に問うていたかもしれない。人権とは何か、人間の尊厳とは何か、みなしっかり学習してほしい。「人権が最後の砦」確かに。

というお返事をさせていただきました。
 
人は優しくて強い。そう思えるやりとりでした。
 
おわり

 

★大人でも子供でも法律がわかるように書いてある本です。子供と一緒に読んでも良いかもしれませんね。